◇24.足湯コーナーの先客
辿り着いた最上階は、巨大な鳥籠のような作りをしていた。
壁はなく、円形状の広間を柱がぐるりと取り囲み、半球型の屋根が乗っかっている。真っ黒な石材で統一された空間は荘厳な雰囲気で、魔王と勇者の最終決戦の場だと言われても頷ける風格である。
で、肝心の足湯コーナーはと言うと。
しんと静かな広間の端に、ほこほこと湯気の上がる場所があった。
『見晴らし抜群! 展望足湯へようこそ!』という親切な看板が立っている。
風格……。
気を取り直し、湯気に誘われるままに近づくと、先客がひとりいた。
作業着らしき服を着た、灰色の髪のおじさんである。
くたびれた雰囲気で座っているが、なかなか精悍な横顔だ。しゃんと背筋を伸ばしていれば「格好いいおじ様」といった塩梅である。なお、角や尻尾といった魔族要素は見当たらないが、瞳の色が人間には珍しい金色だった。このおじさんも、実は竜だったりするのだろうか。
ぼんやりと足湯に浸かっていたおじさんは、近くに立つ私に気が付くと、「やあ」と穏やかに笑いかけた。
「こんにちは、メイドさん。君も足湯かい」
「はい。お邪魔してもいいですか?」
「もちろん。足湯仲間ができて嬉しいよ」
おじさんの歓迎的な空気に安心し、いそいそと靴と靴下を脱ぐ。程よい熱さのお湯に、そっと素足を沈めれば、たちまち冷えた足が温もりに包まれた。思わず「うあー」と唸り声が漏れて、おじさんが笑う。
「出るよねえ。声」
「出ますねえ」
のんびりとしたおじさんの声に釣られて、私も寛いだ気分になる。さきほどミア様と着陸した広場では、高層の屋外だけあって強い風が吹いていたけれど、ここは心地よい微風しか感じない。魔法で空調が整えてあるのだろう。
澄んだ美味しい空気、遠くの山々が見渡せる解放感、とぽとぽと耳に優しいお湯の音。最高である。
「癒されるー……」
「嬉しいなあ。ここに足湯を作った甲斐があったよ」
「えっ、あなたが作ったんですか?」
「日曜大工が好きでね」
「足湯の建設が日曜大工の範疇かは議論の余地がありますが……。とにかくすごいですね。本職も大工さんなのですか?」
「いいや。職業は、そうだね、魔王城の管理と言ったところかな。けっこう長く勤めているよ」
「管理人さん、ですか?」
年季の入った作業着だし、城内の設備管理を担当しているのだろうか。そう思って訊いてみたら、おじさんは「ああ、いいね。それそれ」と、嬉しそうに頷いた。
「君になんと名乗ったものかと悩んでいたけれど、『管理人さん』がいいね。お義父さ……名前で呼んでもらうのは、まだ恥ずかしいからね」
おじさん改め管理人さんは、照れ照れと頭を掻いた。気さくに話しかけてくれたけれど、実は恥ずかしがり屋さんのようだ。管理人さんの心の準備ができるまで、名前を聞ける日を楽しみにしておこう。
「ねえ、メイドさん。君は、その、ベルちゃ……ベルドラドのお嫁さんらしいね?」
「は、はい。そうです」
見知らぬ管理人さんにまで私の結婚が知れ渡っていることに動揺した。ここであなたの噂を知らない魔族はいない、というミア様の言葉は本当だったらしい。
いや、私がどうこうではなく、ベルドラド自体が有名人というか、魔族的に重要な役職にでも就いているのだろうか。テイジーさんやミア様には「様」を付けられ、アイザック博士には「くん」、そして目の前の管理人さんからは敬称なし。うーん。いまいちベルドラドの立ち位置が分からない。
「管理人さんは、ベルドラドとお知り合いなのですか?」
「うん。あの子がうんと小さい頃から知っているよ。いやー、庭の隅で三角座りをして泣いていた子が、お嫁さんを連れてきたなんてねえ……」
管理人さんはしみじみと溜息を吐いて、ふと私の額に目を留めた。
「宣誓があるのは額かな。ちょっと見せてくれるかい?」
光っていなければ何の変哲もないはずの額を指摘されて驚いていたら、「ベルドラドの魔力の残滓があったから」と、管理人さんが親切に解説をしてくれた。解説をもらったところでよく分からなかった。
ともかく見せて減るものでもないので、左手で前髪を上げてみた。
■おまけ:華麗なるミア様情報パート2
リシェル攻略用の教材を探すベルドラドが、「おすすめの恋愛小説を用意してくれ」と、魔界図書館の司書さんに注文した際、司書さんは貸出上限10冊中8冊に、がっつり年齢制限がある感じの官能小説を選んだのだが、カウンターに積まれた本を見たミア様が「ちょっと! 私のおすすめ本が一冊もないじゃないの!」と憤慨、その8冊を明るく健全な全年齢向けラブコメ本にこっそり差し替えた。
このファインプレーにより、のちにリシェルがベルドラドから受けるアプローチが、壁ドン顎クイ止まりで済むことになった。さすがですミア様。