◇23.紅竜 ミア様
ミア様が出した本の表紙には、壁ドンしているカッコいいお兄さんと壁ドンされている可憐なご令嬢が描かれていた。
タイトル、『吸血鬼と貧血令嬢~血染めの恋路は蜜の味~』。
魔族の間では恋愛小説の持ち歩きが流行っているのかと聞きたい。
「魔族と人間の恋……種族の壁があるからこその、なんかそういうあれこれ……本当にあったんだ……素敵だわ……!」
興奮気味のミア様は、いくつか付箋が貼ってある本(相当お気に入りらしい)を胸に抱いたまま、「どんな出会いだったの?」と訊いてきた。
「えっ。ええっと……ベルドラドが、窓から寝室に入ってきて……」
「噓でしょ! 本と同じ! いきなり寝室に忍び込んできたヒーローに強引な感じで迫られちゃうのね……!」
「あ、いや、強引にではなく、ちゃんと説明……せ、積極的に口説かれたのち、双方の合意の上で契約書……け、結婚しましたよ」
「積極的に……! ねえ、一体どんな風に口説かれたの?」
「えーと……ミルクを入れ過ぎた紅茶を彷彿とさせる亜麻色の髪に、邪竜の吐く魔炎の色そっくりな緑の瞳をした、我が愛しの花嫁よ……みたいな感じです」
「何よそれ……ロマンチック過ぎるわ……!」
よかったねベルドラド、あの口説き文句を称賛してくれる女の子がいたよ。
「壁ドンはもう済んだ?」
「壁ドンはお断りしました」
「なんでよ!」
怒るミア様。きっとミア様の想定している壁ドンと、私が尻尾で素振りしつつ提案された壁ドンには、著しい差があると思われる。
「ベルドラド様なら石でも鉄でも壊せるでしょうに……」
「特に差はなかった」
これはミア様とベルドラドの感性が奇跡的に一致しているだけなのか、はたまた魔族の共通認識なのか、判断が難しいところである。
「ふん、まあいいわ。もしも壁ドンが恙なく行われた暁には詳細を報告なさい」
ミア様はリボンの陰に本を仕舞うと、さきほどまでの興奮などなかったかのように、ツンと澄ました顔で腕を組んだ。
「で、リシェル。あなたはひとりで何をしているのよ。ひとりでうろちょろして危ないじゃないのよ。ベルドラド様の相手があんな小娘だなんて許せないわ勢に目を付けられて、行く手に画鋲を撒かれたり納屋に閉じ込められたりしたらどうするのよ。何か困っているのなら言いなさいよね!」
態度はツンツンながら、ものすごく心配してくれるミア様。優しい。
「……えっ、実はすでにヒロインいびりが起こっていて実は王族だった父の形見である大事な首飾りを隠されて実は必死に探しているところだったとか、そういう……?」
私が答える前に、あらぬ事態を想像して蒼ざめるミア様。魔族は恋愛小説に影響を受け過ぎではないかと言いたい。
「いえ、それは大丈夫です。実はただの迷子でして……。最上階に行きたかったのですが、階段が見つからず」
「なんだ、ただの方向音痴なの。仕方がないわね」
ミア様は「ついてきなさい」と背を向け、颯爽と歩き出した。階段の場所まで案内してくれるのだろうか。
「ありがとうございま……」
お礼を言いかけた私に、ミア様は予想外の言葉を続けた。
「私の背に乗せてあげるわ」
「……。背?」
「きゃああああああ!」
私は今、真紅の竜の背中にしがみついて、空を飛んでいる。
「もう、うるさいわね。静かにしなさいよ」
ちょっとした小屋くらいの大きさを誇る立派な竜は、お察しの通りミア様である。
ドレスの少女姿に魔族要素がなかったのは、それが人間に化けた姿だからであって、今の竜姿の方が本来のミア様だったのだ。
『最上階まで行きたいんでしょ。ちまちま階段なんか使っていたら時間が掛かるじゃないのよ』
私を屋外へ連れ出したミア様は、そう言うや可憐な少女から迫力の竜姿へ変身し、有無を言わさず私を背に乗せて舞い上がった。
で、今に至る。
「私が乗せてあげた人間はリシェルが初めてなんだからね。感謝してよね」
ミア様曰く、竜の中でも「紅竜」という、並みの魔族とは格が違うし高貴だし超すごい竜なのよ、とのことだ。なお、厳めしい姿になったところ声が野太くなることはなく、少女然とした可愛らしい声のままだった。違和感がすごい。
「は、はい、ありがとうございま……って、なんで旋回するんですかああああ!」
「うるさいわね、気分よ! べ、別にリシェルが魔王城の全体を見ておきたいかなと思ってわざわざ一周してあげたとか、そんなんじゃないんだからねっ!」
「全然見る余裕はなかったですがありがとうございます!」
私へのサービス飛行を終えたミア様は、魔王城の上層、城壁から張り出している広場に着地した。何もない広場なので、こうして空を飛ぶ魔族が発着するための場所なのかもしれない。
ミア様は私を降ろすと、再び愛らしい赤髪の少女姿に戻った。へろへろと床に手をついてへばる私を、「ふん!」と鼻を鳴らして見下ろす。
「全く、人間というのは貧弱なのね! ちょっと飛んだくらいでこのザマなの大丈夫? 心配なんかしてやらないわよ!」
「はい、大丈夫です……飛行は一度経験したことがあるので、今回はなんとか……」
「大丈夫ならいいのよ。あとはその扉から城内に入って、ちょっと階段を上がれば最上階よ。帰りは自力でちまちまと降りなさいよね」
「はい。ありがとうございます、ミア様」
「別に指輪を探してくれたお礼に飛んだわけじゃないから、そこのところ履き違えないで欲しいわね竜姿の感想を聞きたい! 気分で飛んだだけよ!」
「ごつごつしていて大きくて強そうで、とても格好良かったです。紅玉のような真紅の鱗も、すごくお洒落でした」
「そ、そうかしら。まあそうだろうとは薄々自覚していたわ」
ミア様は竜姿への感想にひとしきり照れてから、「じゃあね、リシェル」と手を振って、断崖絶壁である広場から、ぴょんと躊躇いなく飛び降りた。空中で竜姿に戻ったのだろう、真紅の鱗に覆われた尾が一瞬だけ見えた。
なお、このミア様との飛行は他の魔族にばっちり目撃されていたようで、のちに私の噂には「魔王城に来て二日目で紅竜を乗り回していたヤベエ女」という、新たな内容が追加されたらしいが、それはさておき。
「人生で初めて竜に乗ったなあ……」
感慨に耽りながら、広い空を見上げる。
えっと、私は何をしに、魔王城の最上階を目指していたんだっけ……?
「へくしゅっ」
くしゃみをして思い出した。そうだ。足湯に入るためだった。
■おまけ:華麗なるミア様情報
もちろん竜の時は口から火を出せる。




