◇21.魔王城メイドの初業務 with ケルベロス
さて、移動である。ベルドラドがいない状態で、魔王城の中を歩き回るのはこれが初めてだ。
他の魔族とすれ違うたびに少し緊張したけれど、私たち(もこもこ魔族×4とメイド姿の人間の一列縦隊)は注目こそされたが、特に呼び止められることも、なぜ人間がここにと職務質問を受けることもなかった。ちゃんと従業員と見做されているようで安心だ。燦然と輝くおでこの出番もなさそうである。
ほどなくして、本日の清掃現場に着いた。
「事務のお姉さんが言ってた場所はここだよー」と、ペロが示した部屋を覗き込んで、思わず「うわあ」と声が出る。
床に物が散乱しカーテンは破れ壁も天井も煤だらけ。昨日のアイザック博士の「爆破実験」という明快に物騒な四字熟語から何となく察してはいたけれど、まあ、端的に言って惨状である。
しかしこれでよく硝子は無事だなあ……と、その時はヒビ一つない窓を見て不思議に思っていたのだけれど、後にアイザック博士がくれた説明によるとこうだった。
『魔王城の窓硝子は全て、僕が発明した超強化硝子なのだよ。よく窓を割っちゃうのが申し訳ないから作ったんだ。ベルドラドくんが本気で尻尾の一撃を入れたときには割れちゃったけど、大砲程度の衝撃なら十分に耐えるよ!』
大砲に耐える硝子もすごいがそれを破壊できるベルドラドの窓ドンの威力の方に慄いたことはさておき、アイザック博士の発明のおかげで、硝子の破片が飛び散る危険な状態にはなっていないというわけだ。いやまあ、部屋が荒れた原因も博士なのだけれど。
テイジーさんが人数分用意してくれた掃除用具を手に、全員で勇ましく部屋に踏み入った。
「頼れる地獄の番犬の皆さん。始めましょう!」
「かしこまりー!」
部屋がすっかり綺麗になる頃には、純白のケルベロスたちは煤で真っ黒になっていた。
なぜなら、彼らは自らの身体で煤払いをしていたからである。
だったら何のために意気揚々と掃除用具を手にしていたのかは不明だが、ケルベロス・ローリング・ストームなる無駄に華麗な技名を叫びながら縦横無尽に跳ね回る姿は可愛かったし、思いのほか効率が良かったから異論はない。
「お疲れさまでした、頼れる漆黒の魔犬の皆さん。おかげでこんなに早く片付きました」
「よせやい、頼れる漆黒の魔犬だなんて」
「漆黒にして暗黒の黒き魔犬だなんて照れるだろ」
「闇より出でし漆黒の牙だなんてやめろよもう」
「どうしよう右目が疼くかも」
煤まみれの全身をもじもじさせ、まんざらでもなさそうなケルベロスたち。白もいいが黒いもこもこも可愛い。
事務室へ戻る前に水場に行き、まずは掃除用具を、続いてケルベロスたちの身体を洗う。水で落ちるかなあと思いつつ揉み洗いをしてあげたら、たちまち純白の毛並みに戻り、ケルベロス・ローリング・ストームをかませば水気も飛んで、普段のもこもこしさが復活した。お洗濯しやすい魔族である。
行きと同様の一列縦隊で事務室に戻り、掃除完了の報告をする。テイジーさんは「恙ない業務進行……良き……」と、ときめいた乙女の顔で呟いてから、くいっと眼鏡を上げて凛々しい顔に戻った。
「お疲れさまでした。リシェル様の本日の勤務は終了です」
勤怠カードにスタンプを押してもらい(三十個貯まると粗品がもらえるらしい)、退勤。外はまだ明るいのに労働は終わり。王城勤務ではあり得ないことである。
「あとはのんびりするだけ……。なんて素敵な生活……」
ほどよい疲労感に包まれている今、昨日と打って変わり、とてもゴロゴロしたい気分だった。ベルドラドが提案してくれた、怠惰で優雅な偽装結婚生活を、今こそ心から享受できる気がする。
労働があってこそ余暇の時間が輝くのだ……と、しみじみ感動していたら、ケルベロスたちが気の毒そうに私を見上げていた。
「人間って意味不明だよな。あんなに就職を喜んでたのに」
「あんなに張り切って仕事に向かったのに」
「いざ仕事から解放されたら嬉しそうにしてやがる」
「不自由という名の眼鏡がなければ自由を見ることができない哀れな生き物なんだね」
「まさかの憐憫」
気を取り直し、「私は部屋に戻りますが、ケルベロスの皆さんは?」と訊ねたら、彼らはふふんと胸を張った。
「日向ぼっこだ!」
「日光浴だ!」
「毛を完全に乾かすんだ!」
「生乾きは地肌に良くないから!」
毛並みへの並々ならぬ矜持を感じる。そして「リシェルも断崖絶壁に張り出した屋根の上で日向ぼっこする?」と誘われたが、普通に危険だったので丁重にお断りした。
「では、ケルベロスの皆さん。お手伝いありがとうございました」
「どいたまー!」
わいわいと去っていく可愛い後ろ姿を見送り、私も自室に向かう。
魔王城広しといえど、さすがに事務室からベルドラドの館に戻る道は覚えたので、ひとりでも迷子にはならない。いざ、ベッドでだらだらと……。
「へくしゅっ」
くしゃみが出て、身体が冷えていることに気が付いた。掃除用具やケルベロスたちの丸洗いで、長く水に手足を浸していたからだろう。
「日向ぼっこについて行くべきだったかも……あ」
そういえば、魔王城の最上階には、無料の足湯コーナーがあるんじゃなかったっけ。
ベルドラドからその話を聞いた時には、「いや最上階には決戦の場とか作ろうよ」と思ったものだけれど、すっかり手足の冷え切った今では、足湯という響きが俄かに魅力的に響いた。
よし。最上階に行ってみよう。
■おまけ:リシェルの多様性(ベルドラド氏のコメント付き)
普段リシェル……心身ともに通常状態のリシェル。可愛い。
懊悩リシェル……もやもやと悩むリシェル。相談に乗りたい。
照れリシェル……恥らうリシェル。とても可愛い。涙目だとなお良い。
困リシェル……窮地のリシェル。助けたい。だが縋リシェル待ちも良い。
怒リシェル……ぷんぷんしたリシェル。無言で拳を放つ勇ましいところも良い。
悟リシェル……遠い目をしたリシェル。頻繁に悟りの境地に達する神秘的なところも良い。




