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初夜のベッドに花を撒く係、魔族の偽装花嫁になる  作者: 棚本いこま
第一部 メイドと魔族の偽装結婚
2/53

◆2.偽装結婚の始まり



 魔族の青年の偽装求婚対象が、花嫁からまさかの私になってしまった。

 いや、花嫁を対象にするなと言ったのは、私だけども。


「い、いやー……私にはちょっと……」


「人間は結婚すると指輪を付けると聞く。指輪のないお前は未婚なんだろ?」


「そうですけど……いやー、でもほらー……」


 説得する立場から説得される立場への逆転に困惑したが、ここで突っぱねて再び求婚対象が花嫁になってしまうのも困る。どうしたものかと歯切れ悪く応じる私に、彼は気分を害した風もなく、「お前にとっても悪い話じゃない」と続けた。


「少しの間、魔界で俺の妻の振りをするだけの簡単なお仕事だ。もちろん衣食住は保証する。食事は日に三回、加えておやつ、湯浴みは毎日、充分な睡眠と適度な運動が叶う快適な生活を約束しよう。労働の類は当然しなくていい。部屋でゴロゴロしていてくれ。望む限りの娯楽も提供してやる」


「ぐっ」


 ものすごく快適そうな偽装結婚生活を提案されて、俄かに心が揺らいでしまった。そんな私の心の機微を察したのか、魔族の青年はにっこりと目を細めて続ける。


「もちろん給料も出す」


「えっ」


 ゴロゴロしているだけで給料が出ると言うのか。なんだそれは。天国か。


「金額はこれくらい」


「えっ!?」


 提示された金額に思わず仰け反った。とんでもない額だった。住み込みメイドの月給が、もはや端数である。


「……す、少しの間と言いましたね。具体的には……?」


「そうだな、魔王を納得させるためだから……うん、一年くらいは魔王城に居て欲しいかな?」


「一年だけっ!?」


「さすがに数日では怪しまれるが、一年間いちゃいちゃしているところを見せつければ、さすがに魔王も俺とお前の結婚が偽装とは疑わないだろ。魔王が納得すれば俺としてはそれで目的が果たせる」


 たったの一年間。三食おやつ昼寝付きの怠惰な生活をして、高額の収入。

 素敵だ。素敵過ぎる。素敵過ぎて怪しくなってきた。

 何か落とし穴があるんじゃないだろうか。


「……あの、一つ目の確認なのですが。魔王城って人間が暮らしても大丈夫なんですか?」


 だって、魔王城である。魔王の住む場所である。屈強な冒険者しか生存できないような環境だったら、一介のメイドには到底無理なのだけれど。


「人間を妻にするつもりで来たんだ。当然、人間が快適に住めるくらいの住環境は十全に整えてあるさ。人間の脆弱さはよく心得ている。日当たりも風通しも良好な部屋を手配した。転んで死なないように厚い絨毯も敷いた。寝返りで誤ってベッドから転落して死なないよう広めのベッドも用意してある。ああ、あれくらいだ」


 魔族の青年は、私がいい感じに花で彩ったベッドを指した。確かに広い。寝返りで誤ってベッドから転落して死ぬほど脆弱ではないけれど、ともかくそれくらいの繊細さを前提に配慮されているらしいので、ひとまず居住する分には問題ないだろう。


「あと魔王城の最上階にある無料の足湯コーナーも自由に使っていいぞ」


「最上階が足湯コーナー」


 それでいいのか魔王城。


「えーと……二つ目の確認なのですが、お給料は魔族の通貨でお支払いです、なんてオチではありませんよね?」


「そこも心配ない。ちゃんと人間の通貨で払う。これでも俺は人間の世界で、そこそこ経済力のある立場だ」


 魔族の青年は「こういう者です」と急に畏まった口調になり、美しい所作で私に名刺を差し出した。

 名刺には、王都にいれば誰もが耳にしたことのある有力な商会の名前と、その会長である旨が記されていた。


「……。え、会長?」


 信じられないという思いで名刺と彼を高速で見比べていると、「人間に化けての経済活動は高位魔族なら割とやってるぞ」と、事もなげに告げられる。


「まあ俺の場合、実際の仕事はほぼ部下任せだが。ともかくこれで、お前に現金で給料を支払うだけの経済力があることは分かったな?」


「それは、まあ……」


 ここまで「押し入り婚活魔族への対処」という、言葉にしたところでよく分からない事態への対応でそれどころではなかったけれど、改めて彼の姿をまじまじと見た。


 落ち着いて観察すれば、彼は非常に端正な顔立ちをしている。騎士団にでも所属していれば、確実に非公式ファンクラブができるだろう。そして有力商会の会長という肩書き及び財力。


 思い返せば、この青年が「式当日に花嫁を攫う」だの「偽装結婚を持ちかける」だの言っている理由は、「相手に惚れてもらう」ため、ひいては「相手に幸せな結婚生活を送ってもらうため」なのだ。人間なんて弱い生き物、力づくで妻にだってできただろうに。


 容姿端麗で、お金持ちで、思いやりのある青年。


 これならば、結婚式に乱入して花嫁強奪という前衛的な婚活を選ばなくても、普通に街で声を掛ける等の穏当な方法で充分に成功しただろうに……。


「なんだその憐れむような目は」


「いえ別に……。あの、本当に私でいいんですか? 今からでも普通に婚活をすれば、もっといい相手が見つかるんじゃないかなと。たまたま鉢合わせただけの私で無理に間に合わせなくても……」


 彼にだって女性の好みくらいあるだろうに、偶然ここにいた私で妥協せずとも……と思って口にしたのだけれど、「は?」と凄まじく低い声を返された。剣先のような鋭い眼差しに冷や汗が出る。


「なぜ他の人間を勧めるようなことを言う。逃げる気か?」


「え、いや、そういうわけでは」


「へえ……。ぜひ他の人間を連れ去れと。そして自分は見逃せと。ふーん……」


「そう言われると途端に私が人でなし」


「俺は数日以内に人間と結婚したい。だから花嫁を攫いに来たのにお前に邪魔をされてしまった。ゆえにお前は責任を持って俺と結婚しなければならない」


「これが噂の三段論法」


 いや全く三段論法ではなかったけれど、ともかく華麗に責任を負わされてしまった。


「……まあ、あなたが私でいいのなら、いいですけど……。ゴロゴロしていたら高額報酬がもらえる仕事なんて最高なので……」


「それは了承ということでいいか?」


「はい」


 頷くと、険しい顔をしていた青年は途端に明るい笑顔になって、「それはよかった」と朗らかに言った。この喜びよう。よほど今日中に結婚を決めてしまいたかったのだろう。彼の事情は分からないが、魔族の婚活も大変そうである。


「じゃ、お前は今日から俺の妻だ。さっそく契約書に記名を……」


「あ、すみません、ちょっと待ってください。私としては今から転職でもいいんですが、さすがに無断で退職すると職場に迷惑がかかるので……。うーん、どうしましょう。急な退職は現場の負担がですね……」


「そのへんは俺の部下にうまく処理させるさ。むしろお前は『魔族に狙われた花嫁を庇って身代わりに攫われたメイド』として、ものすごく感謝されると思う」


 実際には緩い勤務内容・手厚い待遇・高額報酬の三拍子に釣られて転職するのだけれど、客観的に見るとそうなるわけか。


「二階級くらい特進するんじゃないか?」


「扱いが殉職」


「だから安心して寿退職するがいい」


 まあ、この魔族の青年、放っておくと普通に城をうろうろして大騒ぎを起こしそうだしなあ……。王族の結婚式当日に魔族の侵入がばれて大騒ぎになる事よりも、メイドが一人突然退職することの方が、迷惑度としては遥かにマシだろう。うん。


「はい。今日からよろしくお願いいたします」


 お辞儀を返すと、魔族の青年は満足そうに頷いて手の平を差し出した。たちまち何もない所からポンと分厚い紙束が現れた。懐に入れておけば悪漢に刃物で刺されたとしても「こいつが守ってくれたんだぜ……」と言えそうなくらい、ものすごく分厚い紙束である。何だろう。


「これが契約書だ」


「これが契約書だった」


 もはや鈍器の域である重たい契約書を両手で受け取り、とりあえず一ページ目を頭から読んでみる。


 リシェル・テイル(以下、甲)と、ベルドラド・アウグスタ(以下、乙)は、婚姻および共同生活における諸条件の取り決めに関する契約書(以下、本契約書)にて……


 駄目だ、長い、冒頭の時点で内容が頭に入って来ない。


「これ全部読まなきゃ駄目ですか……? というか、なんでこんなに分厚いんですか……?」


「魔族の契約書は強力な縛りだから、微に入り細に穿ち諸条件を記さないといけないんだよ。大体はお前の健康な生活のための項目を書いてある。食事は適切な量を与えるだとか、十分な衣服を用意するだとか、枕の中身はソバ殻だとか。だから別に全て読まなくてもいいぞ。表紙のここに名前を書いてくれれば、契約は完了するから」


 全て読まなくていいと聞いて一安心し、これまた何もない所から現れた羽根ペンを受け取り、指定の箇所に「リシェル・テイル」と記名した。


「書きました」


「ん。契約成立だな」


 魔族の青年は上機嫌な様子で契約書を受け取って、ポンとは消さずに大事そうに懐にしまうと(すでに恋愛小説が二冊入っているはずの懐なのだが容量無限なのだろうか)、私の手を取った。


「よし、さっそく魔王城に連れて行こう。この城の使用人棟にあるお前の私物は後で部下に運ばせるから安心しろ」


「それは、細かなお気遣いありがとうございます。……あっ」


 大事なことを思い出した。声を上げた私に、魔族の青年は首を傾げて「どうした?」と訊ねる。


「寝室の整備を終えてからでいいですか? メイドとして最後の業務なので」


 夜風で少し乱れた花弁を整え直したいなと思ってベッドを指したら、魔族の青年は「真面目だなあ」と笑って、了承してくれた。


「なんか散らかってるもんな、そのベッド」


 無言で殴り掛かった。


「こ、これは、散らかってるんじゃなくて、散らしているんです……っ。初夜のベッドには花がいるんです……っ!」


「わ、分かった、ごめん、素敵だと思う、よく見たらお洒落、ごめん、渾身の成果だったんだな、ごめんって」


 魔族の青年は怒れる私を慌てて宥め、お詫びに「ちょっとやそっとじゃ花弁が動かない魔法」を仕上げに掛ける約束をしてくれたので、私も溜飲を下げた。


 断じて散らかっているわけではない、ロマンチックに花が撒かれた素敵なベッドを前に、メイドとして最後の仕事をやり遂げた達成感を噛み締める。


「ふう。これで思い残すことはありません」


「それはよかった」


 魔族の青年は私をひょいと抱き上げると、開け放たれたままの窓に向かった。ここから出るらしい。まあ、魔族が普通に王城の正門から帰るわけにもいかないから、窓から出るしかないだろう。


 などと考えながら大人しく横抱きにされている私を、彼はまじまじと見下ろす。


「しかし、お前は魔族を怖がらないな。普通は怯えるのに」


「いや、最初は驚きましたけど……まあ、あなたから敵意を感じませんでしたので。あと、幼い頃に魔族の子と遊んだことがありまして」


 十年くらい前の話だが、私は過去にも一度だけ、魔族と接した経験がある。


 森で木の実を集めていたら、ぽつんと一人でギャン泣きしている子を見つけた。心配になって理由を訊ねたら、腕輪が取れないのだと言う。綺麗な腕輪だけれど、これが外せないと家に帰れないと泣き続けるので、私の家に連れていって石鹸水を使って外してあげたのだ。


 腕輪が抜けた途端、その子に角と翼と尻尾が生えたので魔族だったと分かったけれど、怖いと思う前に無邪気な笑顔で「ありがとう!」と抱きつかれて、それですっかり仲良くなった。ベルと名乗った魔族の子と私は手を取り合って喜び、共にチーズケーキを食べ、肩を組んで石鹸水を称える歌を歌い、暗くなる前に別れた。


「会ったのはそれきりで、もう顔も覚えていないのですが、普通に楽しく遊んだ思い出だけは残っています。なので、今でも魔族を怖いと感じないのだと思います」


「ふーん。そう」


 魔族の青年は素っ気ないけれど穏やかな声で相槌を打つと、窓枠に足を掛けた。


「契約した後に聞くのもあれだが、後悔しないな?」


「はい。だって、たった一年間の偽装結婚で高いお給金を貰える仕事なんて、そうないですからね」


「そうそう。魔王城で一年」


 魔族の青年は腕の中の私を見下ろし、にっこりと笑った。


「――それから俺の領地で九十九年だ」


「え?」


 今なんて言った、という顔で見上げた私に、彼はいかにも気軽な調子で「まあ、合わせて百年だな」と続けた。さらりと、とんでもないことを言った。


「ひゃ、百……っ?」


「百年くらい一緒にいれば、まさか偽装結婚とは疑われまい。完璧な計画だ」


 あの分厚い契約書を精読しなかったのは、間違いだったらしい。

 蒼褪める私を横抱きにしたまま、魔族の青年はたんっと軽く窓枠を蹴った。


「あの、やっぱり、考えなお……」


 言いかけた言葉は、力強い翼の羽ばたきに掻き消されてしまった。あっという間に夜空高くに舞い上がり、思わず彼の首にしがみついて悲鳴を上げた。


「きゃあああああ! ちょ、ま、高い高い高い!」


 いや空を飛ぶだろうなとは思っていたけれど、人生初飛行の身でこの急上昇は予想以上の恐怖だった。必死にしがみついて「落ちる! 落ちる!」と叫ぶ私に、彼は「落ちない落ちない」と呑気な励ましを送る。否、ごうごうと強い風の音でよく聞こえない。


「……いつか一緒に空を飛んでやるって約束した時には、喜んでたのに。まあ必死にしがみつかれるのも悪くないからいいけど」


「あの! なんか! 言いましたか!」


「いいや」


 急上昇の強い風圧が、ふっと和らいだ。ぎゅっと瞑っていた目を怖々開けると、遥か下に王城の灯りが見えた。魔族の青年は私を抱えたまま、ゆったりと夜空を進んでいる。安定飛行に入ったらしい。動悸が少しずつ治まってくる。


「高い所は苦手なのか?」


「高い云々の前に飛行が初めてで……って、それどころじゃないです、あの、さっきの話なんですけど。あなた、『少しの間』って言いましたよね? 百年って本気ですか?」


「ああ。たった百年の結婚生活だ。楽しくやろう、リシェル」


 魔族の時間感覚では、百年は「たった」の年月らしい。

 けれど私にとっては、彼が生涯の夫になるということが確定である。


 もはやその結婚が偽装かどうかなんて関係ない、だって私が驚異的な長寿を記録しない限り、私は死ぬまで彼の妻役なのだから。


 魔族と人間の感性の違いを考慮していなかったことと、契約書をちゃんと読まなかったことを、つくづく後悔して。


 ふと、違和感を覚えた。


 さきほど「リシェル」と呼ばれた。

 契約書には私の名前が書いてあった。

 だけど、私はまだ、彼に名乗っていない。


「あの、どうして私の名前を知っ、きゃああああ!」


 訊ねようと思ったら、彼が急降下を始めたのでそれどころではなくなってしまった。しっかりと抱えられているので落とされはしないだろうけど、反射的に全力でしがみつく。


「だっ、大丈夫ですかこれ落ちてませんか落ちてるじゃないですか翼つりました!?」


「落ちてない。降りてるんだよ。ほら、花畑が見えるだろ。摘んで帰るぞ」


「は、花?」


「可愛い妻の趣味に合わせようと思って」


 魔族の青年はふわりと花畑に降り立つと、腕の中の私を見下ろした。

 どこか見覚えがあるような、無邪気な笑顔で。


「初夜のベッドには花がいるんだろう?」




はじめましての方も「短編版を読んだことあるよ!」な方も、

お越しいただきありがとうございます!


以上、「偽装結婚の始まり」編でした。

ここまでが短編版とほぼ同じ内容になります。


次話から「魔王城メイドの始まり」編、スタートです!



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『初夜のベッドに花を撒く係~』
書籍版の情報は
角川ビーンズ文庫公式サイトで!

短編版の読み切り コミカライズもぜひ!
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― 新着の感想 ―
惰性で読み始めたら1Pから吹き出しました。久々に面白い物語に出会えたことに感謝を。
日当たりも風通しも良好な部屋 > 日当たりが強すぎて灼熱、風通しが良すぎて全ての話が筒抜けだったり。
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