◇18.新婚二日目の爽やかな朝
魔族と偽装結婚し、気絶している間に魔界に到着、なんやかんやで魔王城のメイドに採用されて、その翌朝。
朝の身繕いを済ませて居間に向かうと、空腹を誘うような良い匂いが漂っていた。テーブルを見れば、前回と負けず劣らずの豊かな朝食が準備されている。
「おはよう、リシェル」
席についているのは、随分とご機嫌な様子のベルドラドだ。窓から差し込む朝日、良く晴れた青空、きらきらと輝く笑顔。やはり爽やかな絵面である。
「おはようございます、ベルドラド。早起きですね」
「可愛い妻の顔を早く見たくて」
さらりと甘い応答しつつ、わざわざ席を立って向かいの椅子を引き、私を座らせるベルドラド。恋愛小説でのびのびと溺愛夫婦観を学んだ影響なのか、はたまた人間のか弱さを過大評価しているためなのか、彼は基本的に甲斐甲斐しい。
「本日の口説き文句だが」
「あ、毎朝ある感じなんですね……」
「リシェルを口説き落とせるまで改良を続ける所存だ」
さっと跪いたベルドラドは、椅子に座る私の手を恭しく取った。
「ああ、中庭の白い薔薇に目を輝かせる姿が愛らしく、この薔薇は獲物を捕食した直後は吸った生き血で鮮やかな赤に染まってさらに綺麗だぞと教えたらなぜか遠い目になってしまったがそれはそれで愛らしかった、今日のメイド姿もとびきり可憐な、まさしくメイドの中のメイドと言っても過言ではない、世界で最もメイド服が似合う美しき花嫁よ……。どうだ? 全面的に改稿してみたんだが。惚れたか?」
「前半は如何とも評しがたいので置いておいて、なぜ後半をメイド服に全振りしてしまったんですか」
私が微妙な顔で評価すると、ベルドラドは「だって」と、はにかんだ。
「リシェルが俺のためにメイド服を着ているのだと思うと、一層可愛らしく見えて」
***
昨日、私の就職に相当動揺したらしいベルドラドは(今冷静に思うと、少し目を離した隙に妻が自分の職場で就活して内定まで取っていたら、まあ驚くと思う)、事の発端がアイザック博士だと瞬時に見抜き、「だって魔王城にもメイド要素が欲しくってえ!」と、事務室内を逃げ惑う博士を尻尾の電撃で気絶させた後、「どういうことだリシェル」と、なかなか怖い顔で私に詰め寄ってきた。ちなみにその間、テイジーさんは凛々しい顔で事務作業を続けていた。ぶれない。
「確かに契約書に共働き禁止の記載はないが、だからってどうして魔王城の従業員になる必要がある。俺の妻でいさえすればいいと言ったはずだ」
すっかり部屋の隅っこに追い詰められた上に、逃げ道を塞ぐように広げられた翼、雷を纏ってバチバチと鳴る尻尾。圧がすごい。
「それは、あの、この方が私もベルドラドも、色々と便利になるかなって。申請の手間も減るし、ひとりで自由に動き回れるようになりますし……」
しどろもどろになりつつ説明をしてみたら、これまた地雷だったようで、「は?」と凄まじく低い声を返された。
「なぜリシェルがひとりで出歩く必要がある。逃げる気か?」
「それは、ほら、ちょっと散歩するとか。そういう些細な理由で、いちいちベルドラドを呼ぶのも、なんか気が引けるなって……」
「ひとりは不安だとか言っておいて、もう呑気に散歩する計画を立てていたのか」
「それは、まあ、会う魔族の皆さんがことごとく怖くないもので、これはもう普通に過ごせるなって……」
今のところ私が魔王城で接した魔族と言ったら、もこもこしいケルベロスたちに、親切丁寧なテイジーさんに、初手で好意全開のアイザック博士なのだ。この面子のどの辺を怖がれというのか。
「それに、これが一番大事なんですけど……私がメイドになれば、あの問題も解決すると思って」
「あの問題?」
「その、私を妻にしたベルドラドが、周りから色々と言われてたじゃないですか。主に私のせいで」
ここまで私の説明を聞いたところで、いまいち反応が薄かった(むしろ火に油を注いだ感すらあった)ベルドラドが、初めて目を丸くした。
「だから、私がメイドとして魔王城で働く姿を見せれば、ベルドラドに色々と言っていた皆さんも、納得してくれるかなって」
そう。私が正式に魔王城のメイドになれば、うっかり広まってしまった「ベルドラドは嫁にメイド服を着せて歩かせる重度のメイド好きである」という、謂れなき風評被害を払拭することができるのだ。
なぜならメイドがメイド服を着ることは当然の摂理、私はメイドなのでメイド服を着ている、ゆえにベルドラドの趣味による被服ではない。という三段論法(?)が展開できるのだ。万事解決である。
「だからメイドに再就職してみたのですが……駄目だったでしょうか」
私の軽率な服選びで広まった噂は責任を持って収めます、という気持ちを込めた眼差しでベルドラドを見上げたら、彼は「リシェル……!」と、感動の滲む声を上げ、頑なだった表情を一気に和らげた。
「……そうだったのか……メイドとして役に立つ姿を見せれば、人間と結婚した俺の評判が良くなると考えて、こんな行動に……」
独り言のようでよく聞こえなかったけれど、ともかく私の狙いは伝わったらしい。ベルドラドは申し訳なさそうな瞳で私を見た。
「ごめん。俺は周りが何を言おうがどうでもいいと思ってたけど、リシェルはそこまで気にしてくれてたのか。リシェルが気に病む必要はないのに、憧れの怠惰で優雅なゴロゴロ生活まで捨てて……」
「いえ。確かに日がな一日ゴロゴロする生活に憧れはありましたが、どうにも私には向いてなさそうだと分かったところだったので、程よい仕事ができて丁度よかったです」
本心で言ったのだけれど、ベルドラドは私が気を遣ったのだと捉えたらしく、「ありがとう」と、照れたように目を伏せた。
「……その、私の方こそ、ごめんなさい。夫のあなたに相談もなく再就職して、驚かせましたよね」
よかれと思って速攻で就職したけれど、まずは相談すべきだったなあと、今更ながら反省した。もしもベルドラドとの契約書に「妻役の就業禁止」の項目があったら、うっかり契約違反をするところだったのだ。
「いや、いいんだ。確かに受理済みの雇用届けを見せられた時には予想外過ぎてすぐにでも手足を拘束して地下室に監禁してやろうかと思ったが、リシェルの真意を知った今は、むしろ嬉しいくらいだ。まさか俺のためにメイドに復帰してくれたなんて……」
前半に不穏な内容があった気がするが、ともかくすっかり険の取れた様子のベルドラドに安心した。私の就職理由に納得してくれたようだ。説明は大事である。
「精一杯働いて、魔王城のあちこちで宣伝しますね。ベルドラドの妻は立派なメイドなんだぞ、ということを……!」
拳を握って力強く決意表明をしたら、ベルドラドはとっくに雷の収まった尻尾をぱたぱたと振って、「うん」と、子どものように頷いたのだった。
というわけで「錯覚の始まり編」、スタートです!
毎週水曜&土曜のお昼頃に更新です。
また、前回お知らせした短編版のコミカライズについて、電子で単話配信が始まりました。
1/17の活動報告にて、超素敵なカラー扉絵(by山本まくや先生)を載せておりますので、ぜひフルカラーで薔薇まみれなリシェル&ベルドラドを見てみてね……!




