◇15.魔王城の研究員 アイザック博士
唐突にテイジーさんとふたりきりになってしまったけれど、彼女はベルドラドがいなくなったところで、私への丁寧な物腰は変えず、「申請書に不明点があれば遠慮なくお聞きください」と、親切だ。安心である。
他に魔族もいないし、テイジーさんは黙々と事務作業をしているし、静かなうちに集中して読もう……と、申請書のページをめくったところで。
バアンと勢いよく扉が開かれた。
「やっほー、テイジーくん! 爆破実験の許可をもらいに来たよ!」
元気よく入室してきたのは、白衣を着た青年だった。
四方八方に跳ねまくった髪は、まず人間では見ない鮮やかな青色。二本の角は丸く曲がっていて羊のようだ。大きな丸眼鏡が白く反射して目元は窺えないが、口元には陽気な笑顔を浮かべている。
白衣の青年はカウンターの隅にいる私を視認するや、「ええっ!」と仰け反った。
「め、め、メイドさんだあ!」
爆破実験の許可(爆破実験の許可?)をもらいに来たのだろうに、青年は一直線に私へ駆け寄ってきた。
「わああ、ここに人間がいるなんて珍しい! 初めまして可愛いメイドさん!」
爆速で距離を詰められて戸惑う私に構わず、青年はこちらの両手を取ってぶんぶんと勢いよく握手をした。
やっぱり丸眼鏡が白く反射していて目の表情は読み取れないが、凄まじく興味津々な眼差しをこちらに向けていることは、ありありと分かる。
「え、あ、はい、初めまして、リシェルと言います」
「やあやあリシェルくん! 申し遅れてすまない、僕はアイザック・モフモフ! 気軽に『博士』と呼んでくれたまえ!」
「は、はあ。アイザック博士」
「素直! よーしよし、いい子の君には飴玉を……あっ、飴玉切らしてたや。他に何か持ってたかな、ちょうど手頃な爆発物があったような、あれー?」
白衣を探り出した眼鏡の青年――アイザック博士の背に、何かが見え隠れしているので目を遣ると、モフモフという家名に違わずもふもふした短めの尻尾が左右に揺れていた。こちらも髪と同様に青色で、もふめく様子がむやみに可愛い。
「あ、尻尾が気になるかい? 服に穴が開いてるのかなーって気になるかい? 気になるよね!」
尻尾を追う私の視線に気が付いたアイザック博士は、白衣を探る手を止めて嬉しそうに胸を張った。
「ふっふっふっ、これは尻尾用の穴が最初から開いているわけじゃないのだよ。ご覧、脱いだ白衣には穴が開いてないだろう? でも着るとこの通りさ! 尻尾だけが通過する作りなのだよ。魔族はよく尻尾や翼の出し入れをするからね! 便利だろう?」
「へえ……すごいですね」
地味に「ベルドラドは翼とか尻尾があるけど服に専用の穴が開いているのだろうか」と気になっていたのだけれど、そんな特殊な仕組みだったとは。
素直に感心していたら、アイザック博士に「ああ、分かってくれるかい! そう、これはすごいのだよ!」と、何らかの熱が入ってしまった。
「これは術者の任意の物質のみを通過させる結界魔法の応用で作られた選択透過性の魔法を付与した布であり初代モフモフが発明して以来我ら魔族の生活に欠かせないものとなり特に寝るときに正直言って翼が邪魔だから仕舞って眠る天魔などの種族に翼用の穴が不要な寝間着として大受けで当時の魔王様から賜った『すごい発明で賞』のメダルは今でもモフモフ家の暖炉の上に燦然と」
人間なら酸欠になるだろう文章量を一切の息継ぎなく(しかも噛まずに)話し続けるアイザック博士。さすが魔族である。
そして残念ながら「これは術者の任意の」以降の内容があまり頭に入ってこなかったのだけれど、この熱弁を止めるのも憚られる。というか止まるのかこれ。
助けを求めてテイジーさんの方を見たら、彼女は凛とした表情のまま無言で頷き、静かに拳を打ち出す仕草をした。殴って止めろということらしい。そんな物理な。
「……そしてなんと契約の絶対性を利用することで肉体と魂の変質さえも可能であると実証し……って、あれ、何の話だったっけ?」
親切なテイジーさんがどこからともなく取り出した金棒(『対アイザック用』と書かれている)をカウンターに置いて、さりげなく私に勧めてくれたところで、アイザック博士の長広舌がようやく止まった。
「まあいっか! ところでリシェルくんは事務室で何を? メイドさんだし、お掃除かい?」
「あ、いえ、この格好をしておいて何なのですが、私はメイドではなく……」
正直に話せば『ベルドラドと偽装結婚をした妻です』となるが、当然ながら偽装結婚は偽装だと周囲にバレてはいけないものである。普通に妻と名乗ろう。
「ベル……魔王城に住んでいる魔族の、妻です。昨日結婚したところでして……」
「ああ! じゃあ、君がベルドラドくんの!」
アイザック博士は得心がいった様子で手を打った。どうやらベルドラドと面識があるようだ。
「なるほどね、魔王城に人間がいるなんて珍しいなって思ってたけど、君がベルドラドくんのお姫様だったのか! 前々からベルドラドくんがお姫様を連れてくる計画を立ててたのは知ってたから、どんな子なのか楽しみにしていたのだよ!」
「あの花嫁誘拐計画をご存じの方がいたとは……いえそれが、私はお姫様ではなくてですね。ベルドラドも最初はお姫様狙いだったのですが、色々あって私になりまして」
「なるほど、お姫様にしてメイド……お姫イドだと言いたいのだね!」
「メイドの多様性が止まらない」
アイザック博士は私の申請書を覗き込むと、「ふむふむ」と博士らしく唸った。
「リシェルくんは魔王城で暮らすにあたって、一時滞在の手続きをするつもりなんだね? 『客人』として」
「はい。人間が魔王城を出歩くには、その申請が必要だと聞いて」
「でもさでもさ、この申請、けっこう不自由だとは思わないかい?」
アイザック博士は一目で申請書の内容を把握したらしく、トントントンと目当ての記載を軽やかに指していった。
「出歩く際には招待者の同伴が必要。滞在許可の期間は最大で一か月。ゆえに滞在を続けるのなら月ごとに更新が必要。ね? 君が出歩くには必ずベルドラドくんの同伴が必要で、しかも毎月手続きをしなくちゃいけないなんて、不便だろう?」
「それは、まあ……」
私ひとりでは自由に出歩けないという制約があると、不便は不便である。
いや、ベルドラドは私に「部屋から出なくていい」とは言っていたし、魔王城に住むのは一年間だけという契約だけれど、さすがに妻役が一年間ずっと部屋から出ないというわけにはいかないだろう。
何か用事(それこそ滞在の更新とか、もしくは外の空気を吸いたいとか)で私が部屋を出る度に、いちいち付き添う必要があっては、ベルドラドの方も大変だ。
「でも、そういう規則なので仕方がないのでは……」
「ところがどっこい、リシェルくんが魔王城で自由に動ける身分になれる、かつ、申請が一回で済む方法があるのだよ!」
アイザック博士は事務室の『各種申請書はこちら』と書かれた棚から、紙を一枚取り出し、私に見せた。
「これは?」
「雇用届けだよ」
アイザック博士は不敵な笑み浮かべた。
「ねえリシェルくん、魔王城のメイドにならない?」
だいたい夜に投稿しますと言っておいて速攻で昼前に投稿してるけど気にしないでね!
次話は12/10(火)に投稿です。




