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第18話 悪の華ほど美しく

「なんでなんだ」

ローシャは自室で何度も手の中の招待状を眺めてはため息を繰り返した。

カインからのお茶会の招待状が届いたのは、つい先刻のことだ。

ローシャは恐る恐る開いた手紙の中の招待状を再度読んで机の上に放り投げた。

「行くべきか、行かないべきか」

そう考えたところで家のためを思うなら行くしかない。

家族はローシャがピーテル・バウル・ルーベンス卿の次男、カインと縁が繋がることを願っている。

手紙を使用人から渡された時、側にいた両親の目が期待に満ちていた。

先日の舞踏会で縁が出来たと思ったのだろう。

しばらくごろりとベッドの上で自分の気持ちと家族の期待を秤に掛けた。

答えはあっさり出ているけど、抗いたい気持ちもある。

それでもローシャは家族のためになることを選んだ。


カインと会うために両親は張り切ってローシャの服を誂えた。

蔑ろにされたことはないけれど、いつもより熱の入りようにローシャはうんざりとしていた。

カインのことは好きか嫌いか聞かれればあまり得意ではないし苦手な部類の人間だ。

それに彼はいつかは自分達を害そうとするかもしれない。

そんな予感はしていた。

ローシャはここで自分がカインを御して大切な人達になにかされないように牽制するつもりだった。

あまり波風を立てることを良しとしない性格だが、リオンや家族のためなら頑張るしかない。

ローシャは握った拳をより握り締めた。


カイン主催の仮面舞踏会振りに訪れたピーテル・バウル・ルーベンス卿の屋敷は相変わらず美しいものだった。

馬車から降りると執事に連れられて玄関先までやって来ると唐突に扉が開いた。

「やあ、ローシャくん。窓から君が来るのが見えてね、迎えに来たんだ」

カインは心底嬉しそうに、邪気のない天使のような微笑みでローシャを歓迎した。

「お久し振りです」

ローシャが上位の存在に向けて礼をするとカインはすぐにやめるようにローシャの顔を上に向かせた。

カインの瞳とローシャの瞳が合う。

「やめてよ、ローシャくん。僕とローシャくんは友達なんだから、爵位なんて気にしないで君とその親友のように…というのはまだ早いかな?気にせず気軽に話し掛けてくれよ。僕のこともカインと呼び捨てにしていいから」

このセリフだけ聞くとカインはローシャに対して穏やかに親密になりたいとアピールしているようだが、カインの手は未だにローシャの顎を支えて上を向かせて瞳を合わさせる。

ローシャは返答を考えていると、カインからの拘束がなくなった。

「まあいいや。今日は君と仲良くなるのが目的なんだ。ゆっくり話をしてお茶を飲んでお菓子を食べてのんびりしようよ。ローシャくんのために庭も手入れを頑張ったんだよ。庭師が、だけど」

今日のカインは随分と口が回る。

いや、いつもか。

いつの間にかカインのペースになっているのだ。

手を繋がれ、されるがままにカインの後を歩いて庭の中の方にいくと黒い薔薇が一面を囲うスペースに出た。

円形になっていたその場所の真ん中にはテーブルと椅子がセッティングされており、ここがお茶会の会場だと察せられる。

椅子に座ると侍女達がお茶会のセッティングをしてまた見えない位置まで下がっていった。


ローシャは初めて見る黒い薔薇に目を瞬かせた。

「黒い薔薇なんて…」

「トルコ南東部にあるシャンルウルファと呼ばれる地域から取り寄せたんだ。綺麗だろう?この間の仮面舞踏会の仮面もこの薔薇をモチーフに付けていたんだけれど、気付いてくれたかな?」

少し悪戯っ子みたいな表情でウィンクされる。

ローシャは考えた。そういえば蔦に絡まれている薔薇が左側に描かれていたような気がしなくもない。

「確かに、そういった趣向の仮面だった気もするね」

「あれにはね、ある人に向けた意味もあるんだよ」

リオンはそう言うとその時の仮面を取り出してローシャに付けた。

「黒い薔薇の花言葉の一つはね、あなたはあくまで私のものなんだって」

その瞬間、カインの空っぽな悪意が満たされていくような感覚に陥った。

やっぱりローシャくんは特別だ。

カインが黒薔薇の仮面をつけたローシャを見て微笑むと、仮面ごとカインの手はローシャによって強く薙ぎ払われた。

「悪趣味なのは相変わらずだね」

「ひどいな、ローシャくん。とても似合っていたのに」

「似合う、似合わないはともかくその花言葉を僕に言ったことと勝手に僕に触れるのはやめてくれないか」

くすくすと笑うカインとは対照的にローシャの温度は下がっていく。

「冗談だよ、冗談」

嘘だけど。

と、心の中で舌を出して嘲笑ってカインは投げ捨てられた黒い薔薇の仮面を拾った。

「本当にローシャくんはかわいいね」

にこりと微笑めば顔を歪められる。

それが面白くてまた微笑んだ。

「本当に君は悪趣味だ」

「そうかなぁ」

カインは首を傾げて座っていた椅子を後ろに少し揺らすと、少し冷えた紅茶を口に含む。

「ローシャくんとはいいお友達になれると思って」

「お友達」

ローシャは馬鹿みたいに鸚鵡返しをした。

今までのことからどう考えてもカインが単にローシャと純粋な友情を築きたいとは思えなかった。

「ローシャくんもお茶でも飲んでよ。そういえば探偵をしているんだって?事件の話とか聞きたいな」

促されてローシャもようやく紅茶に手をつけると紅茶は異国の味がした。

「珍しい茶葉だろう?ローシャくんに気に入ってもらえるといいんだけれど」

「嫌いか嫌いじゃないかで答えると嫌いじゃないよ」

素っ気なく答えても回りくどいローシャの讃美を即座に見抜いてカインはにこりと微笑んだ。

そんなカインに居心地が悪くなってクッキーの皿の山から一枚手に取り口に運ぶ。

こちらも甘いかと思いきやスパイスが効いていて紅茶に合っていた。

「美味しい」

「それは良かった」

ローシャが不意に漏らした本音に笑みを深くしてカインもクッキーに手をつけた。

「うん。美味しいね」

ローシャは混乱した。

揶揄われたかと思いきやすぐに身を引いてローシャ好みのものを与えて甘やかす。

「君は何がしたいんだい?」

「言っただろう?友人になりたいのさ」

「……僕は、これまで君がやってきたであろうことを許す気はないよ。憶測でしかないけどね」

「それでいいよ。僕は君に許されたいなんて思っていない。僕のままで君の隣に立ちたいんだ」

カインが何を考えているのかローシャにはまだたくわからなかった。

返答を考えてまた紅茶を一口飲む。

沈黙が場を支配したが、そうなると美しいカインが余計に彫像に見える。

悪癖さえなければ完璧な男なのだ、カインとは。

ローシャが答えられぬまま何度も紅茶を飲み続けるとやがて空になり、どこからともなく侍女が現れて新しい熱い紅茶をカップに注いだ。

目が合えばにこりと微笑まれる。

ローシャはため息を吐いた。

家としてはカインと繋がった方がいいのは分かっている。

ここは友好的になるべきだ。

「僕はまだ納得はしていないけれど、君が悪さをしないなら友人になってもいい」

「悪さなんてしていないさ。いつも飽きていてちょっと遊ぶだけだよ」

その遊びがどんなものかはローシャはまたうんざりとしながらカインに語り掛けた。

「飽きているのなら僕がお勧めの本を貸すからそれで大人しくしていておくれよ」

ローシャの願いにカインは瞬かせた。

「僕も読書家の部類だけれど、満足のいく本なんだろうね」

にやりと笑うが心底楽しそうだ。

「ローシャくんと約束しちゃったねぇ。どんな本を貸してくれるのか楽しみだ。さあ、今はそれよりも事件の話を聞かせてくれよ。これでもそう言った類の話も大好きなんだ」

身を乗り出して強請る姿は無邪気なものだ。

ローシャはため息を吐きながら、招待状が届いてから何度したのだろうと考えながら口を開いた。


「ローシャくんってすごいねぇ」

「すごいのは僕の周りの人達です。主にリオンや警部には大変助けられています」

「まだあるの?」

「あと少しは」

「聞かせてよ」

キラキラした瞳で訴えられてローシャは乾いた喉を紅茶で潤し、再度語って聞かせた。


「いつかローシャくんも僕の遊びに付き合ってくれたらいいのになぁ」

うっとりと光悦した表情でカインが零したのは関わったすべての事件を語り終えた時だった。

ローシャが何かを言う前に、門前でなにやら騒ぎが起きたらしく執事やって来てカインに耳打ちした。

カインが楽しそうな表情をするのを見て察したローシャは椅子から立ち上がった。

「申し訳ないけれど、君と遊ぶ日は来ないかもしれないよ」

「なんでだい?」

「僕の大切な親友も、大切な人達も、そんなに柔じゃないってことだよ」

椅子に座るカインを見下ろしながらローシャは一礼した。

「それでは。お茶会自体はそんなに悪くなかったよ。珍しい茶葉と菓子にも出会えたしね」

「そう言うと思ってお土産に用意しておいたよ。君の大切な人達と楽しむといい」

小箱を渡されたローシャが猜疑的にカインを見詰めると、カインは肩を竦めた。

「何も入っていないよ。そういうのは僕の趣味じゃない」

「そうだね。君は直接的に分かりやすく相手をどうにかすることはないだろう」

「信じてくれてありがとう。さあ、親友くんがうちの護衛兵に傷付けられる前に迎えに行った方がいいよ」

「そうするよ。さようなら、カイン」

ローシャは初めてカインの前でカインの名を口にするとカインはとても満たされた気がした。


「やあ、リオン」

侍女に案内され門のところまで来ると、リオンが護衛兵と揉めていた。

「迎えに来てくれてありがとう。同じ馬車で帰宅していいかな?話はそこでしよう」

そうローシャが尋ねると、リオンは護衛兵を振り払い頷いた。

二人でローシャの家の馬車に乗り、リオンの家の馬車を先に帰らせるとローシャが問い掛けた。

「どうしたんだい?急に」

リオンは神妙な顔になった。

「だって、お前、その、自分じゃ隠しているみたいだがカインと会った後は情緒不安定だろ?」

もっとも知られたくはなかったリオンに気取られていてローシャは自分もまだまだだなと反省した。

「そうだね、あの人は苦手かな」

「じゃあ、この間は仮面舞踏会なんて誘って悪かったな」

「いいや、あれはあれで充足したものになったしね。特に気にしていないよ」

その言葉にリオンがぐいっと身を近付けた。

「なら、さ。なんで今日はカインとの二人きりのお茶会なんてのに来たんだ?俺はお前の家に行ってそう聞かされてお前に何かあるんじゃないかと思って気が気じゃなかったぜ」

リオンの真剣な眼差しにローシャはやはりこの親友を守るのは自分しかいないと思った。

「心配を掛けてごめんよ。まあ、これからどうなるかは分からないけれどやはり彼は危険だと改めて思ったよ」

「危険だって分かっているなら不用意な真似はしないでくれよ〜!」

ローシャの肩をガシッと握って項垂れたリオンを見てローシャは笑った。

「いつもと逆だね」


ローシャが帰った後の庭で、カインはまだ黒い薔薇に囲まれて一人でティータイムを楽しんでいた。

「ローシャくんは僕のことを分かっていてくれる」

黒い薔薇が薄暗くなるにつれて闇夜と混じる。

「じゃあ、壊しちゃってみてもいいかな」

カインの呟きは風によって消された。

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