8 兄弟事情
「ぅうっ、ぐすっ……」
球場の地下にあるトレーニングルーム。その片隅からすすり泣く声だけが聞こえていた。
「…………シェリファ?」
ルグスは声の聞こえる方へゆっくり歩く。名を呼んだのが聞こえたのか、トレーニングルームが静まり返った。
少しして、器具の陰からシェリファが姿を現した。泣き腫らした顔を申し訳なさそうに歪め、頭を下げる。
「ごめんなさい。あんなに教えてもらったのに、出来なくてごめんなさい。私のせいで負け——」
「違う!」ルグスは慌てて声を上げた。「シェリファのせいじゃない。ろくに練習もせずぶっつけで初めてって状況でやらせた俺に責任がある」
「でもっ……やっぱり駄目だったんです。私なんかがパーティーに入るなんて……そんな資格、無かったんです」
「そんなこと——」
「抜けます。これ以上、ルグスさんの足を引っ張りたくないですから」
シェリファは顔を俯け、ルグスの横を通り過ぎようとした。
彼女の肩にルグスは手を置く。
「待って。上のランクの迷宮に行きたくないのか? それが関係無くなるくらい俺といるのが嫌なのか?」
「っ、違います! ルグスさんと一緒にいるのが、嫌なわけないじゃないですか!」
「だったら抜けるとか言うなよ」
「でも、私が野球をしていれば勝てる試合も勝てません」
「君には魔法があるだろ?」
打てず守れず走れもしない——それでも魔法が使えるならば、冒険者野球ならではの役割がある。ベンチにいて、魔法を使う専門。〝専任魔法士〟という役割が。
「野球をすることに引け目を感じるなら、ベンチで魔法を使ってくれるだけでいい。〝専任魔法士〟っていうんだけど、凄く重要な役割なんだ。強化魔法をかけたり、怪我を治したり、体力を回復させたり。そういうのをしてくれる人がいるだけで、勝ちやすくなる」
「…………どうしてですか、ルグスさん……どうして、野球のできない私に、そんなに優しくしてくれるんですか?」
ルグスはきょとんとしてしまった。普通に接しただけで、特別優しくしたつもりはなかったからだ。
少し考えて、ああそうか野球できなかったら酷い扱いされること多いんだっけ、と思い当たり、ルグスは苦笑した。
「俺、4人兄弟の末っ子なんだけど、一番歳の近い兄ちゃんが体弱くて野球できなかったんだ。でも、凄く優しくて良い兄ちゃんで……だからだと思う、野球できない人に対する負のイメージみたいなのが無いのは」
思い浮かぶ顔はいつも楽しげな笑みだ。ロクス・ノクターム。子供の頃こそ入院を繰り返し外になんて出られなかったが、今は元気に王都で料理店の店主をしている。店の評判に係わるため、野球未経験なのは内緒らしい。
「だからシェリファ、野球できないからって自分を卑下しないでくれ。兄ちゃんも馬鹿にされてるみたいで嫌だから」
「……ごめんなさい」
シェリファは顔を上げて、ルグスを真っ直ぐ見つめた。そして、微笑む。
「魔法なら任せてください。私がベンチにいるってことは、新しいメンバーを探さないとですよね。頑張りましょう!」
暗雲を吹き飛ばすような、強く明るい声だった。これ以上うじうじするものか、と前に進む決意を表しているようだった。
ルグスは笑顔で頷いた。
2人でトレーニングルームを出て廊下を歩いていると、すれ違ったギルド職員に「チッ」と大きく舌打ちされた。明らかにルグスを睨みつけての舌打ちだった。
シェリファは驚いて立ち止まる。
「ルグスさん、何かしたんですか?」
「あ、いや……何もしてないけど、これからもこういうことあると思う。俺、幹部にも職員の多くにも嫌われてるから」
「何もしてないのに嫌われてるんですか……?」
目を瞬かせるシェリファに、ルグスは肩を竦めた。
「さっき話した兄ちゃんとは別の兄ちゃん……レーグスって名前なんだけど、レーグス兄ちゃんはプロなんだ」
「……何のプロですか?」
「プロ野球選手なんだ」
「え!」
シェリファが目を丸くする。
「それで、レーグス兄ちゃんが所属してるのが、幹部の贔屓球団のライバル球団で……そのせいで俺まで嫌われてるというか憎まれてるというか……」
「そんなことで……大変ですね」
「さっき舌打ちされたのは多分、昨日の試合でさっきの人の贔屓チームがレーグス兄ちゃんのチームに負けたんだと思う。俺も結果見たけど、相当好き放題やられてたっぽいからなぁ」
苦笑いを浮かべるルグス。シェリファは首を傾げる。
「プロ野球の試合結果って、球場に行かなくても分かるんですか?」
「ああ、毎日発行される野球誌に細かく試合経過とか書かれてるんだ。冒険者ギルドなら各支部と本部に10くらいずつは置かれてて自由に読める」
「そうなんですね! 私もそういうのを読めば、今より少しは野球が分かるようになるでしょうか」
「かも。よかったらレーグス兄ちゃんのいる〝スタラト・ホーンウルフズ〟を応援してほしいな。冒険者界隈では不人気だけど……」
「もちろんそのチームを応援します。でも、どうして不人気なんですか?」
「凄腕の冒険者がいっぱい引き抜かれたり、冒険者になれる実力者がスカウトされてホーンウルフズに行っちゃったり、みたいな……そういう因縁があるらしい。これは幹部とか職員の事情で、冒険者たちに不人気な理由は単にスタラト出身者が少ないからだと思う。地元の球団を応援する人が多いし」
「なるほどです」
「ちなみに幹部の贔屓は〝プリウラ・ファングラビッツ〟か〝ジャトン・スライムフェデルズ〟で、この3つが、ホ・リーグで毎年のように優勝争いしてるんだ」
「ホ・リーグ?」
「ホーフ・リーグのこと。他にス・リーグことスピシア・リーグがあるんだ」
会話を弾ませているうちにギルド併設の食事処に来ていた。何となく2人とも、ここで昼食にするつもりだった。
自然と同じテーブルに着き、対面で座る。
「どれが安かったっけな」
「私、奢りますよ?」
「そういうわけには……」
メニューを広げていると、横からガシャンと大きな音がした。