20 拠点
「あーあ、普通に勝ちたかったなぁ」
ルグスの呟きに、シェリファとウェーナリアも同意を示す。
「あんな中途半端に終わるルールがあるんですね」
「気持ちよく勝てそうだったのに、変な雰囲気になっちゃったし」
南部フェリアール支部から転送装置に乗って南南西支部に戻り、受付へ向かう。
そうして現在のランクポイントと序列を聞いた〈烏の休息〉は、まだCランク迷宮までしか行けないことにがっかりした。もしかしたらBランク迷宮に行けるようになっているのではないかと期待していたのだが、そう都合良くはいかなかった。
3人で一旦外に出て、通行人の邪魔にならなさそうな木陰で立ち止まる。
「どうする? またどこかのCランク迷宮行く?」とルグスが気乗りしない様子で問うと、
「そういえば」ウェーナリアが手をぽんと叩いた。「ふたりとも、それぞれ宿に泊まってるんだよね? 拠点は無しで」
「え、ああ。君もだろ?」
「今はね。でも、前のパーティーでは拠点で暮らしてたよ。大きめのアパートを借りてた。だから、〈烏の休息〉でもそうしたらどうかなって思ったし」
その提案には魅力を感じた。迷宮で得た物や稼いだお金を分配したり一時的に保管したりするのに別の場所を用意せずに済むし、共用の荷物を置いておくこともできる。迷宮に行くために時間と場所を決めて待ち合わせるなんて必要も無くなる。一緒に住めるくらいの信頼関係さえあれば、拠点を持つメリットは大きいのだ。でも、とルグスは苦笑いする。
「そういうの借りる時って最初にまとまったカネがいるって聞いたことあるんだけど……」
「うん、仲介業者に払う分と保証金で最低でも家賃5か月分くらい要るし。……やっぱ無理かな?」
「それって、具体的にはいくらくらいなんですか?」
シェリファが尋ねた。金額次第では全額出すと言わんばかりの表情で。
「ごめん、分かんない」ウェーナリアは申し訳なさそうに笑う。「物件によってかなり差があるし、時期によっても大きく変わるから。ごめん、よくよく考えれば無理だよね。思い付きで言っちゃったし」
「やあ久しぶり、ルグス」
少し離れた位置から唐突にかけられた声に、ルグスはばっと振り向いた。
そこにいたのは端正な顔立ちで爽やかな雰囲気の青年だ。ゆっくり歩いて近付いてくる彼を、ルグスはよく知っていた。
「えっ、兄ちゃん⁉ 忙しいんじゃ……」
「今は店舗改装でお休みなんだ。せっかくの機会だから、たまには顔を見せておこうかと思って」
にこやかに語る彼に、ウェーナリアがつい見とれて口をぽかんと開けている一方、シェリファは頭を働かせて口を開いた。
「えっと、ルグスさんのお兄さんなんですね? レーグスさん……じゃない方でしょうか?」
「ああ。ロクスだ、よろしく。王都で料理店やってるから機会があったら食べに来てくれ」
それで、とロクスはすぐに話を切り替える。
「さっきの話、ちょっと聞こえてたんだけどね。良かったら僕が物件を紹介しようか? 諸事情で初期費用不要かつ超格安の良い物件があるんだ」
「…………何で?」
ルグスは意味が分からず、不審そうな声を上げた。あまりに都合が良すぎるし、料理店の店主が物件の紹介を出来るなんておかしい。何かきっと裏がある――そんな戸惑いが表情にありありと浮かんでいた。
ロクスは苦笑する。
「まあいきなり言ってもびっくりするか。料理店には色んなお客さんが来るわけで、中には様々な地域の物件を手掛ける仲介業者もいる。その人に相談を受けた物件の中のひとつに、たまたまこの辺のがあったから、ルグスに紹介してみようと思ってたんだ。そうしたら、都合良く拠点探しの話をしていたから」
「つまり、仲介業者が困るような物件……とんでもない事故物件とか?」
苦い顔をするルグスの頭に、ロクスはぽんと手を乗せる。
「一般的には事故物件よりもヤバい物件だけど、まあルグスは幽霊とか苦手だもんな」
「う、バラすなよ。ってか事故物件よりもヤバい物件って何?」
「裏物件ってやつだ。今から紹介しようとしてるのは〝殺し屋物件〟。ある殺し屋が仕事に使用してたが活動場所を移したため使われなくなった、でもそれを知らない誰かがその殺し屋を狙って襲ってくるかもしれないし、別の殺し屋がその場所を使用するために乗り込んでくるかもしれない——そんな、一般人には到底貸せない危険な物件だ。もちろん冒険者だって大抵はそんな物件嫌がるけど、ルグスなら平気だろ?」
「それはまあ、俺は良いけど……」
ルグスがちらりと目を向けると、シェリファは「私も問題無いです」と当然のように言い、ウェーナリアも「危ないことになる可能性自体は低そうだし」と背に腹は代えられないとばかりの表情で頷く。
「じゃあ案内するよ」
そう言ってロクスは歩き出した。
10分ほど歩いたところにその家はあった。鬱蒼とした木々に囲まれた、古びた一軒家である。
家というよりは屋敷だ。下級貴族が住むような、豪華ながらも小さめの館。外から見る限りはまだ人が住んでいてもおかしくなさそうだったが、中に入れば埃だらけで、人が暮らしている形跡は無い。高い天井に吊り下げられたシャンデリアは割れてしまっているし、飾られた絵画は破れ、調度品は壊れている。何よりも、あちこちが血にまみれているのが不気味だった。
「いや事故物件じゃん」
ルグスが低く呟くと、ロクスは笑い声を上げる。
「ははっ、ごめんごめん、僕もこんなに酷い状態だとは知らなかった」
「勘弁してくれマジで何か出そう」
幽霊系の魔物は本当に苦手なのだ。他の魔物と違って自由に迷宮の外へ出てくるし、人に取り憑いたりするし、何より剣が効かない。そして、幽霊系の魔物はこういう人の怨念が凝っていそうな所に住み着きやすいのだ。本当に死者の魂や思念がその場に残っていてそれを魔物が利用しているという説もある。
「大丈夫です」シェリファが杖を取り出して、絨毯にトンと打ち付けた。「何か出たら、私がやっつけますから。それに——」
杖が輝く。光が溢れる。
瞬き一つした後には、屋敷が綺麗になっていた。壁紙も絨毯もシャンデリアも新品のようになっていて、絵画や調度品は消滅していて、もちろんどこにも血なんてついていなくて。
「これで住めますよね」
にっこりして言うシェリファに、
「いやいや待て待て」とロクス。「何だこの魔法は⁉」
「清掃魔法です」
「それは分かるが分からない。こんな質の高い清掃魔法、見たことも聞いたことも無いぞ」
「え、私はいつもこの魔法で掃除してますよ? もちろん広い分、魔力は多く込めましたけど」
シェリファがきょとんとしているので、ロクスは苦笑いしてルグスに目を向けた。
「この子はいつもこんな感じ?」
「まあこんな感じ」
「そうか……ああそういえば、名前を聞いていなかったな。もしかしてシェリファ・エスタリーだったりして」
「え、そうだけど。何で知ってるんだ?」
不思議そうなルグスを前に、ロクスは頭を抱える。
「うわー、マジかぁ……そんな気はしてたけど本当にそうなのかぁ……」
「兄ちゃん?」
「…………いや大丈夫。いいか、ルグス。多分これからシェリファは悪い奴らに狙われるから大事ならちゃんと守るんだぞ」
「え、えぇ⁉ いきなり何、どういうことだ⁉」
「言っただろ、料理店には色んなお客さんが来る。そういう話が聞こえてくることもあるんだよ」
そう言ってから、ロクスはくるりと背を向けてそのまま屋敷を出ていってしまった。
残された3人は少しの間ぽかんと突っ立っていたが、
「とりあえず、部屋決めする?」
というウェーナリアの言葉で動き出した。