13 試合の後に
「よし、迷宮行くか」球場を出ながら呟いたルグスに、
「そうですね!」
野球中ほぼ蚊帳の外状態だったシェリファは勢いよく同意した。心の底から喜ぶような満面の笑みだ。片やウェーナリアは不思議そうな顔をする。
「あれ、野球か迷宮どっちかじゃないの?」
「え、もしかして何か用事あった?」
「そういうんじゃないけど……野球の後すぐ迷宮って前のパーティーでは無かったことだし」
迷宮に入るなら、充分に精神的な疲労を取ってからが望ましい。だから多くのパーティーでは野球をした日は迷宮に行かないことになっている。〈黒蝶〉は平気で野球後すぐ迷宮だったが。
「気が乗らないならシェリファと2人で行ってくるよ。ってか俺は行かないとカネが無い」
ルグスが苦笑しながら告げると、ウェーナリアは慌てたように首を横に振る。
「行くし! 単に疑問に思っただけだし!」
「早く受付に行きましょう」シェリファがじれったそうに口を挟んだ。
「ああ、そうだな」
ルグスは深く頷き足を速める。
なかなか序列の高い相手に勝ったので、ランクポイントは結構入っているはずだ。きっと一つ上のランクの迷宮に行けるくらいには。
その期待が、シェリファとルグスの足取りをどんどんどんどん速くしていく。ついには小走りに近い妙な早歩きになった2人を、ウェーナリアが懸命に追う。
「ちょっ、普通に歩くか走れば良いし⁉」
こうして受付に着いた〈烏の休息〉は、受付嬢から告げられた結果に息を呑んだ。
「現在のランクポイントは5580ポイントです。序列151位となり、Cランク迷宮に入る権利を本日付で獲得となっております。本日から1か月間は序列が下がってもCランク迷宮に挑むことが可能となります」
一つ上どころか二つ上だった。
Dランクをすっ飛ばして、Cランク。特に驚いていたのはルグスだ。
「〈黒蝶〉の時は6000ポイント超えでもDランクしか行けなかったのに……」
「そういったこともございます。序列を争うパーティー数の増減や、上位パーティーの強さも影響いたしますゆえ」
「そっか……もちろんCランクに行くよな?」
ルグスが振り向いて確認すると、
「はい!」シェリファが楽しげに頷き、
「いいけど、この辺りは行き飽きたから他の所が良いし」ウェーナリアは苦笑気味にそう言った。
迷宮はCランクのものが最も多い。ルグスにしろウェーナリアにしろ行ったことのないCランク迷宮が両手で数え切れないほどある。
「うーん、俺もこの辺のCランク迷宮は行き尽くしたけど……どこが良いんだろ」
「それでしたら」受付嬢が淡々と口を挟んだ。「南西支部の近くをお勧めいたします。そちらで採取できるファルフェ草の需要が高まっており、買取価格が上昇していますので」
説明しながら別の作業をしているようで、ルグスたちに目を合わせない。
〈烏の休息〉は誰からともなく転送装置へ向かった。改めて打ち合わせなくとも南西支部へ行くことに決まっていた。
冒険者ギルドの各支部には、受付近くに地図が貼ってある。その地図を見て場所を確認し、〈烏の休息〉は目的の迷宮に来た。
オーソドックスな洞窟タイプの迷宮だ。入ってすぐに分かれ道。左右に伸びた道の分かれ目に、立て札がある。
「〝右は危険。左に行け〟……?」
訝しげに読み上げたルグスの隣で、シェリファは目を瞬かせる。
「罠でしょうか?」
「普通にギルドの注意喚起じゃないか?」
「あたいも注意喚起だと思うし」ウェーナリアが後ろからひょこっと顔を出す。「罠ならもっと新しいはずだし。これは明らかに古くからここに立ってるし」
「確かに、そうですね。じゃあ右に行きましょう」
腑に落ちた様子でシェリファは足を踏み出した。罠などではなく、ちゃんとした注意喚起なのだと納得したうえで、自然と右に行こうとしていた。
「シェリファ、駄目だ。俺たちはパーティーで来てるんだから」
ルグスの静かな声で、シェリファはハッと立ち止まる。
「すみません! つい……」
「気持ちは凄く分かるけどな」
苦笑いを浮かべ合う2人。
それを見て、ウェーナリアは大きく溜息を吐いた。
「……2人とも、あたいを舐めないでほしいし。危険上等。最初に話したよね、あたいもSランク迷宮目指してるって」
「ああ、それはちゃんと覚えてるけど……」
「ならCランク迷宮くらい、一番危険な道を征けなくちゃ。危なそうだからって躊躇してるようじゃSランク迷宮なんて入れないし。……正直あたいは、自ら進んで危険な方に行こうとは出来ない。シェリファは凄いよ。あたいとは気の持ちようが違うし。でもね、あたいだって、パーティーの方針には従える。それがどれだけ危険な方針だろうと」
決然とした声が響く。気合と覚悟を静かに湛えた瞳がルグスを見つめている。
その視線をルグスは受け止め、頷いた。
「じゃあ、右に行こう」
リーダーとして、前衛として、先頭に立つ。軽やかな足取りは緊張感など欠片も無いようで、街中を散歩しているかのような余裕すら感じさせる。
しかし内心は、恥ずかしさに顔を覆いたくなっていた。
単に「右の道の方が強い魔物と戦えるかも」などと考えて右に行きたがっていたルグスにとって、ウェーナリアの言葉は重すぎた。格好良すぎた。凄みがありすぎた。
シェリファも同様で、ルグスの後ろを歩きながら気まずそうにチラチラとウェーナリアの方を見ては杖をぎゅっと握りしめている。
そうして1分ほど経った時、不意にウェーナリアが立ち止まった。何やら嫌な感覚が背を這ったからだ。彼女は手を後ろに伸ばすが、何も無いはずの空間に押し返される。
無色透明の膜のような何かが道を塞いでいた。引き返すことを許さぬように。
「ここ、隠し部屋……!」
簡単に入れるが、魔物を倒すまで出られない。それがCランク以上の迷宮の隠し部屋だ。隠し部屋に入ったと気付きづらい所と出られない所が凶悪で、うっかり入らないように細心の注意を払う必要がある。
もっとも、普通に道を歩いているだけで入ってしまう隠し部屋なんて滅多に無いのだが。
* * *
「うあー……」
クノス・フィシェルは酷く憂鬱な気分になり、妙な声を力なく放出した。
試合に負けたから、ではない。19対1という大差で負けたからという訳でもない。
もっと個人的な理由で落ち込み、試合後すぐ〈黒蝶〉の皆からこっそり離れ、誰も来ないような場所でひとり膝を抱えていた。
『さっき避けただろ』
〈蒼天の月〉のリーダーの言葉が頭の中で何度も再生される。
否定はした。さも自分が正しいかのように、口では真っ向から反論した。
だが心は認めてしまった。
避けた。
というか、逃げた。
(まだ逃げ続けるつもりっすか?)
自分自身に問う。
もう逃げたくないと思っていたのに〈黒蝶〉に入っても相変わらず臆病風に吹かれ、魔物と戦うのをなるべく避け、せめて見限られないようにエラーだけはすまいと難しい打球からも送球からも逃げ続けている自分に。
(この調子で、また迷宮からも逃げるんすか?)
見たくもない映像を脳が再生してしまう。隠し部屋の強大な魔物。入ってしまい出られなくなった前衛の絶望的な表情。
(オレは一緒に前衛してたのに、何で下がっちまったんすかね……)
次々に隠し部屋へ入っていく仲間たちを、クノスはただ見送った。見送ってから背を向けて、一目散に駆け出して。迷宮から出てようやく我に返って、一旦ギルドに戻り他のパーティーの協力を仰いで恐る恐る隠し部屋の前に戻った時には。
(遅いに決まってるっすよ)
仲間たちの手が助けを求めるように伸びていた。それだけしか直視できなかった。一緒に来てくれたパーティーの人たちが隠し部屋の魔物を倒し、斃れた皆を運んで弔ってくれた。
(オレも一緒に隠し部屋に入ってれば……)
ちゃんと逃げずに戦っていれば、皆死なずに済んだかもしれない。
押し寄せる後悔と自己嫌悪の波に、クノスはただ流されるしかなかった。