食後
「そういえば、マイス宛に大量のソイビーンが届いていたことがありましたわね」
「そうね、大きな麻袋で。それがすぐになくなったのは、トウフを作ったからだったのね」
「はい。王族の食事にソイビーンをそのまま調理した料理は粗末だと思いましたので、トウフに加工したらどうかなという思いつきです」
「しかし、マイスは料理の腕が凄いな」
「ヤスミナ様のご子息ですから、その名に違わぬ凄腕ですわ」
「うむ。司厨長クレアにも退けをとらぬ。ルナシーの世話役には勿体無いな」
「恐縮です」
「まあ、マイスのお陰でこの国の未来も安泰だ!」
「……お父様、それって?」
「ああ。マイスを次期国王の後継者候補という意味を含ませて言ったまでだ」
「ええっ!?」
マイスの仕草が不自然に静止する。
「……またまた、お戯れを。国王様」
「いや、ワシは本意だぞ? 将来的に五家合議会で国王候補を出すならば、ワシはマイス以外に考えておらん。フェンデルクセン側でマイス以上に有力な候補者は見当たらん」
「そ、そんな……僕みたいな学なしの田舎者が」
「何を言うか、マイス。ワシも出身はワルサワの片田舎の百姓だ。学のことも心配するな。ワシはマイスより若い頃にに宮仕えを始めて、ある日突然に先代の国王に認められた。10年近くも薪割りや配膳、清掃しかしてこなかった卑しい身分のワシがだ。認められた後は、22にして皇学院初等科に入学した。皇学院大学部治世学課程を卒業したときは36、王立大学院で王政学の博士を取ったときは40だった。先代の国王が亡くなって、五家合議会が開かれてワシは晴れて国王に就任した。今年で在位も20年になり、ワシも60だ。そんなワシが言うのだから、戯れ言ではない」
赤ら顔だが、国王の眼差しは真剣なものだった。
「ところで、マイス。ルナシーから聞いたが、お前も皇学院に通え。入学手続きは済ませたから」
「ええ!?」
「村で読み書きは習って、本は読めるよな?」
「は、はい……」
「初等科と中等科は飛ばしてもいいだろう。高等科からスタートだ。初等科は実質、幼稚舎で中等科は読み書きと礼節の学校だからな、高等科で学術基礎を学んでこい」
「そ、そんな。畏れ多いです」
「何を何を。ワシも進んだ道だからな。心配するな」
「そうよ、マイス。皇学院は世間で言われるほど高貴な場所じゃないわ。学園と違って、貴族の子女が家柄自慢をする場所でもないし。学院みたいに宗教臭くないから安心して?」
「左様。王族の子女とて、庶民と変わらん。学園のボンクラや学院の修道士たちとは合わんだろう。皇学院高等科と大学部は庶民も入学するからな」
「は、はぁ……緊張しますが、頑張ります」
マイスは頷く。
「それでこそだ。学用品を揃えるのと、切りが良い日で次の月からだ」
「次の月からですね、畏まりました。ところで、陛下。折り入って、ご相談なのですが……」
「何だ、賃上げか?」
「いえ、給金は満足にいただいております。実は、今週末に故郷のトレーヌで祭りがあるのですが今年の祭りは我が家も当番で、僕が出ざるを得ないのです。ですので、明日の午後から数日間の休暇をいただけませんでしょうか?」
マイスは国王に申し出る。
「ふーむ、祭りかぁ……」
「はい。トレーヌの土着の祭りです。各家が毎年、持ち回りで祭りの主催を務めるのですが、今年は僕の家が当番の年なんです」
「そうか、それなら仕方あるまいな。して、ヤスミナ殿も? 如何程で戻るつもりだ?」
「はい。母も料理を振る舞います。僕ら兄弟も久々に集まって、設営や神事の補佐業務を行います。村を上げての大祭ですので、事前準備が必要なのです。なので、明日の夕刻に出発して週明けの昼には戻ります」
「そうか、それくらいの休暇で良いのか? 久々の家族団欒、親子水入らずで過ごすならば、半月でも構わないぞ? 皇学院入学も遅らせる」
「いえ、お気持ちはありがたいですが。王宮の執事もあることですし」
「なるほど。マイスは勤勉だな。よし、休暇を与える」
「ありがとうございます。それでは、明日の昼までに事務を終わらせて、出発します」
頭を下げるマイス。
「私もトレーヌの祭りに行きたいなぁ」
「ルナシー、あなたは学校があるでしょ?」
「むー」
むくれるルナシー。
「ははは。ルナシー様も、お越しくださればありがたいです」
「行きたいけど、金曜日のティータイムまで授業なの」
「それは残念ですね」
「ねぇ。皇学院は出席が厳しいのよ。簡単に休むわけにいかないわ」
不服そうに、ルナシーは頬を膨らませた。
「さて、夕食も終いにしよう」
「はい、国王様。下げ膳いたします」
「おお、そうか。すまぬな、マイス」
「いえ、これも仕事ですから」
マイスは食卓に並んだ皿を厨房へ運んだ。
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夕食後、ルナシーは自室へ戻った。
「今日の夕食は美味しかったわぁ。まさか、マイスのお母様が私のお母様やクレアの先生だっただなんてね」
マイスの料理の余韻に浸るルナシー。
「流石だわ。しかし、お父様もマイスを皇学院に通わせてくださるのが、こんなに早いだなんて。しかも、高等科で私と同じクラスメイト! 来月からが楽しみだわ」
上機嫌のあまり、ルナシーはくるっと回りながらベッドに飛び込む。
「思い通りに事が行きすぎて、罰が当たりそうね! お父様、マイスを次期後継者にも考えているみたいだから、私はマイスのお妃様ね! ああ!」
ルナシーはバタバタと両足を動かす。
「マイスのお嫁さんになるなら、料理もできるようにならなくちゃ。塩と砂糖を間違えてクレアに怒られてから、自信をなくしちゃったけど。化学の実験で薬品の調合は間違えたことがないんだけどなぁ」
足のバタつきが止まる。
「でも……マイスは次期国王の座に興味が無さそうだったわよね。他の男子は下心を見せながら、王座を狙ってるのに」
枕を抱き締めるルナシー。
「そういえば、マイスの口から私に対しての気持ちも聞いたことがないわね。マイス、私のことをどう思っているのかしら? 5年間、私の部屋で働いてるけど……マイスは黙々と仕事だけ。マイスから軽口ひとつもない……今日、私から話しかけるまで会話らしい会話も……」
枕を抱き締める腕に力が入る。
「……………………」
沈黙を見守る枕。ルナシーの心に、冷たいものがじわりじわりと広がっていった。
「…………ううん、大丈夫よ。全ては私の思い通りに行くわ。考えない考えない。さて、今日の復習と明日の予習をしましょう!」
枕を投げ、文机に向かうルナシー。
「今日は地理をやって、明日は1限に文学と2限に化学の授業ね。私の好きな化学の授業……あら?」
すると、文机に見慣れないものがあることに気が付いた。
「この個性的な字は……ドミトリルさんね」
夕食時期にドミトリルが副教材と一緒に置いたメモだった。文法は正しいが、かなりの悪筆で書かれていた。
『Ze Misa. Lunassea,
Dzis es dze Material por dze Lesson nechstie. So, briggen dzis widz vour Staeschonaries.
Ik kommen ze vour Kabin, maiss, Vou aten nocht ihre. Dzerpore, Ik plassen dze Bible onze vour Deskribon mit vidz dzis Notiss.
Prom vour Menzre del Legastudologie, Дмiтril』
「『ルナシー様へ。これは次の授業の教材です。筆記具と一緒に持ってきなさい。一度は部屋に行きましたがお留守でしたので、机の上にメモと一緒に置いときます。法学教師のドミトリルより』って、これのことね。あら?」
教材らしき本を退けると、更に2枚の紙が目に入った。
「これは……南セダン語かしらね? あ、マイスが歌詞を書いてくれていたんだわ。短いのが歌詞だとして、長いのは何かしら?」
慣れない外国語の長文に疑問符が浮かぶ。
「きっと、これも南セダン語よね。明日の授業でミロさんに会うだろうから、翻訳してもらおうかしら。マイスは帰郷で忙がしそうだし」
ルナシーは2枚の紙をドミトリルのメモと一緒にした。
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一方、マイスの自室。8畳程度の広さで、文机とベッドがあるだけの簡素な部屋だ。
「……ふう。経理は終了かな」
マイスは机に向かって、計算をしていた。市場へ出掛けて買い物をしたときの出費をまとめるのである。
「食材費は前回より安く上がったね。ルナシーのものは……ちょっと出費が増えたなぁ」
外出が容易でないルナシーに代わって、マイスがルナシーの欲しいものを買うことが多い。主に筆記具、化学の授業で使う器具だ。
「平底と丸底のフラスコ、シャーレ、集気瓶、試験管、乳鉢と乳棒……ガラス屋でも結構な額だよ。木製じゃないスパチュラが見当たらなくて、市場を探し回ったっけ」
皇学院の授業といえども、器具などは市場で購入させる方針らしい。教科書は無償だが。
「まあ、硫酸やフッ素を買ってこいって言われないだけマシかな」
危険物や毒物は流石に、教師が購入するのだろう。
「ルナシーは科学が好きなんだなぁ。僕は本を読んでも、学術書より物語や歴史が好きかな。大学では、そんなことは学べるのかな?」
マイスはルナシーの部屋で読んだ、大学の冊子のことを思い出す。
「さて、次は手紙の整理だね。農林水産大臣宛、これは厚生大臣宛……」
王宮に届けられた手紙の仕分け、これもマイスの仕事だった。清掃、食事、営繕、経理、庶務とマイスの仕事は多岐にわたる。
「……しかし、手紙。あれ? 僕は何かを忘れているような……まあ、いいか。仕分けが終わったら、荷造りしようっと」
何かを思い出しかけたが、マイスは忘却の彼方に遣ることにした。どうせ大したことではないのだろう。次第に夜も更けていった。