団欒
王宮の食事場所。王宮では特別な宴を除き、普段の食事は簡素な部屋で食事をする。12畳ほどの部屋に、大きな円卓が一つあるだけのものだ。その円卓を国王、王妃、ルナシー、マイスが囲っていた。
「マイス、お前は相変わらずだなぁ」
国王が笑う。
「はい?」
食器を置き、国王に向き直るマイス。
「そう、テーブルマナーを気にして食事をするな。肩肘張らずに、気楽に食事はするものだぞ? うん?」
「は、はあ……失礼しました」
「畏まるでない、畏まるでない! ははは!」
果実酒を一口含むと、更に国王は笑う。
「公務中は厳しい顔をして緊張を纏わざるを得んのだ、食事のときくらいは緩ませてくれ」
「は、はい……」
マイスは未だに、この食事風景に慣れないでいた。まさか、国王と女王という国の代表と三度の食事を会するとは、村を出るまで考えてもいなかったからだ。丁稚奉公の身である自分が卑しくも、食卓を伴にするとは畏れ多い。
しかし国王は、王位というのは窮屈なものと考えているようだ。民から見えないところでは民と変わらぬ生活をしたいらしく、その一例がこの食事風景だそうだ。事実、食事の準備は司厨係に混ざって王妃やマイスも行う。メニューも週に何度かは王妃とマイスが決める。時には、王族が駕を枉げて市場まで買い出しに行くことも。
「今日はマイスが作ってくれたのよ、あなた」
テオドラ女王が国王に宣う。
「ほお、そうか」
「は、はい。お口に合いましたなら、幸いです」
「美味しいから心配しないで、マイス。しかし、この料理は懐かしい味ね」
「はあ、これはセダンの家庭料理です」
「セダンの? ああ、だから懐かしいんだわ。私はセダンの出身だから、もしかしたら食べたことあるかも」
中央の皿から一匙掬うと、自身の取り皿に盛り付けるテオドラ女王。白いスープに細切れの肉が盛り付けられている。
「うん? テオドラ、この料理は初めてか?」
「ええ。私はセダンでも、首都でしたから。マイス、この料理はマイスのご家庭の?」
「まあ、はい。僕の出身のトレーヌでは一般的でした。セダンでも、南セダン系ですね」
「そうなの。クリーミーでちょっと酸味が効いてる肉料理ね」
「ええ。細切れにした肉を、ヨーグルトで煮込むんです」
「あら、ヨーグルト? ミルクで出来る、デザートのこと?」
「はい。実は、南セダンではヨーグルトをデザートとして食べないんですよ。首都に行って、砂糖と蜂蜜漬けの果物と一緒に食後のデザートとして出てきたときは吃驚しました」
「ふむ。ヨーグルトは南セダンではデザート感覚でないのか。フェンデルクセンではヨーグルトを食べる習慣がないし、ワシもセダンの首都で一度だけ食べた程度だ」
「僕もフェンデルクセンに長いことおりますが、ヨーグルトは市場でも見かけないですね。なので、この料理を作るのに苦労しました。ヨーグルトの代わりにミルクと酸味の強いチーズ、少々のレモンと香草を使いました」
「そうだったの? 通りで、火の前にいる時間が長かったわけだわ」
「ええ。ヨーグルトで煮込めば早いのですが、肉の臭み消しに時間がかかりました。ローリエが功を奏してくれていれば幸いです」
「心配しないで、マイス! 肉は全然臭くないわよ! 寧ろ、柔らかくてローリエの良い香り」
一口食べると、ルナシーが言った。
「ありがとうございます。お口に合いましたようで」
「いつも、肉料理はトマトベースか胡椒だらけで濃い味だから、こんなクリーミーな肉料理は初めてよ」
「私もルナシーと同じ理由で、肉より魚が好きだったの。でも、また肉が好きになれたわ」
「ワシもだ。歳のせいで、濃い味が年々と苦手になってな。これならいくらでも食べられるわい」
「ありがとう、マイス」
「いえ、お礼を言われるようなことでは」
各人、口々にマイスの料理を称賛する。
「それにしても、マイスは料理が上手ね! 私、勉強は得意だけど料理は苦手なのよ」
「そうよね、ルナシー。あなたってば、司厨長のクレアに怒られてから、厨房では野菜の皮剥きばかりじゃない」
「それは言わないでちょうだい、お母様…… クリームシチューを作ろうとしたときに、砂糖を入れて物凄く怒られたわ」
「あはは……塩と間違えたんですね」
「笑ったわね、マイス! それにしても、マイスは料理上手だけど、何でかしら?」
「それは、僕の母が料理の研究家で師範だからですかね」
「料理の師範なの?」
「ええ。そもそもはセダン大教会の炊き出しをやっておりましたが、セダン伯爵の司厨係になりました。司厨係を経て、母はセダン公に調理師範の教授を命ぜられました」
「セダンお抱えのシェフから、料理の先生になったの!?」
「はい。セダン公のお力添えとお墨付きで、セダン大学の家政科で調理、食物研究の教授をしております」
「うん? セダン大学の家政科といえば、国内で唯一かつ難関の調理学科じゃぞ? マイス、母上の名前は?」
「ヤスミナと申します」
「ヤ、ヤスミナ様ぁ!?」
テオドラ女王が驚く。
「うん? お前、知っているのか?」
「は、はい。私もセダン大学の家政科卒業ですので、ヤスミナ様の授業は。ただ、私は被服・服飾専攻でしたが」
「母をご存知なのですね。その節は、大変ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、とんでもない! 包丁一本も握れなかった私が、料理をできるようになったのもヤスミナ様のお陰ですもの」
「多分、物凄い鬼講師だったかと」
「実を言いますと、そうでしたわ」
「じゃあ、クレアおばさんもマイスのお母様に鍛えられたのね。彼女もセダン大学の家政科調理専攻だったし」
「はい。クレア様も母をご存知でした」
「ところで、ヤスミナ様は今何をなさってますか?」
「はい。未だにセダン大学の家政科に籍を置きつつ、ヴェネルクス大学の海事科で調理技法などの非常勤講師をしてます」
「ヤスミナ様は海事科で教鞭を振るってらっしゃるの?」
「ええ。長期航海で船員の食事が重要視された結果、お声がかかったそうです」
「そういえば、五家合議会でヴェネルクス家から海運従事者の離職が少なくなったと話があったな。食事でこうも改善されるとは思わなんだと、大層驚いていた」
「お父様。船員にとって食事は重要なのですわ。船に乗っている間は、船が家なのですもの」
「そんなことを、母が申しておりました。不味い食事と壊血病で船員の船上環境は過酷だとのこと。そこで母は野菜の保存法、栄養学による壊血病の予防、調理方法を教えてます」
「マイスのお母様は凄い方なのね」
感心するルナシー。
「いえいえ、そんな」
「マイスのお母様がいなかったら、海運がダメになって国が傾くわよ」
「そんな、恐れ多い」
「ところで、前にマイスが作ってくれたクッキー。美味しくて、私は大好きなの。あれもお母様の直伝?」
「そうですね、はい」
「でも、不思議なクッキーなのよね。甘すぎないで、クッキーのように堅くない。サブレーに近いような」
「あれには秘密がありまして」
空になった皿に、フォークとナイフを重ねるマイス。
「秘密?」
「はい。あのクッキーを焼いた日の前、ルナシー様は僕に2つの物を下さいました。白い粉状のものと、瓶に入った液体です」
「思い出したわ。粉は塩化ナトリウムで塩と、液体は塩化マグネシウムのはずよ。確か、自然科学の授業で海水から製塩する実験でできたものよ」
「そういう名前だったんですね。鍵となるのは、液体の方です。あのとき、僕は実家の母から大量のソイビーンを送られて困っていました」
「ソイビーン? あの、お豆の?」
「はい。母の知人である商人から規格外のソイビーンを譲られて。そして、ルナシー様が持ってきた液体でピンと来たんです」
「塩化マグネシウムが?」
「はい。ルナシー様、夕食に白いプディングのようなものが出たのを覚えていますか?」
「ええ。確か、口当たりがよくて」
「あれ、僕が作った大清の料理なんですよ」
「え?」
「トウフと言います。母が昔、同様にソイビーンを譲られたときに作っていたものなんです」
「ソイビーンであんなプルプルとしたデザートのようなものが作れるの?」
「ええ。自室に籠り、ソイビーンを水に浸けて寝かせて、厨房を借りて作ったんです。その行程でソイビーンがミルクのようになるのですが、塩化マグネシウムをミルク状のソイビーンに入れると固まって、プディングのようなものになります」
「不思議ね、トウフって。塩化ナトリウム、塩の副産物としか見なかった苦い液体の塩化マグネシウムがこんなことに使えるなんて」
「トリーヌは内陸で製塩が盛んでないせいか、塩化マグネシウムの液体を手に入れるのは困難でした。しかし、母がセダンでトウフを普及させると、商店では塩の隣に塩化マグネシウムが『ビテル・リクヴィット』として並ぶようになりました」
「トウフがソイビーンでできるのは分かったけど、肝心のクッキーは?」
「トウフの残り滓で作りました」
「残り滓で!?」
「ええ。残り滓で何かを作ったのは、僕のアイディアなんですがね。食べられないことはないけど、母は残り滓を捨ててました。そこで僕は、残り滓をクッキー生地に混ぜてみたんです」
「混ざってたの? 違和感なしに食べてたわ。しかも、美味しかったし」
「お口に合ったようで、僕は胸を撫で下ろしました。何しろ、ルナシー様を相手に冒険したわけですから」
マイスの強ばった表情に柔らかさが戻る。