共有
「……あのね、あの人は王国の生まれじゃないの」
「え、では、サンドラさんのご主人と同じような……」
「違うわ。あの人はザウシュタットの生まれなの」
「ザウシュタット!? 敵国じゃないですか。ですが、彼のお父様は法務大臣ですよ?」
「実は、生さぬ仲なのよ。だから、極端に似てないでしょ?」
「い、言われてみれば……」
ドミトリルは切れ長の目で面長だが、父親はギョロ目の丸顔だ。ドミトリルは長身だが父親は背が低い、ドミトリルは褐色の髪だが父親は黒髪。碧眼のドミトリルに対して、父親はブラウン。例え母親似と言われても、ここまで父親に似ていないのも妙だ。
「どこでどう知り合ったか知らないけど、あの人がザウシュタット出身ってことは間違いないわ」
「な、何を根拠にですか?」
「聞いちゃったのよ、彼がザウシュタット語を喋っていたところを。しかも、流暢に」
「え!?」
現在、王国と隣国のザウシュタット連邦は敵対関係にある。王国内にザウシュタットからの亡命者や難民も受け入れないし、ザウシュタット語を教える学部学科もない。王国内でザウシュタット語を喋ることはタブーだし、ザウシュタット人と分かれば、首都では殺されてしまうほどだ。
「大昔、ザウシュタットのトレーヌ侵略事件の遥か前よ」
サンドラの両目が左上に向く。
「私も旦那の出身地に遊びに行ったことがあるの。旦那の実家はザウシュタットの近くでさ、ザウシュタット人も少なからずいたの。そこでザウシュタット語を聞いたから、ザウシュタット語って分かったのよ……」
「トレーヌ事件の後はザウシュタット完全排斥ですから……」
「私みたいなおばあちゃんがザウシュタット語を理解できててもおかしくないのよ、同年代で密偵を生業にしてるのもいるし。でもね、彼くらいの年でザウシュタット語は理解できるのがおかしいのよね」
「確かに。彼の年齢からして」
「でしょ? 語学なんて、昨日今日で習得できるものじゃないし」
サンドラは眉を顰める。
「……もしかして」
「もしかして、どうしたの?」
「いえ、ふと気になったんです。あの、マイスって覚えてますか?」
「ええ、覚えてるわよ。ルナシー様のお付きの男の子でしょ? ちょっと前まで、図書館に来てたわね」
「ええ。実は、マイスはセダンの出身なんです」
「あら、そうなの? 因みに、セダンのどこかしら?」
「トレーヌ村です」
「ああ、トレーヌ村ね。旦那の実家から程近い場所だから、行ったことあるわ。砦で有名な村ね。それで、ルナシー様の気になることって?」
「実は、あの人はマイスを……邪険に扱うのです。私も何度か、あの人がマイスに対して酷い態度を取るところを目にしてます」
「うーん……」
眉根を寄せるサンドラ。
「……ますますこれで、ドミトリルがザウシュタット出身の噂が真実味を帯びてきたわね」
「どういうことですか?」
「いやね、我々はザウシュタットを排斥、敵国扱いするでしょ? だけど、ザウシュタットの一般人からしたら我々の王国が羨ましいのよ」
「羨ましい?」
「ザウシュタット人はザウシュタットが嫌いなの。専制君主制で元首は馬鹿だわ、税金は高いわ品物がないわ、短い夏で冬は極寒だわ、土地は痩せてて飢饉はしょっちゅうだわ……生まれた場所だけど、郷土愛なんてものは湧かないわね」
「確かに。ザウシュタットは冬将軍と呼ばれるほど、厳しい寒さの土地ですが……」
「寒い国だから、南の方にやって来たがるのよ。ザウシュタット人はセダンまで南下してきた歴史があるわ。現地人と混血が進んで、自治領を持つようになった。それが私の旦那や、マイスくんのトレーヌってところかしらね。南セダンとセダン周辺はザウシュタット人の混血だし、民族的にも近いのよ」
「そんな歴史が……因みに、我々はどこから来たんでしょうか?」
「有力説だと、ユーロピア北方ね。そこの野蛮人が南下したのが我々の祖先。因みに、ザウシュタットの元を作ったのも我々の祖先が関係しているらしいわ」
「えっ!?」
「ユーロピア北方の野蛮人でも北部系と南部系って部族があってね、我々は南部系。ユーロピアに南下して、当時の帝国を侵略したの。もう一方の北部系は、ザウシュタットの現地人を支配して王国を作ったの。その王国が今のザウシュタットに続いてるわけね」
「じゃあ、ザウシュタットも我々と近い民族なのでは?」
「それがね、遠くなっちゃったの。北部系民族がまた元のユーロピア北方に戻ったの。建てた王国はザウシュタット人に委任したらしいけど、理由は不明ね。そして、その王国は直ぐに遊牧民に支配された。遊牧民の血が入ったから、先祖は近くても子孫は明らかに違うようになったわね」
「そういえば、ザウシュタット人は我々より体つきが大きな方が多い気がします」
「大きいわよ。旦那も旦那の友達も180以上はあるわ。セダンの南セダン系も背が高いのよ」
「確かに、マイスも同年代の男性より高いです」
「それで、マイスくんのことだけどね……」
声が暗くなるサンドラ。
「ザウシュタット人が我々の王国を羨ましがっているって言ったでしょ? 王国のセダン領になった、南セダン系に対して複雑な感情を抱いているのよね。マイスくんはトレーヌ出身だから取り分け。トレーヌ砦は対ザウシュタットの防衛拠点だから、ザウシュタット人が憎しむ対象なのよ」
「そう言われてみると、そうかもしれませんね。現に、南セダン系の反発や独立闘争など聞いたことがありませんもの。ですが、あの人もザウシュタットから王国の人間になったからには……」
「それが、なってないかもしれないのよ」
「え?」
「彼、王立大の院卒だけど、王立大の常勤講師止まりでしょ? 人的素質に照らしても問題アリだし、何しろ、出自が不詳だからじゃないかしら。父親が大臣だけど、コネで引っ張れたのは王立大入学まで。その後は彼の頭の良さもあるけど、教授推薦まで父親がやったら、父親は大臣から失脚するわ。権限濫用で糾弾されて、身辺調査で明るみに出るのを恐れているのかもね」
「そんな……私も彼には複雑な理由があるとは聞いていましたが、具体的にはそんなことが……」
「暇な図書館司書のお婆ちゃんの戯れ言だと思えば、ルナシー様の心も軽くなるわ。でもね、こう考えた方が合点が行くのも確かなのよ」
「うっ……」
ルナシーの胸の奥底から焼け付くような、得たいの知れないものが込み上げてくる。
「ルナシー様はまだ若いわ、若すぎる。だから、人の裏を探るような真似は早いわよ。あたしみたいなお婆ちゃんは、そんなことだらけだったから今は慣れっこよ。ルナシー様の、人を嫌いたくない、裏表なく付き合って行きたいという気持ちは分かるわ。ごめんなさいね、ルナシー様」
「い、いえ……」
あまりに大きな事実を聞かされてから、胸が潰されそうになる感覚がルナシーを襲う。
「さて、そろそろ夕食の時間ね。ルナシー様、南セダン語の本はキープしておくから、お行きなさいな」
「え、ええ……失礼しました」
ルナシーは踵を返し、図書館を後にした。
:
夕暮れ時。丁度、王宮では夕食時だった。そんな折、ルナシーの部屋の扉を叩く者がいた。
「ルナシー様、ルナシー様ぁ? いらっしゃいますでしょうかぁ? 法学教師のドミトリルですがぁ?」
王宮の夕食の時間など知らないドミトリルは、無人の部屋の扉を叩き続ける。
「全く。折角、私が直々に参りましたのに、お留守とは……」
彼の手には一冊の本が抱えられている。授業用の教材だろう。
「次の授業で使う副教材をお持ちしたんですがねぇ……あ、鍵はかかってない。失礼します」
扉を開け、部屋に入るドミトリル。不躾だ。
「誰もいない……ああ、夕食の時間か。仕方ない、本だけ置いて帰るとするか」
沈みかけた夕陽で薄暗い部屋を、ドミトリルは進む。
「ここに置いておこう。念のため、メモも……うん?」
ルナシーの文机に近寄り、メモのための紙を拝借しようとしたドミトリルは、2枚の折り畳まれた紙を見つける。
『Sameni povli iz spije
Artsa vrapli samenu
Botanki kvjoli astsu
Previkolim krod huccet
Ada plasshacy ren huccet
Ada hidriacy snovi huccet
Botanki kolapli neznojcy
Botanki net remnali prjuy』
『Djera Selljia,
Tyj xoros'aja? Az xoros'oji. Az okypiji apreso, selo, Az ekpeky az obtaniti vakans'a severaja v eti sevedjenije. Az pos'su recuniti a Trinje karnivalje.
Az njet porgecy tvas, az amury tvas ocinij, Selljia. Az konfes'u mariagete mit tvje, Selljia. Az oppozy propositizja v karnivljeta akcualo. Padjalujsto vaitje mas, mnja botanka.
Iz tvje piansje, Majs. 』
「ふん、南セダン語の文か……一つは詩か? もう一つは、下らんものだな。どちらも、あの餓鬼が書いたのだろ。メモはこんなものでいいか」
そう言い、ドミトリルは本とメモを文机に置き、その上に紙を置いた。
「さて、俺もそろそろ帰るか」
ドミトリルは部屋を後にした。