机上
「あ、はい! どうぞ!」
「あ、まずい……」
マイスはベッドから立ち上がり、ルナシーはドアの向こうにいる者に返事をする。
「ルナシー様、授業の時間です。態々、お迎えに参りました」
「あ、あら、ドミトリル先生」
ドアを開けたのは、ルナシーの教師のドミトリルだった。長身で、厳しい顔の男性だ。
「げ……ドミトリルだ」
マイスは目の端でドミトリルを捉えると、即座に背を向けた。
「ルナシー様、今日は法学の授業です。復習はなさいましたか?」
ドミトリルという男性もマイスの態度を見ていたが、ドミトリルはまるでマイスがいないように扱う素振りだ。お互いに嫌っている。
「は、はい。バッチリですわ」
「そうですか。それは当然です」
ルナシーは机の上の筆記用具を押し取る。ルナシーもドミトリルが苦手のようだ。
「ふん。では、合同教室にてお待ちしております」
「はい、参ります」
「では」
ドミトリルはバタンと扉を不躾に閉めた。
「……ドミトリル、怒ってるんですか?」
「いいえ。今日はまだ機嫌が良い方よ」
「あれでですか?」
「ええ。機嫌が悪いと、言葉を発さないの。手招きだけって日もあるわ」
「それって、人間としてどうなんでしょうか……ましてや、王族の子女に」
「彼は複雑なのよ、色々と」
「複雑とは?」
「彼は王立大学と大学院を出てる優秀な法学博士なの」
「そ、そんなすごい方なんですか」
「キャリアはね。だけど、今は常勤講師よ」
「常勤講師? 大学の仕組みについては存じませんが、そのような方は教授になっていてもおかしくないのでは?」
「昔は教授だったの。だけど、スキャンダルで研究室を取り上げられた上に常勤講師へ格下げ。法務大臣の父親の伝で、王宮教師になったみたいよ」
「スキャンダル……」
「院生を自殺に追い込んだらしいわ。私が生まれる前の話だけど。法学の先生もドミトリル以外は良い先生ばかりなのに」
ルナシーは筆記用具をぎゅっと握り締める。
「そうですか……そういえば、ルナシーは16歳なのに大学の授業を受けてますね」
「ええ。皇学院(王族の教育機関)の高等科は午前中だけど、午後は時間があるから大学の先生を招いて勉強よ」
「大変ですね……」
「大変じゃないわ。私、学ぶのが好きなの」
「すごいですね。僕なんか……」
「マイスは学問がお好きでないの?」
「いえ、勉学は嫌いじゃないです」
「じゃあ、マイスも学びましょうよ。あなた、最終学歴は?」
「え……トリーヌ村の教会で読み書きを修めた程度ですが」
「なら、大丈夫よ。お父様に頼んで、皇学院の中等科から始めましょう」
「そ、そんな! 皇学院だなんて、畏れ多い……僕みたいな平民が」
「大丈夫よ。あなたは王宮従者だから、肩身は狭くないはずよ。私塾みたいに貴族の自慢大会なんてないし、皇学院は勉強熱心だから」
「そ、そんな」
「王宮従者たるもの、教養も必要よ」
「仰ることは尤もですが……」
「いいのいいの。皇学院としては、学友が増えるのは大歓迎だから」
「そうですか……」
「マイスのような境遇の人もいるし、習熟の次第ですぐにでも高等科に行けるわ。私と一緒に勉強しましょう」
「ルナシーと一緒にですか」
「そう。一緒に大学まで行きましょうね。大学の資料は机の上にあるはずだから、読んでて。私は行くわ」
ルナシーがドアノブに手を掛けたときだった。
「あ、そうだわ」
振り返るルナシー。
「はい?」
「マイス、話が中座したけど、私に歌を教えてね」
「え、ですが……」
「私が授業を受けている間に、歌詞を紙に書いてくれればいいわ。歌は私が作るから」
「あ、はい……かしこまりました」
「紙も筆も机にあるから」
ルナシーは窓際の机を指差す。
「私は行かなきゃ、ドミトリル先生に何されるか分からないわ!」
「あ、はい。行ってらっしゃいませ」
マイスはルナシーを見送った。
「……法学の授業か。ルナシーは頭が良いなぁ」
ルナシーの文机に歩み寄るマイス。
「歌、歌ねぇ……僕の地元の童歌は言葉が違うからなぁ。ルナシーが読めるといいけど。うん?」
机上の筆と紙を手にするマイス。すると、何かを見つけたようだ。
「これは?」
数枚の紙の束、それは王国内の大学のパンフレットのようだった。
『王国内高等教育研究機関抜粋
◇王立大学 The Royal University◇
◆設置学部
文化人類学部 教育師範学部
法政社会学部 流通経済学部
自然科学学部 産業理工学部
医療科学学部 医療医科学部
◆大学院
言語学研究 歴史学研究 風俗研究
法律研究 法曹科 政策研究 外交政策研究
商業振興研究 財政研究 通商研究
天文数理研究 地質研究 気象研究
産業機械開発研究 資源開発研究
新薬開発研究 食物関係開発研究
医療技術開発研究
◇フェンデルクセン大学◇
◇Fenderkssen Public University◇
◆設置学部
人間科学学部 外国語学部
法学部 経済学部 教育学部
理工学部 農学部
薬学部 歯学部 医学部
◆大学院
思想哲学研究 言語学研究 外国語教育研究
法律研究 法曹科 国際関係法研究
地域経済研究
医療技術開発研究 生命研究
◇皇学院大学部◇
◇The University of The Royal Educational Function◇
◆設置学部
文学部 法学部 経済学部 教育学部 理学部
◆大学院
歴史学研究 思想哲学研究
法曹科 治世研究 外交政策研究
物流経済研究 商業振興政策研究
教育師範科 児童心理学研究
気象研究 地質研究 応用物理研究
◇ヴェネルック大学◇
◇Veneluch Commercial University◇
◆設置学部
商学部 経済学部 法学部
理工学部 医学部 海洋理工学部
◆大学院
貿易研究 国内流通研究 産業振興研究
法曹科 国内産業政策研究
産業機械開発研究 海洋研究 造船科 海事科』
「うわ、僕には難しすぎるよ……ルナシーは僕と一緒に大学へ行かせたいみたいだけど……」
開いた冊子を閉じるマイス。
「さて、僕は歌を紙に書くんだったね、えーと……」
紙と筆を手に取り、マイスは文字を書きはじめた。