身上
「し、失礼します」
ぎこちなく、緊張しながらルナシーの隣に腰掛けるマイス。
「そんなに固くならないでいいわよ。マイスのこと、教えて?」
「僕のこと……」
「あなたのご出身は?」
「トレーヌ村です」
「あら、かなり遠いところのお生まれなのね」
「ええ。村からここまで、結構かかりましたよ」
「しかも、王国とザウシュタットの境の場所よね」
因みに、フェンデルクセン王国は以下の5つの領土から成り立っている。王国というより、連合や同盟に近い。
『フェンデルクセン家領…王国中央部
カルマー家領…王国北部
ワルサワ家領…王国西部
ヴェネルック家領…王国東部
セダン家領…王国南部』
そして、国王は合議により選出される。現在のフェンデルクセン国王は、フェンデルクセン家の出身だ。王国の成立から中心的な存在だったフェンデルクセン家の血筋から、国王は輩出され続けている。
「はい。セダン家領の外れで、トレーヌ村は砦の村で有名ですよね……」
「砦の村は知ってるわ。マイスはセダン出身なのね。ご家族は何をなさってるの?」
「父が砦の職員でした」
「まあ。じゃあ、兵士さんでしたの?」
「いえ、工作員でした」
「工作員ということは、砦の補修ですとか?」
「はい。傷んだ箇所の補修の保守管理、新たに城壁の拡張工事などをしておりました」
「素晴らしい方なのですね、マイスのお父様」
「いえ、大したことは……」
「いいえ。マイスのお父様は王国の平和に貢献していらっしゃるのですわ。お父様、今もお続けになって?」
「いえ、父は死にました……」
「あ……申し訳ありません。私、そのようなこと……」
「お気になさらないでください。父は……ザウシュタットの奇襲で命を落としました」
「ザウシュタットの奇襲……史書で読みましたわ。私達が生まれる前に、ザウシュタットの軍勢が王国南部から侵攻したと……」
「ええ、その通りです。トレーヌ砦にザウシュタットが攻め込んだんです。奇襲でしたから、正規兵もセダンの都にいて兵力不足。砦にいた僅かな戦闘員と、非戦力の工作員が何とか食い止めたそうです……」
「知りませんでしたわ……史書に細かな内容までは書いてませんでした」
「僕も、母や父の知人から聞いた話です。父を含む工作員は工作用のスコップやツルハシと、武器庫にあった手弓を持って応戦したそうです。当然、ザウシュタットの正規兵に敵うものではありません。結果、多くの工作員が命を落としました……」
「……………………」
ルナシーはマイスから視線を落とす。
「セダンの都にある墓碑に、殉職者として名前が彫られてますよ。年に一度、参りに行きます」
「辛い思いをしたのね、マイス……」
「いえ。母や兄姉が僕を、ててなしごと馬鹿にされないように庇って、頑張ってくれたお陰で」
「しかし、マイスはお母様から離れてしまって、大丈夫なの?」
「大丈夫です。むしろ、母が望んだことですから」
「お母様が?」
「はい。歳が離れた兄たちはセダン家の役人になりました。母も農作業の傍ら、村の子供たちに読み書きを教えています。暮らし向きは、手前味噌ですが余裕はあります」
「経済的に余裕があっても、お母様としてはマイスがそばにいてほしいんじゃないの?」
「いえ、実は……父が亡くなった後に生まれた僕も、兄たちの口利きでセダン家の役人になることが決まってまして。母としては、父のように工作員になってしまう可能性を排除したかったのでしょう。なので、僕はセダンから離れた王都で宮仕えを」
「マイスのお母様……マイスが亡くなることを恐れてるのね」
「ええ。父を亡くして直ぐに僕が生まれたので、尚更でしょう」
「セダンのご家族にはお会いしてるの?」
「ええ。少なくとも年に一度、父の命日には」
「そう……ところで、マイス」
「何でしょうか?」
「他の領地から市民が王都に来る場合、大体が王立大学に進学なの。マイスはいきなり王宮従者じゃない? 王宮従者は王立大卒か王者親族がなることが多いけど、何でかしら?」
「それは……」
途端に口が重くなるマイス。
「言いづらいことなの?」
「……ご内密にお願いしたいのですが」
「言わないわ」
「分かりました……お話しします。単刀直入、ルナシー様……ルナシーのお母様と僕は親戚に当たります」
「え?」
「説明すると長くなりますが……フェンデルクセン正室のテオドラ様は、僕の父の兄の奥さんの妹です。父の兄もセダン役人です」
「え、私のお母様はセダンの市民の出だったの!?」
「どうやら、そのようです。僕も詳しいことは分かりませんが……」
「確かに、妃は近親婚を避けるように、王族以外から選ばれるけど……フェンデルクセン市民だとばかり思ってたわ」
「恐らく、母が義兄、僕の伯父に口利きをしてだと思われます」
「お母様……若い頃の話をしたことがなかったから、知らなかったわ」
「僕も王都行きが決まって、伯父からその話を聞いたときは、俄に信じられませんでした。しかし、女王陛下は僕を無碍に扱うことはせず、手厚く迎えてくださいました」
「そうだったの、マイス……」
「ええ。しかし、テオドラ様とはかなりの遠縁ですので、親戚関係は薄いです。謁見で初めてご尊顔を拝しましたし……」
「でも、マイスはお母様のお側用人として採用されたのではなくて?」
「当初はそうでした。しかし、テオドラ様の思し召しで、僕と年が近いルナシーのお世話人になりました」
「そうだったのね。10歳を過ぎてからお世話人なんて、侍女がいたらつかないもの。しかも、男の子なんて前代未聞なのよ。紹介されたときは吃驚したわ」
「国王陛下も、詳しい経緯をルナシーにお話しなさらなかったのですか?」
「何も説明なんてなかったわ。ただ、名前だけ伝えられて」
「僕も……想定外でした」
「だけど、お母様はこう考えたのかもしれないわ」
「何と?」
「……お世話人は建前で、本音は異性のお友達」
マイスの目を覗き込み、口の端を上げるルナシー。その仕草に、マイスはたじろぐ。
「お、お友達……」
「ええ。同世代の女の子はほとんどいないし、毎日が退屈だったのよ」
「同性のご友人は……」
「私は国王の娘だから、王宮から易々と出られないの。側室の子供で女の子が生まれたら……ここだけの話よ?」
「はい……」
「側室の女の子は捨てられちゃうの」
「す、捨てられ……!?」
「そう。まあ、孤児院に送ることはしないけど、側室の親戚筋に養女として出すのよね」
「な、なんでまた……?」
「王室典範っていうのがあって、側室の女の子が女王になるのは難しいの」
「そ、そういうことが……」
「そうなの。だから、王宮には男の子しかいないし、その男の子も次期の王位を狙ってるから、下心丸見えで嫌になるわ」
「ルナシー……」
「話し相手は私より年上の従者ばかり。同年代の女の子は皆無、男の子はしがらみで付き合えない。退屈の退屈だったのよ」
「僕には想像できません」
「王宮の王女様って位は高いけど、実際は普通の女の子だからね。お父様とお母様は愛してるけど、私は王族に生まれたくなかったなぁ」
「そんな、勿体無い言葉を」
「マイスが王子として生まれても、退屈で窮屈な生活には変わりないわよ。豪奢な生活だけどね、心は満たされないわよ……」
マイスから視線を落とし、ドレスの胸倉を握り締めるルナシー。
「ルナシー、退屈で寂しそうな生活を送ってきたんですね」
「そうね。表では笑ってるけど、部屋に帰ると泣いてたこともあったわ。寂しさに殺されそうなことはしょっちゅう。そんなときは、本を友達の代わりにしていたわ」
「本……フェアリーテイルとかヒロイックサーガとか?」
「ううん、違うわ。学術書とかね」
「学術書って、そんな難しい本が友達の代わりになるのですか?」
「ええ。この世のことを教えてくれる大親友よ。フェアリーテイルとかヒロイックサーガだと、主人公が友達と冒険したり恋人と恋に落ちて結ばれるから……読んでて余計に寂しくなるの」
「……………………」
「部屋の中で、数式や方程式を歌にして唄ってるわよ。サーガに出てくるような、男が窓の外から女に向かって、愛の歌を唄うように」
「部屋の前を通りかかるときに聞こえる歌は、数式だったんですね」
「あら、やだ。聞こえていたのね。そうよ、数式を唄ってたの。素数を延々と唄うこともあるわ」
「聞いたことがない歌だけど、綺麗な声だったから聞き惚れてましたたよ」
「ありがとう。だけど、私は流行りの歌は唄えないのよ」
ルナシーは悲しげに笑う。
「そうだわ、マイス。あなた、私に歌を教えてくれないかしら?」
「え、僕がですか!?」
「あなた、街へ出て吟遊詩人の歌とか聞いてるでしょ?」
「う、うん……」
「何でもいいわ。あなたの故郷の童歌でも、マイスが知っている歌なら」
「え、ええ……」
ルナシーの依頼に困惑するマイス。
「どうしたの?」
「い、いえ……僕、音痴なんです」
「あら、恥ずかしがることないわよ」
「ですが、ルナシーが間違えて覚えてしまうと……」
「大丈夫よ。私、讃美歌の手解きで歌唱の指導は受けてるから、音楽理論はバッチリなの」
食い下がるルナシー。しかし、そのとき。部屋のドアをノックする音が聞こえた。