Function 006: [info] デコード不可:暗号化されたデータです。
のぞみ145号は定刻通り新大阪駅に停車。
発車を告げる自動アナウンスの後、車両の速度が増していく。
乱立する高層ビルと高層マンションの間を高速で走り抜けていく。
建物のスケールが大きいせいか、そんな速度が出ているようには感じない。
それでも最初に新幹線に乗ったときはその速さに感動したし、
こんな大きな街が存在していたことなんて知らなかった。
もちろん知識としては知っていたし、大阪出身の友達も居た。
ただ、テレビを介して見る情報、人から聞いた情報は、
自分の耳で聞いたこと、自分の目を使って見たものとは価値の違うものだった。
生活の臭いや、排気ガスと、ドブ川の臭い。
知らない道を足の裏で踏みしめていく感覚。
裏通りで売られている怪しい日本語のパチモノを手にとって、思い切り笑ったときの感覚。
車の騒音、街の喧騒、ひそひそ話、知らない方言。
自分の五感を使って実際に体験した情報は、脳に深く刻み込まれる。
先程停車した新大阪駅では、乗客が大きく入れ替わった。
つい先程、この車両で起きた出来事を知る人も少なくなった。
事件の爪痕と、混乱が薄れていく。
犯罪者が自身の存在を示そうとして大きな事件を起こしたとしても、効果が薄い理由がわかった。
自分自身に関係ないニュースは、ただの娯楽であり、消費財だ。
感情との結びつきがない情報は、直ちに忘れられていく。
薄情だとか、心がないということではなく、
海馬の空きスペースを確保するための生理的な現象に過ぎない。
ただ、この車内の乗客全員が、彼と彼の起こした事件のことを忘れたとしても、
俺は彼の事を決して忘れないだろう。
俺に初めて、心停止する経験を与えてくれた。
俺に初めて、心からの復讐心と、悪いイタズラをする大義名分を与えてくれた。
俺に初めて、人を信頼することの素晴らしさを教えてくれた。
ひねくれた感傷に浸る中、これまた悪そうな声をした白鈴が語りかけてきた。
『あの男のPCからポエムが見つかったんだけど、読みたい?』
「とても興味があります」
俺に初めて、俺の性格が悪いことも教えてくれた。
これは学校では習えないことだな。
彼のポエム、日記の内容は自身の境遇の不遇さや、社会への不満に満ち溢れていた。
実際、彼は周囲と比べて有能な人物だったのだろう。
ただ、彼が他人に求めていた称賛のレベルが平均より高かっただけだ。
その内容は痛々しいものであったが、共感できる内容もあった。
自分自身にも同じ様な時期があったことを思い出す。
人の人生はほんの些細な出来事によって、簡単に変わってしまう。
彼は、社会への不満、要求や、自分の信じる正義をSNSで語っていた。
ある日、その文章が”闇の評議会”メンバーの目に止まった。
彼は5G接続者ではないし、脳内OSの知覚もしていなかった。
”闇の評議会”自身が、彼を洗脳していたわけではなかった。
”闇の評議会”のやったことはただひとつ。
彼に「目覚めしもの/Alt-Z」のコミュニティへの参加権利を与えただけだった。
閉じたコミュニティの中で、徐々に、そして加速度的に、社会への復讐心、敵愾心が増幅されていく。
そして、"闇の評議会"、彼らが言うところの「目覚めしもの/Alt-Z」は、
彼に居場所、仲間、成功体験、称賛を与えた。
彼が初めて人を殺したときの経験を綴った日記のページ。
それは、今までにない喜びと、自信に満ちあふれる内容だった。
”私は、生まれて初めて自分の存在価値を知ることが出来た。
私が、社会に蔓延する不正を正すことの出来る存在だということを自覚した。
普通の人間にとっては不可能であることを可能に出来る、数少ない人間。
選ばれし存在であることを証明し、使命を自覚することが出来たのだ。
真の友人達が、私を必要としてくれている。
私も、彼らを守らなければならない。
私はこの騎士団のナイトとなり、悪を裁き続ける。
法で裁けない巨悪に対し、私は戦いを挑み始めたのだ。”
あのとき、俺に話しかけてきたのが白鈴でなければ、
俺も同じような操り人形になっていたのかな。
あるいは現在進行系で、俺は白鈴の操り人形になっているのかもしれない。
まあ、仮にそうだったとしても、今、この旅を楽しめているなら問題ないか。
『あ、楽しそうなものを見つけた。今回の計画書と、ハック用プログラムのソースコード。』
「詰めが甘いな。そんなもの、何で残してたんだろう。」
『この計画、プログラム自体、彼が発案したものだったみたいだね。ただし、脆弱性を突くためのコードは”評議会”が用意したものだった。残念ながら、そのコードを収めたライブラリ自体は暗号化されていて、外部からは読めそうにない。』
「役に立ちそうなのに、残念だ。」
『いや、かなり役に立つ。ライブラリの挙動を解析して、方法を模倣することはできる。ソースコードには関数の呼び出し方も書かれているし、割と早いうちにモノにできるんじゃないかな。実際、"Anoyo"のメンバーにこれを回したら、”新しいオモチャが手に入った”って言って、皆喜んで遊んでる。』
心強い仲間たちだ。
敵には回したくない。回すつもりもないが。
人間に大切なことは好奇心だな。
あと、俺個人に限定すると、悪戯心と、ひねくれ精神も大切にしていきたい。
白鈴に会うとき、どんなくだらない悪ふざけを仕掛けてやろうか。
冗談で済む範囲の悪戯を考えるのは難しいが、成功したときはとても楽しい。
彼女はどうやったら笑ってくれるのだろうか。
俺が悪しき陰謀を企てていることなど、全く気づいていない様子の白鈴が話を続ける。
『計画書と連絡メモの内容だけど、思った以上によくできてた。内容を要約するね。』
この計画は組織のメリットを生かした、思った以上に規模の大きいものだった。
全く気づかなかったが、まず、俺は家から出た時点から尾行されていた。
また、昨日、俺への襲撃が失敗した時点で、彼らは俺を抹殺する計画を立てていた。
俺が外に出ていなければ、俺は拘束された上で家ごと燃やされてしまっていた。
俺が家にいなかった場合、今回のパターンは、尾行した後、周囲に気づかれないよう暗殺するという手順。
外出中、突然の心臓発作で倒れるというシナリオだ。
尾行は俺が考えていたより、ずっと複雑なものだった。
10名以上の非接続者が、代わる代わる俺を追跡していた。
非接続者を起用したのは、GateBreakerのアラート機能を見越したものだ。
普段イメージするような、後ろから距離を取って着いてくるという方法ではなかった。
彼らは俺の予想進路に先回りし、すれ違ったり、窓から覗き込むようにして俺を確認していた。
顔が割れないよう、チェックポイントごとに交代しながら俺の動きを見張っていた。
バスや電車、駅のホーム等で気づかれるリスクを減らすため、
途中下車したり、途中の駅から乗車したりして、尾行要員を次々と入れ替えていた。
プロの尾行がここまで高度なものだとは知らなかった。
俺のような素人には到底気づくことができないものだ。
先入観や思い込みが判断を鈍らせた。
やはり俺は探偵に向いていない。
件の痴漢野郎は尾行チームからの報告を受け、新幹線のホームに待機していた。
俺が”のぞみ145号”に乗ると判明した時点で、2号車前方から先に乗車。
後方の尾行要員からの連絡で俺の座席位置を把握し、座る座席を決めていた。
今思い返せば、ヤツは後ろを見るような素振りや、
怪しまれるような素振りは全くしていなかった。
俺が悪戯を仕掛けるまでは、冷静なヒットマンだった。
実際、彼は「目覚めしもの/Alt-Z」の中で少し名の知れたヒットマンだったようだ。
ハンドルネー厶は"Heart Squeez3r"。
心臓発作による不慮の死を演出するのが専門。
これまで少なくとも3人以上の人物を同様の方法で殺害していた。
彼らが信奉する”正義”の名の元に。
「彼の行動は間違っていたと思うか?」
『彼らの中では"正しい"行動だったし、彼らの中では"善"だった。ただ、私達にとっては害を成す存在で、敵対する存在だった。それだけのことだと思う。』
「付け加えると、生真面目に生き過ぎて、もっと楽しいことがあることに気づけなかったのが彼の敗因かな。」