銀色、オレンジ色、立体交差。
この街に、一度か二度、来たはずなのに、何故だか記憶が紐づいていない。
あのときは、何のために来たんだっけ。
情報量が多すぎて、脳がパンクしてたのかな。
或いは、何かに追われていて、景色を見る余裕が無かっただけなのかも。
色で分けられた、案内表示や床の色。
案内したいという意志は、伝わっていても、無限の変化に耐えられない。
いつも改築されていて、同じ姿を見せない構造物。
遮音シートと防塵シート。鋼の板が顔を出す。
変わり続けるのが、この街の個性。
変わることを辞めたとき、ここは古都になるんだろう。古ぼけた、コンクリートを見て思う。
少しひんやりとした、土の匂いがする風。
路線ごとに変わる、案内音。
視界の何処かで、常に銀色と色とりどりの帯たちが、動き続けていて、止まるものはない。
扉が、閉まる音。オレンジ色が過ぎ去って、また直ぐそこにオレソジ色。
扉が、開く音。
靴の裏から返ってくる感覚が、少し違う。
<この電車は 中央線 新宿行きです>
「白鈴さん。無事、中央線に乗れました。」
『だいぶ歩いたねぇ』
「沢山歩いて、また健康になってしまった。」
『同じところいっぱい歩いたねぇ』
少なくとも、エコノミークラス症候群で死ぬことはなさそうだ。
<まもなく 神田 神田>
その街のことは、よく知らないけれど、良く聞く名前が聞こえてくる。
神田、御茶ノ水、水道橋、飯田橋。
街が、上下左右に切り替わる。
陸橋、橋上駅、異様に窓から近いビル。
立体交差、半地下に潜り、川の上。
陸橋は低く、更に高架。見上げれば、ガラスの光。
光の数と、色の数。
人の数と、声の数。
知らない言葉と、文字の数。
この感覚は、知っている。
記憶に無くとも、知っている。
情報過多で、意味を捉えきれなくて、混沌としていて、耳慣れない、山の手言葉が面白い。
工夫を凝らして造られた構造物の数々に、人の力を感じられて、ただ、楽しい。
そんなときにも、何かが脳に残る。
自分がしたことを思い出して、ゾッとする。
『大丈夫?』
「あれで、良かったのかなとは思う。さっき、自分がやったことに対して。もっと、いい方法があったんじゃないかなって」
『自分のやっていることは、正しいと思う?』
「全く。俺は彼らを殺してはいない。でも、言葉の暴力を使った。その感情を、ねじ伏せた。」
<まもなく 御茶ノ水 御茶/水>
『事実だけ言うと、彼らはもういない。”感染性”を疑われて、消されたみたい』
「感染性?」
『直接身体を傷つけられなくても、言葉を通じて、不安や、恐怖は伝染する』
『あなたは、自分のやったことに納得してる?』
「していない。きっと、もっといいやり方があった。でも、今は、思い浮かばない。けれど、そのとき、やらなきゃいけなかったから。」
わざとらしい口調で、彼女が言う。
『渉くん。君は思い違いをしているよ。君はもうその力を手に入れている。視野が狭くなっているから、視界に入っていないだけだ』
見えていないだけ?
何を、指しているのだろう。
けれど、きっと、教えてもらう類のものではない。
眼の前の、窓の景色が目に映るけど、その情報が、脳まで届いていない。
遠くを、見ている。
目を瞑る。
『良い無言。白鈴さんは少し別の仕事にいきますわ』
『何かあったら、叫んで。また来るから』
<まもな< 四シ谷 四シ谷>
別の仕事。
そういえば、一番最初に、声を沢山聞いた。
その誰かとは、一度も話したことがない。
彼らは、一体何者なんだろう。
白鈴が、彼らについて言及するときは、いつも死の記憶。
現在進行形で、何かをしているという風ではない。
あの声は、こちら側の人間の声なんだろうか。
前に、ネットワークを攻撃された記憶。
彼は、俺じゃなかった。
けれど、鏡に映る彼を、俺は、俺だと認識していた。
それに、あれがいつのことだか、俺にはわからない。
それは、聞いてみなきゃわからない。
彼女を疑うことはもうない。
疑うと、全てが終わってしまう気がするから。
少なくとも、考え方では、同じ方向を向いている。
いつも、助けてくれる。
だから、少なくとも、気の合う友人だと思っている。
けれど彼女が何者なのか、殆ど聞いていない。
まだ聞くべきではないと、思っていたから。
ああ、そうだった。
どうして、これを忘れようとしていたんだろう。
本当に、視野が狭くなっていた。
いろんな事が、起こりすぎたんだ。
「白鈴。ありがとう。」
「それが何だかわかった気がする。それは――」『こんばんは。チャットボットがあなたの質問にお答えします』
出鼻を挫きに来たな。
いつにもまして声質が無機質だ。
言っている途中で笑う素振りを感じない。
それでこそ、白鈴だ。