第14話 湿気の籠もる、地下通路にて
追手の数は、恐らく、三人。
十字路左側に反応一人。
警報が鳴ったり、鳴らなかったり。
近距離無線通信範囲100メートルのギリギリか。
コンクリートで電波が遮られているからわからないが、
上下階どちらか、直線方向、至近距離に一人居る。
天井配管、構造の隙間を縫って電波がやってきているのだろう。
正面、左奥85m以内に一人。
警報と同時に、仮想3D表示のレーダーマップが表示されている。
FPSよりも親切だ。
手元に銃があれば良いのだが。
バールも、バールのようなものも持っていない。
こんな人混みの中でそんなものを持ち歩いていたら即ポリス案件だ。
この駅では、地下通路にも人が溢れている。俺の地元の駅とは大違い。
でも、少し臭うところと、どれだけ照明で照らしても、薄暗いところは同じだ。
カビと古い水の、不思議なにおいがする。
慣れない場所で、少しばかり不安な気持ちになってしまったが、
追加のソフトウェア・アップデートを受けた俺に、不可能はもはや存在しない。
このアップデートには、セキュリティ機能の更新、
初心者にも使いやすいユーザーインターフェイスの実装、
その他「軽微な修正」が含まれている。
重要なのは、「猫でもわかるハッキングツール全集 ver0.99β」と、
「スパイダソリティア」の追加。
クロンダイクよりもスパイダの方が好きだから、助かる。
さすが、白鈴だ。
今すぐ遊びたいところだが、敵の追手が、着実に近づいてきている。
敵を示す白い点が、レーダー中央、俺の元に、近づいている。
とりあえず、手元……脳元?にある、
「ねこはっく - 猫でもわかるハッキングツールまとめ ver0.99β」を起動する。
――ああ、なんてわかりやすくて、綺麗なインターフェイスなんだろう。
シンプルな画面に、簡潔に機能が纏まっている。
機能毎に色の系統が、使いわけられている。
コントラストが高くて、視認性が高いけれど、安っぽくない。
マテリアルデザイン以降、HTML5以降のデザイン性を感じる。
白鈴の本業はWebデザイナーか何かなのかも知れない。
繊細な色使いを見ると、カラマネの資格も取ってそうだ。
あと、アイコンのねこが、すごくかわいい。
彼女が描いたのかな。
トップ画面中央に、「困ったらこれを押せ」ボタン。
最高だ。
説明書きに、『とりあえず困ったらこれ押しときゃいいよ。
状況に応じて最適な機能を実行する。』と書いてある。
困っているので、押させて頂きます。
ステータスログが、画面右側の空白に表示される。
info: N3K0 H@CK ver 0.99 beta by Th3_R0ut3r
info: 初期化完了。
info: 5G接続者の位置を検出しています。 (5/100 % 完了)
info: 敵対的反応を検知しました。 (10/100 % 完了)
info: 敵対的ボットネットを検知しました。(20/100 % 完了)
Function C03: [info] ボットネットからの侵入を試みています...
Function C03: [info] ネットワーク上の機器 "TSN05_CAM0225"他 57のデバイス上に意図されたバックドアを検知しました。
Function A08: [info] Mr_Terch -THEM -ALL
Function A08: [info] 悪い子たちに再教育を施しています...
Function A08: [info] みんな、いい子になりましたよ。
Function A08: [info] Done.
Function A16: [info] "TSN05_CAM0218"の通信範囲内に敵対的存在を検知しました。
Function A16: [info] 敵対的存在:"TSN05_CAM0218"の通信範囲内に ”Croquette16@Alt-Z”を検知しました。
警告: 至近距離に敵を検知
<【警告】5G接続者の反応を検知 >
けたたましいブザー音。
ああ、くそ。頭痛がする。
この痛みは、初めてじゃないぞ。
半分が優しさで出来ている錠剤では、どうにもならなそうな痛み。
確実に、攻撃を受けている。
脳内レーダーに、赤い点が点滅している。
赤い点が示す意味は、右下の凡例表示によると「攻撃元」。
その赤い光点は、例の三人の所を指していない。
俺の近くにあるIoT機器を踏み台にして攻撃して来ているのかも知れない。
赤い点との距離は間近。
何処に、隠れているんだ。
人が多すぎる。誰かのスマホだったら、わかりっこないぞ。
赤い点が示す方向は、後方右側、4時の方向。
視線の先に、女性向けアパレルのセレクトショップ。
最新型の小型レジスター。
横には広告を流す、解像度の高いデジタルサイネージ。
どれも新しい。恐らく、踏み台にされるような世代の機器ではない。
何処に、隠れている。
嘘だろ。
こんな、古典的なものが、存在するのか。
少し大きめの、白いポケットWi-fiが、ショップ正面、マネキンの下に置いてある。
ぱっと見、駅構内用のネットワーク機器に思える外見だが、何処にも線が繋がっていない。
いつから置かれている。誰が置いた。
少し黄ばんだ外装。明らかに、古い型。
手にとって確かめたいが、マネキンに飾られた洋服はあまりにもフェミニンで、可愛らしい。
俺に、近づきがたいオーラを放っている。
だが、最新アップデートを受けた俺に、不可能はない。
あったとしても、なんとかなるだろう。
何か、悪いことをしている訳ではない。
落ち着いた雰囲気の女性店員が、
俺が向けた視線を感じて、柔らかい笑顔を向けて、歩いてくる。
「彼女さんへのプレゼントですか。」
「いえ、自分用です。」
じっくり何かを見るためには、堂々としておいたほうが良い。
正直にあのWi-fiは何ですか?と聞いても良いが、
俺にいじらせてはくれないだろう。
「ああ、でしたら、こちらの服などいかがでしょうか。
こういったデザインの服の方が、シルエットが綺麗に見えますよ。」
間をおかず、店員さんの営業トークが始まる。
目元は、相変わらず優しげだが、常にこちらの様子を伺っている。
親切だけれど、やりづらい。
あのポケットWi-fiを、どうすれば無効化できるだろうか。
あれが発信源かどうかは分からないが、光点は限りなく近くを示している。
なんとかして確かめたい。
でも、マネキンの足元に屈んで、スカートの下に手を伸ばすなんて、
明らかに不審人物だ。低い展示台の上に置かれているから、
足で払いのけることも出来そうにない。
店員さんが俺に似合いそうな服を、目で探してくれている。
高いプロ意識を感じる。客に真摯に向き合う店員の鑑だ。
しかし、今の俺にはやらなければならないことがある。
頭がぼうっとする。痛みが激しくなってきた。
「いえ、この服が良いなと思っています。」
「好きな服を選ぶのが、一番ですよね。
このデザインでしたら、上から何か羽織ると良いかも知れませんよ。
そうだ、あちらのストールなんかと合わせると良いかもしれません。
首元に何かあった方がバランスが良さそうです。」
このままでは無限にお勧めされてしまいそうだ。
なんだか、購買意欲も湧いてきてしまった。
着る予定は無いのだけれど、買わないのが悪い気がしてきた。
これが、プロか。
魔法のカードを、使うときが来たか。
MPは、まだ残っているはずだ。
「良さそうですね。そのストールと、このマネキンの一式をください。」
「ありがとうございます。少し大きいサイズの在庫があるかもしれません。
探してきますね。ああ、先に採寸しておきましょうか。」
親切すぎる。その親切が、今は辛い。頭が割れそうだ。
しかし、サイズの違う洋服を買ってしまうことほど辛いことはない。
何着、一度も着ること無く捨ててしまった服があっただろうか。
だめだ、頭痛が激しくなってきた。
限界が近い。ずしんと重い痛みが走る。
吐きそうだ。
何とかして、早く店員さんの目を誤魔化したい。
何とか平静の表情を保ったまま、店員さんに話かける。
「いえ、多分大丈夫です。
少し大きいものであれば入ると思います。」
「少々お待ちください。在庫があるか確認しますね。」
地下街の狭い店舗だから、在庫も目に届く範囲にありそうだ。
周囲を軽く見渡すと、正面に見える衣装ラックに同じものが置いてある。
背を向けてくれる方向で、助かった。
親切な店員さんも、それに気づく。
彼女が、その方向に足を向ける。
衣装ラックの眼の前で、ハンガーに手を伸ばす。
その瞬間を見計らって、ポケットWi-fiルータに手を伸ばす。
古い機種。電源スイッチは、スライド式。
そのスイッチを、オフにする。
ずっと続いていた、激しい頭痛が引いていく。
痛みからの開放。清々しい気分だ。
そのとき、どすんと重い音がする。
ジャラジャラとした、何かの音も聞こえてくる。
店員さんが、すとんと、その場に崩れ落ちる。
店員さんが、すとんと、その場に崩れ落ちる。
親切な店員さんが、すとんと、その場に崩れ落ちた。