Function 011: [info] 未定義の感情データです。
「俺は、何か大切なことを忘れている気がする。」
京都駅から、ここ、新横浜までの記憶が欠落している。
しかしそれ以前に、もっと、何かあったはずなのに、思い出せない。
『芋けんぴじゃないの』
ああ、そうだ。
俺は、せっかく買っておいた芋けんぴを食べ忘れている。
そして、今、血糖値が下がって思考能力が下がっているんだ。
芋けんぴの袋を取り出し、おもむろに口に運ぶ。
うまい。うますぎる。
どうしてこんなに俺の口に合うのか、わからない。
袋の口を閉じても、きっと、1分も立たないうちに、また手を出してしまうだろう。
俺はさつまいもの奴隷だ。
……不気味だ。何故、白鈴がそれを知っているんだ。
『キオスクで買ったあと、カバンに入れてるとこを見てたから。』
よく見ているな。
誰かを見ようと意識さえすれば、何でも分かろうとすることができる。
それが、間違っていたとしても、全く見ないよりは、ずっと多くの情報を得ることができる。
でも、少し怖い。俺の為にやっていることなのは分かるけれど。
少しばかりの恐怖と不安をかき消すために、言葉を出してみる。
「芋けんぴ、好き?」
『食べたこと無い』
「優しい素朴な甘さで、さつまいもの甘みと、焦がした砂糖のコーティング。
わざとらしくない味付けなのが、気に入っている。」
『薄味が好きなの?』
「濃い味付けのものも好きだよ。ラーメンとか、粉ものなんかも大好きだ。
でも、食材本来の風味が味わえるものの方が印象に残る。
微妙な風味は模倣し辛い。だからこそ、より多くのことを知りたくなる。
何の出汁が使われているか、当てるのが好きだ。」
『ふーん。良くわからないけれど、美味しいものなら食べてみたいな。』
「白鈴は、どんなものが好きなんだ。」
『あー。……好きも嫌いもないかな。何か、考えて食べたことはないよ。』
何があったのかわからないけれど、声色が少し悲しげだ。
あまり触れない方が良いことなのかも知れない。
晴れ渡る青空のもと、車窓から富士山を体験したときの映像を一緒に見た。
彼女にとっても、初めて見た光景だったらしい。
きっとインターネットには同じような映像が残っているはずだけれど、見ようとする意識がなければ、そこに関心が向くことはない。
旅は、今まで意識していなかった何かを見つけることができるから、面白いんだろうな。
彼女が喜んでくれた。
それを見た、俺も嬉しくなる。
それは、5分にも満たない体験だったけれど、きっと一生、忘れることはない。
そのとき、誰かと居たなら、ずっとその誰かのことを忘れることはないだろう。
忘れたことを思い出そうとするよりも、
新しい思い出を創ることの方が、ずっと簡単で、刺激的なのかもしれない。
映像が終わり、余韻と、少しの静寂が空間を満たす。
車窓に映る高密度の市街地が、視界の中でずっと続いている。
この国の首都の、ベッドタウン。
綺麗すぎて生活感は少し薄いけれど、多くの人々の生活がここにある。
あのコンクリートの向こう側には、きっと見たくないようなものが隠されているけれど、
それら一つ一つに、人間が、人間である証が残されている。
もうすぐ、東京だ。
「さっきの敵のこと、教えてくれないか。
何があったのか、覚えていないんだ。」
『音声回線と、画面を上書きされていた。
正確に言えば、あなたのOS上で敵の用意した”仮想マシン”が動いていて、
その画面と音声が送られてきていた。』
しれっと、俺の脳が仮想化技術に対応していることを知らされてしまった。
人間の脳の限界を知りたい。
「白鈴は、何処で気づいてくれたんだ」
『私も、しばらくはわからなかった。
あなたの”緊急事態”という声を聞いて、こちらから話しかけた。
でも、私の声が通じていないようだったから、
音声回線が何かに遮断されたと判断した。
でも、あなたが”何か”と話しはじめて、
もっとマズイ状況にあることを知った。』
「相手の会話は、白鈴に聞こえていたのか」
『あなたの声だけが分かった。
相手の話していることは分からなかったから、
聞き取ることができた言葉から、内容を推測した。
一回、あなたの話が途中で遮られたことがあった。
矢継ぎ早に情報を伝えて、衝撃を与え、不安を煽る。
考える時間を与えないことで相手の考え、
行動をコントロールする手法だって気づいた。』
『不安でも、恋愛感情によるものもそうだけど、
何らかの感情を掻き立てる行動を繰り返して、
そこに脅しだとか、甘い言葉を差し込めば、
簡単に人の行動は変えられてしまう。』
『渉は、うまく耐えた。』
「ありがとう」
「白鈴は、本当に頼りになるな。」
『私にできることをやっただけ。
私にはこの攻撃を防ぐことは出来なかった。
もっと、頑張らなくちゃって思ってるよ。』
「それをやろうとしてくれていることだけで嬉しいよ。
でも、頑張るって言葉はやめておこう。
その言葉は、簡単に使えるけれど、重すぎるんだ。」
『じゃあ、どう言えば良いのかな。』
「言わなくても、なんとなくわかるよ」
『そんなもんなのかな』
「きっとそうだ。」
「こういった攻撃を受けた経験は、今まであるかな」
『思った以上にスケールの大きい攻撃だった。
普通のサイトに、わからないように攻撃コードが埋め込まれていた。
もう、痕跡は消されているから、どこで仕込まれたかまではわからないけれど、
偽の”証明書”を仕込んで、ネットワークの接続先を改ざんしていた。
その偽の接続先は正しい接続先のデータをあなたに送るから、
見た目で判別することはまず出来ない。』
「どこでやられたか、わかるかな」
『検索エンジンそのものに罠が仕込まれていた可能性すらある。
完全に安全な場所は、もう何処にもない。』
そんなの、どうすれば良いんだろう。
もう、楽しくインターネットを遊ぶことは、出来ないのかな。
「対処方法は、あるのかな。」
『少なくとも、暗号化していない平文で個人情報を送ることは避けるべき。
アドレスバーの”錠前”マークをクリックして、
その”証明書”の発行元も確かめた方がいい。
怪しげなところに繋がっている恐れがある。』
そんなもの、普段意識していなかった。
ただインターネットを楽しむだけなのに、
どうしてこんなに面倒なことになってしまったんだろう。
せっかく脳から直接ネットに接続できるようになったのに、
これじゃあ何も出来ない。
俺の最新型脳みそは、ソリティア専用端末になってしまうのか。
『まあ、こっちで出来そうなことはやっているよ。
使う検索エンジンも、一応【某M社検索エンジン】とかに変えとこう。
メジャーなサイトには、それだけ多くの人の目が集まっている。
変なことをしたときに、気付く人間も多くなる。
疑いすぎると、何も出来なくなるけれど、
私達に出来ることだけやっておけば、少なくとも諦めがつく。
精神的な気休めだけどね。
一応、こっち側でも応急的な対策はしてる。
全てを防ぐことは出来ないけれど、
前よりはマシになっているはず。』
気休めでも、言ってくれるだけで嬉しいし、
一緒に居てくれることが、心強い。
「ありがとう」
『どういたしまして』
『そろそろ、東京駅かな』
「もうすぐ、品川に着きそうだ。東京駅から降りたら、
何処へ行けばいい」
『塚山公園の”あしながおじさん”のところ。』
「塚山公園って、有名なところ?」
『私にとっては、有名なところかな。』
少し笑いをこらえた声。
絶対、悪ふざけに違いない。
きっと、忘れてしまった記憶の中にあった、悪ふざけの一節だ。