選ばれちゃって白妃(五)
部屋の中には上等な長椅子と机などが置かれており、品良く調えられている。さすがは後宮の内部だと紫星はどこか他人事のように感心した。
なんだかどっと疲れたので、座っていいだろうかとちらりと傍らの天翔に視線をやる。だが、彼は紫星にはおかまいなしにへたり込むように長椅子に腰掛けた。じゃあ、と思ったものの、さすがに隣に座るのも気が引けて、紫星は別の榻に腰掛ける。手にしたままだった白虎の玉を机の上に置くと、なんとはなしに肩から力が抜ける思いがした。
最初は呆然とした顔でそのまま座り込んでいた天翔は、そのうち「認められるか」などとブツブツ呟き始めた。うんうん、と同意しながら聞いていた紫星だったが、しかしその先の進展が何一つないのでだんだんとそれにも飽きてきてしまう。いや、これはただの現実逃避かも知れない。
そんな、あまりにもわけの分からない状況なのだが、一つだけ紫星に分かることがあった。
おそらく、ここを勝手に出ることはできないだろう。なぜなら、扉の外に人の気配がするからだ。
(見張られているのね……)
いや、見張りのつもりではないのかも知れない。仮にも天翔は皇族なのだし、護衛が常についていてもおかしくない。
紫星はちらりと扉を見ると、肩をすくめた。彼らに頼んだら、ここに自分の荷物を持ってきてもらうことはできないだろうか。あれば、時間をつぶすために読書ができるのに。
(まあ……そんなことがお願いできる身ではないけれど)
はあ、と再び大きなため息をこぼすと、それに呼応するように天翔が舌打ちをした。ぎろ、と紫星を睨み付けると吐き捨てるように言う。
「もう……ほんと、なんなんだよ、おまえは」
「なんだ、と申されましても……」
——ただの官吏の娘で、今日から皇后さまにお仕えする女官になるはずだった女ですけども。
そう答えたかったが、おそらく天翔の求めている答えではないだろう。
目の前の机に置かれた「白虎の玉」に視線を移して、紫星は肩をすくめた。それにつられたのか、天翔もその玉に視線を移し、これでもかというほど渋い顔つきになる。しかし、これについては、むしろ自分のほうが天翔に尋ねたいくらいなのだ。
だというのに、彼は口をへの字に引き結び、憎々しげに紫星を睨み付けるばかりだ。
紫星はだんだん腹が立ってきた。勝手に連れてきておいて、何が起きたのか詳しい説明もなく、態度の悪い男と二人で一室に閉じ込められているのだ。しかも勝手に連れてきた当人が、なぜか紫星に怒りを向けている。
自分が白妃に選ばれたなんて、自分が一番信じられないのに。
一体どうなってるのか騒ぎ出したいのは紫星のほうなのに。
紫星こそ、怒り狂っても仕方がないと思う。
だが、天翔はそうは思っていないようだった。
「……おれは認めないからな」
「は?」
「認めないって言ったんだ……! いいか、次の皇帝になるべきなのは英俊兄上だ。兄上こそふさわしい……! おれなんか……おまえが白妃だなんて何かの間違いに決まっている」
興奮した様子で、彼はそう一気にまくし立てた。あっけにとられた紫星は、返事もできずただ呆然と天翔を見つめている。
「あんな儀式、失敗させるつもりでおまえを連れて行ったのに……なんでなんだよ……!」
「そ、そんなの……」
知るわけないじゃない、と続けようとした紫星は天翔の表情に気付いてぎょっとした。怒りに身を震わせている彼の瞳が、あまりにも——迷子の子どものように心細く頼りなげに見えたからだ。
一瞬息を呑んだ紫星だったが、次の天翔の言葉に思わず怒りを爆発させた。
「間抜けな阿呆顔をして……ああ、見てくれも普通だし、頭だって悪そうだ。白妃と言ったら、国に益を与える存在だろうが。見目麗しさが必要とは言わないが、せめて文字くらいは読める才女でなければ」
「はあ〜!?さっきから聞いていれば勝手なことばかり!あなたが無理矢理連れてきたんでしょうが……!」
だぁん、と目の前の机に拳をたたきつけると、さすがに天翔も驚いたのか、それとも言い過ぎたことに気がついたのか口をつぐんだ。だが、馬鹿にされた紫星の怒りは彼が黙ったくらいで静まるものでもない。
そもそも、女性に文字が読めるものが少ないのは、この国の教育に問題があるのだ。それを本人の怠慢のように言うなんて——それはただの傲慢だ。
(同情などするのではなかった……!)
ムカムカする。なんだか必死に思い詰めているように見えたから、付き合ってやったのはこちらなのに。わけのわからない儀式に付き合わせたあげく、結果が気に入らないからと言って責任を丸投げするなんて、それが皇族のすることか。
(こんな人、どう考えたって次の皇帝にふさわしいわけがない……!やっぱり、白妃なんて何かの間違いなのよ)
本当に腹立たしい。
きっと睨み付けると、天翔は自分にも非があることを理解しているのか、気まずげに口を引き結んでそっぽを向く。言いたいことはたくさんあるけれど、不敬罪に問われるのはごめんなので、紫星はもっと罵ってやりたいのをぐっと我慢して自分もまた唇を引き結んだ。
その二人の間——机の上では、白虎の玉が光を受けて柔らかく光っている。
こうして、二人の仲は初手からサイアクなまま——紫星の後宮生活は始まりを迎えてしまうこととなったのだった。