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その呪いは真実の愛では解けませんよ

作者: 江葉

お久しぶりです。



「無礼者!」


 言葉と同時に突き飛ばされた少女が廊下に転がった。

 学園の制服に身を包んでなおうつくしさを失わない少女が前に出る。廊下に少女を転がした娘が恭しく彼女に頭を下げた。


「おはようございます、ノルスティード第一王子殿下。殿下の婚約者であるわたくし、フェリシア・ドッド・カルステッド公爵令嬢がご挨拶申し上げます」


 制服のため略式だがフェリシアと名乗った少女は見事な礼を取った。


「あ、ああ……」


 突然の蛮行に驚き固まっていたノルスティードが呆けた返事をする。その瞳は吸い込まれるようにフェリシアを見つめていた。


 うつくしい少女である。


 朝日を浴びて琥珀色に輝く金の髪は艶めいて手触りが良さそうだ。澄み切った夏空のような蒼い瞳はノルスティードへの親しみで潤んでいる。すっと通った鼻筋にバラの花びらに似た唇は笑みを浮かべていた。慕わしい者への情愛を多分に含んだ瞳で見つめられ、ノルスティードは恋に落ちる音を聞いた。

 ノルスティードが見惚れてしまうのも無理はなかった。

 だが、フェリシアはすぐにノルスティードから目を逸らすと、彼を取り囲んでいる少年たちを見回した。右手に持っていた扇子を左手でぱしんと弾く。


「……何をしているのです、アレクセイ・オムニ・トンプソン。侯爵令息であり殿下の側近であるならば、わたくしに取るべき礼があるでしょう」

「は、はっ」

「ネイト・フォクシー、あなたもです。殿下の御学友に選ばれ、自身も伯爵家の嫡男であるならば何を呆けているのです」

「はい……」

「それに、アームズ・シルト・ソシエルド。あなたは殿下の従者であり、護衛騎士でもあります。慮外者が近づくのをなぜ黙って見ていたのです。お役目を果たしなさい」

「……申し訳ございません。カルステッド様」


 そしてはじまった説教にノルスティードは目を丸くした。三人の顔は悔しげに歪み、唇を噛んでいる。フェリシアの言うことはもっともだが、こんな人目のある場所で声高に言うことはないだろう。


 こんなに綺麗な少女が自分の婚約者なんて。


 ノルスティードは先程芽生えた恋がみるみる萎むのを感じた。同時にフェリシアの取り巻きによって無様に転がされた少女への同情が湧き上がる。

 フェリシアを睨みつけたノルスティードは、彼女を前にざわざわと心が揺らめくのを無視して少女に手を伸ばした。


「大丈夫かい、リリー」


 痛みにか突き飛ばされたショックからか、顔を覆って泣いていたリリーがゆっくりとノルスティードを見上げた。

 フェリシアをうつくしいと評するならば、リリーは可憐だった。


「も、申し訳ありません。ノルスティード様……」

「君が謝る必要はない。私の婚約者が済まなかったね、彼女に代わって詫びよう」

「殿下!」


 ノルスティードの謝罪にフェリシアが声を上げた。「黙れ」と言って制する。


「保健室に行こう、リリー」

「殿下、わたしのこと、覚えているのですか?」


 リリーの発言に周囲がどよめいた。ここは学園の正門、登校してきた生徒たちで溢れている。


「もちろんだ。私がリリーを忘れるわけがない」

「嬉しいです……!」


 ノルスティードの手を取って立ち上がったリリーが喜びのまま腕に抱きついた。やわらかな膨らみの感触にノルスティードの鼻の下がうっかり伸びそうになる。慌てて真面目くさった表情を作る王子にフェリシアは冷めた目を向けた。


 リリー・ロマネスティ子爵令嬢。

 ロマネスティ子爵が外に作った女性が産んだ、ようするに庶子である。


 庶子がこの栄えある貴族学園に通うことはめったにない。庶子は平民とさほど変わらず、家の権利をなに一つ持たないからだ。そんな子供に金をかけてまで高等教育を受けさせる貴族はいなかった。

 ではなぜリリーが学園にいるのかというと、彼女は頭が良かった。学園の特別奨励制度を利用して学費免除を勝ち取ったのである。


 建前として広く門戸を開くとして平民や地方の小貴族のために用意されていた特別奨励制度だが、今まで合格したものはいなかった。

 初の奨励生、しかも女子生徒だ。優秀さは疑うべくもない、と生徒会長のノルスティードはリリーを生徒会に入れた。

 そして、急速に親密になっていったのである。


「殿下! ……ノルスティード様……」


 驚愕の表情で一歩足を踏み出したフェリシアは、ノルスティードの腕に抱きつき優越感たっぷりの表情で笑うリリーに引き留めようとした手を下ろした。

 打ちひしがれたフェリシアにノルスティードは一瞬何かを言いかけ、しかし「行きましょう」とアレクセイに促されてリリーをくっつけたまま背中を向けた。

 がっかりしたようなホッとしたような空気が正門に流れる中、ノルスティードに従っていたアームズが振り返り、右手を心臓の上に当てた。騎士が主に忠誠を誓う時に用いる動作である。

 うなずいたフェリシアは潤む瞳を瞬きでこらえ、右手を左胸に当てた。


 ノルスティード第一王子は呪われている。


 この国の王子には、時折『魔女の呪い』を受け継いだ者が生まれてくる。


 はじまりはこの国の動乱期にまで遡る。およそ三百年以上も前のことだ。

 一人の魔女がうつくしい国王に恋をし、取引を持ち掛けた。


 ――わたしをお妃様にしてくれたら、この国を世界一にしてあげる。


 国王は魔女にこう応えた。


 ――人の世の栄衰は、人が自分の力で成すものだ。超常の力で繁栄してなんになろう。


 正論である。

 王として正しい言葉であった。


 たとえ魔女の力で世界一になれたところで他国からいらぬ嫉妬を買うだけだ。魔女が心変わり、あるいは力を失った時、自分の力ではないもので繁栄した国民が堕落していたら、どうなるかは火を見るよりも明らかである。

 そんなものより、たとえわずかずつであってもコツコツ努力を重ね、そして努力が報われる国のほうがずっと良い。

 さらに国王の妻、つまり王妃もこう言った。


 ――魔女よ、そなたの申し出は取引ではない、脅迫じゃ。己の欲するものを得るために手段を問わぬ、それは愛ではない。ましてや恋でもない。子供の我儘と同じじゃな。


 王の妻として魔女の誘惑を跳ねのけた。凛とした姿であったという。

 恋しい王に拒絶され、その妻に責められた魔女は激怒した。可愛さ余って憎さ百倍とばかりに王に呪いをかけたのだ。


 ――ならば貴様らの愛とやらを見せてみろ。愚かなる王よ、呪われるがいい!!


 魔女の呪い。それは『愛する者の記憶を失う』呪いだった。

 王妃のこと、我が子のこと、臣下のこと、果ては国のことまで一夜にして忘却した王に、当然ながら国中が大混乱に陥った。


 ここぞとばかりに他国から攻め込まれ、王宮には間者が蔓延り、もはやこの国はおしまいだと誰もが悲嘆に暮れた。

 しかし王妃は諦めず、王を励まし支え、忠臣らと指揮を執り、時には自ら前線に立って国民と兵を鼓舞した。

 たとえ記憶は一日で消えてしまっても、記録は残る。王妃の献身に王は自分の周囲に人を張り巡らせ、自分の言動を記録させた。いつどこで何を誰と話したのか、事細かく残したのである。

 同時に日記をつけはじめた。記録だけでは読み取れない自分の心境を書き綴り、明日には忘れてしまう自分に未来を託した。


 この日記は後に出版され、大ベストセラーとなった。日記には必ず一日の終わりに王妃への愛と感謝の言葉があり、国王は『最愛王』の愛称で呼ばれることになる。

 国王の日記を出版したのは王妃だ。王がすべてを忘れても王は人々の心に残る。そうすることで魔女に復讐したのかもしれない。


 愛する者を忘れてしまう呪い。


 この呪いは国民のみならず世界中が知っているといってよい。王の日記もだが呪われた王を支えた王妃と臣下の話は絵本、小説、舞台にと様々な形で作品化されている。またかつて戦争をしかけてきた国もこれぞ真の王妃、真の忠臣よと褒め称えた。敵ながらあっぱれというやつだ。


 そしてだからこそ、フェリシアが毎日毎日飽きもせず自己紹介し、わざとらしいほどに周囲の名前から役職まで声高に説明するのを誰も咎められなかった。

 一方で唯一忘れられていないリリーをどうしたらいいのかわからないのだ。

 リリーも呪いの話は知っているはずである。しかし一向に気にした様子がないのである。図太いのか馬鹿なのか、むしろ覚えられていることを喜んでいた。


 フェリシアの献身とノルスティードへの愛は感動ものだが、そのノルスティードがリリーにまんざらでもないのなら、リリーに任せてしまったほうが良いのではないか。フェリシアはノルスティードと同じ十八歳。若く能力もある公爵令嬢で、なにより彼女はうつくしい。自分を忘れるばかりのノルスティードに一生を捧げるより、もっと彼女を愛してくれる相手と結ばれたほうが、双方にとって幸せなのではないか。水面下ではそんなふうに囁かれていた。


「ノルスティード様!」


 昼休み、リリーに誘われたノルスティードは中庭で彼女の手作りだというお弁当を広げていた。

 そこにフェリシアが現れた。当然のように取り巻きと、いささか申し訳なさそうなアレクセイたちを従えている。


「フェリシア……カルテッド公爵令嬢? なぜここへ」


 リリーが二人で食べたいと言うので側近たちに人払いを頼んでいたのである。


「カルステッド、ですわ。ノルスティード様、第一王子ともあろうお方が毒見もせずにお食事など不用心すぎます。しかもテーブルにも着いていないとは何事ですの。ここはいつから学園からスラムになったのですか」


 フェリシアが合図をすると取り巻きたちが動いた。さっさとお弁当をしまうとリリーが持ってきたバスケットに入れ、リリーに押し付ける。


「毒味など……。リリーが自ら作ってくれたのだ、必要ないだろう」

「不衛生な場で衛生管理もされておらず栄養も考慮されていないものを食べるのに、ですか? もしノルスティード様が食あたりにでもなれば、お守りできなかった彼らに咎めが行くのですよ。お立場をお考え下さいませ」

「立場……。しかし、そこまでするのか?」

「当然ですわ」


 フェリシアは断言した。

 たとえ料理に毒などが混入していなくても、毒見役が検めていれば何が悪かったのか分析して調査できるのだ。食中毒なら原料の仕入れ先を調べ、それがノルスティードを狙ったものか、それとも偶然なのか徹底して裏を取る。ノルスティードは第一王子、そうされてしかるべき立場なのである。


「ど、毒見ならわたしが!」


 リリーが意気込んで手を挙げたが、


「自分で作って持ち込んだのならあらかじめ解毒薬を飲むこともできるでしょう」


 あっけなく叩き落とされた。

 不満を隠さず頬を膨らませるリリーにフェリシアはやさしく言った。


「ごめんなさいね、ロマネスティ子爵令嬢」

「えっ?」

「そのお弁当、ホテル『パリス』のものでしょう? バスケットに見覚えがありますの。庶子のあなたが三ツ星ホテルのお弁当を工面するのはさぞかしご苦労なさったでしょうに。ですが先程も言った通り、ノルスティード様にうかつなものを召し上がっていただくわけにはまいりませんの。ご理解くださいませ」


 殊勝に謝罪しているようにみえてリリーをこきおろしている。手作りと言っていたお弁当は有名ホテルのもので、庶子で奨励生――清貧なイメージのリリーが実は子爵家のコネと金を使える立場である、ということを見事なまでに暴いてみせた。


「なっ、なんで……っ」

「なぜ、とは?」


 見破られたとはいえ認められないリリーは「いえ……」と言葉を濁した。事実だったからだ。


「……「リリーの手作り」……」


 ぼそっと呟いた取り巻き令嬢がぷっと吹き出した。さすがにフェリシアが注意する。


「ジェニファー・アンダルチア侯爵令嬢、笑っては失礼ですわ。ほら、お弁当箱に詰め直したのはロマネスティ子爵令嬢でしょうし、いかにも素人の手作りらしく工夫されていたではありませんか」


 ついでにねちねち責めるのも忘れなかった。

 その隙に、呆然となったノルスティードを側近たちが連れ戻している。


「申し訳ありません、殿下。しかしカルステッド公爵令嬢のおっしゃることはもっともです」

「食堂のメニューをリリー嬢とお取りになるのでしたらかまいませんが……」

「尊き御身に万一のことがあってはいけません」


 そこにフェリシアが寄ってくる。


「さ、参りましょう。ロマネスティ子爵令嬢もご一緒にどうぞ?」

「え……」

「いいのか?」

「もちろんですわ」


 思いがけない申し出にリリーは顔を輝かせた。基本お弁当のリリーは有料施設の食堂を利用したことがない。そんなリリーにフェリシアは目を細めた。


「貧しい者に施しをするのは、高貴なる者の義務ですもの」


 さらっと告げられた言葉にリリーは蒼ざめた。

 ノブレスオブリージュは耳に心地良い言葉だし、貴族の心構えでもある。だが、面と向かって言うことではなかった。恩着せがましいというか皮肉が効いている。リリーのお弁当を無駄にさせた詫びではなく、庶子であることへの同情でもなく、ましてや好意であるはずがない。義務だと彼女は言い切ったのだ。

 先程から庶子であることを突かれていたリリーは、これには我慢ならなかった。これでも彼女は施す側にいる人間なのである。それが、フェリシアに最下層扱いされたのだ。


「デザートもお付けしましょうか。どうぞ、遠慮なく召し上がって?」

「失礼します!」


 バスケットを抱きかかえてリリーが中庭を逃げ去っていった。


「リリー!」


 すぐさま追いかけようとしたノルスティードは一度足を止め、フェリシアを振り返る。


「カルステッド公爵令嬢、君は最低だ」


 「まあ」と驚いたフェリシアがかわいらしく小首をかしげた。


「わたくしが最低でしたら、婚約者のいるノルスティード様に言い寄るロマネスティ子爵令嬢はわたくし以下ですわね」


 こともあろうに第一王子と二人きりで食事なんて、誤解されてもしかたのない所業だ。

 ノルスティードにはフェリシアという婚約者がいる。どう言い訳しても、婚約者をないがしろにしていい理由にはならなかった。

 自覚があったのかノルスティードはぐっと言葉に詰まり、それでも吐き捨てた。


「……君には失望した」


 そうしてリリーを追いかけるノルスティードの背中に、フェリシアはほうっと息を吐いた。

 これでいいのだわ、これで。フェリシアは心配そうに自分を見つめる取り巻き令嬢に微笑むと、今度こそ食堂へと移動する。弱々しい笑みである自覚はあった。悪意を持って悪事を成すのは思いのほか疲れるものだ。


 フェリシアのリリーに対する嫌がらせは嫌味だけに留まらなかった。

 教科書の破損、ノートを隠し、制服を汚すなどの定番はもちろん、わざと雨の翌日に外での用事を言いつけて足元を泥だらけにしたり、重くてかさばる道具類を一人で運ばせたりもした。

 普通の令嬢なら公爵令嬢に目を付けられた時点でノルスティードに近づくのを止めるだろう。しかしリリーはめげなかった。むしろフェリシアの嫌がらせを逆手に取り、ノルスティードに同情させ庇護欲を煽った。


 そしてついに事件が起きる。放課後誰もいない教室に呼び出されたリリーが、フェリシアにナイフで切り付けられたというのだ。


 今まで怪我一歩前のことはしていても、怪我はさせていなかった。明らかな悪意でもって切り付けたとなれば殺人未遂である。

 まさかの事件に学園は騒然となった。


「あら、まあ」


 その話を聞いたフェリシアは目を丸くした。

 記憶を留めておけないノルスティードに代わり、放課後は生徒会室で仕事をしていることは、学園中の人間が知っている。


「リリーさんもやりますわね」


 いつの間にか鞄に入っていた手紙で呼び出されたフェリシアだったが、無記名の上一人で来いという見え見えの罠だったのでスルーしていた。そもそもノルスティードの婚約者である時点で誰かしらがフェリシアの側についている。一人で、というのは無理でしかないのだ。

 フェリシアは感心しているが、リリーの自傷行為は俗に『カッターキャー』と呼ばれる古典的技法である。来ないフェリシアを苛々待ちながら、ノルスティードが通りがかるタイミングを見計らって実行したリリーはどのような気持ちだったのだろうか。別に想像したくないが根性だけはある。


「感心している場合ではございませんわ」


 のんびり言ったフェリシアにジェニファーが怒りを露わにした。


「あの女……! フェリシア様が決定的なことをなさらないからと自作自演に及ぶとは、見下げはてた卑怯さですわ!」

「アンダルチア嬢の言う通りです。当家の護衛が彼女の自傷行為をしっかり目撃しておりました」


 ジェニファーに同意したのはアレクセイである。トンプソン侯爵家は諜報部の纏め役で、学園の護衛官に紛れて密偵を潜り込ませてあった。


「……わたくしが弁解したところで、殿下は信じてくださらないでしょうね」


 そうなるように持って行ったのはフェリシアである。寂しげに自嘲したフェリシアに、ジェニファーたち取り巻きが涙ぐんだ。アレクセイもうなだれる。


「ロマネスティ子爵令嬢の記憶がある殿下は、彼女のほうを信じるでしょう」


 一度息を吸ったアンドレイは呼吸を止め、ゆっくりと吐き出した。


「……婚約破棄は、確実かと」

「そう……」


 長かった――。囁くような声に、取り巻きの令嬢が啜り泣いた。


「皆様、ごめんなさいね。こんなことに付き合わせて」


 誰よりも辛かったはずのフェリシアの言葉に、アレクセイだけではなくネイトとアームズもうなだれた。


 運命の日は、卒業パーティの当日だった。

 ノルスティードはフェリシアをエスコートせず、リリーを伴って入場した。

 ノルスティードから贈られたドレスを着たリリーは得意満面の笑みを浮かべ、一人ぽつんと遠巻きにされているフェリシアを見下している。


「フェリシア・ドッド・カルステッド公爵令嬢!」


 声を張り上げたノルスティードに、ついにはじまった、と生徒たちが緊張した。

 淡いピンクのドレスを着こなしたフェリシアがノルスティードの前に出る。


「お呼びでございますか」

「フェリシア・ドッド・カルステッド公爵令嬢! 私、第一王子ノルスティードはそなたとの婚約を破棄し、リリー・ロマネスティ子爵令嬢との結婚を宣言する!」


 ノルスティードが宣言した。

 ちなみに彼の腕にくっついているリリーが扇子を不自然に傾けている。今日まだ挨拶していないフェリシアの顔と名前が一致したのはリリー作カンニングペーパーのおかげらしい。

 うっかり笑いそうになったフェリシアはなんとか堪えた。ここでだいなしにするわけにはいかないのだ。


「突然なんですの、ノルスティード様。王子たるもの、そのような大声を出すものではございませんわ」

「黙れ! フェリシア・ドッド・カルステッド! 私、ノルスティードの名において、ここで貴様を断罪する!」

「……断罪? わたくしが悪かったとおっしゃいますの?」

「当然だろう! リリーへの嫌がらせの数々、身に覚えがないとは言わせんぞ!」

「ノルスティード様に近づく泥棒猫を排除しようとしたまでのこと。責められる覚えはありませんわ。さすがは発情した猫ですわね、どうやら懲りるということを知らないご様子」


 フェリシアが睨みつければリリーはわざとらしく怯えてノルスティードにしがみついた。


「は、発情した猫なんてひどい……っ」

「リリー……。貴様っ、リリーを侮辱するな!」

「事実を申し上げたまでのこと」


 リリーの柳腰を抱き寄せて密着するノルスティードを、フェリシアは憎むように見つめた。


「はじめてお会いした幼き日より、ただ一人ノルスティード様だけを想い続けておりました。晴れて婚約者となり、ノルスティード様が呪いを発現しわたくしをお忘れになっても、わたくしは変わらず献身し尽くしてまいったのです。そのわたくしを差し置いて学園で出会っただけの女と恋をするなど、許せるものではございませんわ」

「だからといって殺しても良いと言うのかっ!?」

「ロマネスティ子爵令嬢傷害事件であれば、わたくしは完全に冤罪でございます。なにもかもお忘れのノルスティード様に代わり、わたくしが生徒会長を代行しておりました。生徒会の皆様にお尋ねになってくださいませ、わたくしの無実を証明してくれますわ」

「どうせその者たちは貴様の手下だろう……! 何が王子の側近だ、権力に尾を振る犬ではないか!」


 瞬間、フェリシアがカッと目を見開いた。


「彼らを侮辱するのは許しません!」


 叫んで、激高した自分を恥じるように扇子を握りしめた。


「アレクセイ・オムニ・トンプソン、ネイト・フォクシー、アームズ・シルト・ソシエルド。彼らはそれぞれ家を継ぐべき優秀な嫡子ですわ。その彼らが記憶を留めておけぬ殿下に仕え続けている意味を、お考えになったことはありませんの? ……彼らの忠誠を疑うこと、わたくしが許しません」


 フェリシアの迫力にノルスティードが息を呑む。シンと静まり返った会場に、啜り泣く声が響いていた。


「……婚約の破棄、承りました。醜い嫉妬心からリリー・ロマネスティ子爵令嬢を傷つけたこと、謝罪いたします」


 フェリシアに呑まれていたノルスティードは一瞬だけ縋るような瞳になった。


「認めましたわ、ノルス様! 早くフェリシアに罰を与えてください!」


 しかし、リリーに腕を引かれて我に返る。


「う、うむ、そうだな。……第一王子の婚約者でありながら人を差別し、立場に驕ったあげくリリー・ロマネスティ子爵令嬢殺害を企んだ悪女、フェリシア! 貴族籍を廃した後北方にあるトートラント修道院で生涯リリーに謝罪するがいい!!」


 トートラント修道院は最北端にある、この国でもっとも過酷な修道院である。そこに辿り着く前に大半が盗賊や野生動物に襲われて命を落とし、無事に辿り着いてもあまりの過酷さに自死を選ぶ者が後を絶たないといわれている。

 碌な暖房もなく、痩せた大地には草も生えず、近隣の村々は信心が薄く年若い娘が逃げ出そうものなら行く末は一つしかない。

 死刑を宣告されたも同然であった。


 あまりのことに取り巻き令嬢が悲鳴を上げた。会場の中には耐え切れず失神した令嬢もいる。

 しかしフェリシアはゆっくりと微笑んだ。


「ロマネスティ子爵令嬢には先程謝罪しました。これよりはノルスティード様の心安らかたらんことを神にお祈りしてまいります」


 そして、見事な礼をして会場を出ていった。

 すかさずジェニファーたちがフェリシアを守るように取り囲む。


「これでノルス様と結婚できるのね!」

「そうだな。皆、祝福してくれ!」


 リリーのはしゃぐ声、ノルスティードのほっとしたような言葉に促されて、会場はしらじらしい祝福に包まれた。


 やがて卒業パーティが終わり、ノルスティードはリリーを連れて王宮に帰った。

 両親、つまり国王と王妃にフェリシアと婚約破棄したこと、リリーと結婚することを報告する。

 勝手なことを、と叱責される覚悟でいたが、国王はあっさり


「そうか」


 とうなずいた。


「リリーちゃんのことはあなたの側近たちから聞いていたわ。真実の愛ですって? 素敵ねぇ、羨ましいわっ」


 王妃は大げさなほどはしゃいでリリーを歓迎し、さっそくリリーの部屋を用意するよう指示を出している。


「彼らが?」


 意外そうに目を瞬かせたノルスティードに、王妃はリリーの手を取った。


「そうよ。立場上、あの三人は反対しなければならなかったけれど、あなたが覚えていられる女性と結ばれたほうが良いのではないか、と言っていたのよ。リリーちゃん、大変なことも多いでしょうけれど、この子のこと、お願いね?」

「は、はいっ。お任せくださいおかあさまっ」


 王妃は笑みを深くし、涙を浮かべながらリリーの手を痛いほど握りしめる。


「……今日は疲れたでしょう、もうお休みなさい。あ、部屋は別ですよ」

「母上っ」


 母親の軽口に真っ赤になったノルスティードがリリーと部屋を出ると、王妃はすっと表情を消し、こんな時にまで嵌めていた手袋を取った。


「捨てておいて」

「はい、王妃様」


 疲れたように黙り込んでいた王に王妃が寄り添う。その手を王がやさしく撫でた。


「……どうなるのでしょう」

「賭けだな。だがフェリシアは命を懸けたのだ。私たちも覚悟を決めよう」

「ええ。……ええ」


 王妃の目に涙が滲む。

 呪いが発現するまで、フェリシアとノルスティードは本当に仲睦まじい恋人同士だったのだ。

 二人の婚約は実は最近で、学園入学の十六歳のことである。

 もしノルスティードが呪われた王子であれば、ある日突然フェリシアは忘れられてしまう。愛娘を案じるカルステッド公爵が許さなかったのだ。


 第一王子でも公爵令嬢でも、十六歳にもなって婚約者がいないというのは瑕疵になる。そこまで婚約者が決まらないのは何かあるのでは、と邪推されるのだ。

 幸いノルスティードとフェリシアの仲は公認だった。そして、呪いに怯えて婚約を許さない公爵に気持ちはわかるけど……と同情しつつ非難が集まり、世論に押される形で婚約が決定した。


 悲劇は幸福に包まれた婚約式の翌日に起こった。


 ノルスティードに呪いが発現したのだ。

 最愛のフェリシアはおろか周囲の人々、側近や両親からこの国のことまで忘れてしまったノルスティードに、彼に愛されていた者すべてが悲しみに包まれた。

 もちろんフェリシアとの婚約は解消が検討され、側近たちも第二王子に付いたほうが良いと判断された。当然だろう、記憶のないノルスティードが王太子になれるはずがないのだ。

 しかし、彼らは反発した。愛するのは、忠誠を捧げているのはノルスティードただ一人である、と。


 そしてフェリシアがある提案をしてきた。


 これまで呪われた王子が記憶を取り戻したことはない。最愛王の妃と同じく献身的に尽くす妻を得た王子も、絶望の末に死を選んだ王子も、誰ひとりとして呪いは解けなかった。


 なぜか? 魔女は「愛を見せてみろ」と言った。去り際のこの言葉で、真実の愛で呪いが解けるものと思い込んでいた。


 だが、はたして魔女が解呪のヒントなど言うものだろうか――?


 呪いというのは解かれてしまうと術者本人に跳ね返ってくる。それは魔女も同じである。呪い返しの恐ろしさを知る魔女であれば、そしてフラれた腹いせに呪うような魔女ならば、むしろ逆で、ヒントではなく罠だった可能性がある。

 根拠はあった。呪われた王子の前には、身分こそ低いものの王子が忘れない娘が現れるのだ。

 今までの王子は本能が拒否するのか娘を近づけることはなかった。どんなに忘れていても、婚約者や恋人に恋をする。記憶ではなく、心が王子を動かしていた。


 もしや魔女は最愛王を諦めておらず、呪いの発現を嗅ぎつけて王子の前に現れているのではないか、とフェリシアは推測した。

 フェリシアは生まれ変わりを信じない。最愛王の妃は最愛の王妃一人であるべきだ。どの王子も婚約者や恋人がいることから、ただ単にフラれた恨み妬みが肥大しただけであろう。何気に魔女をこきおろしている。


 だがもしもこの推測が当たっているとすれば、魔女は王子と結ばれることを望んでいる。そうであれば、王子が魔女に愛を告げれば呪いが解けるのだ。


 魔女が現れることを予想して待つフェリシアたちの前に、はたして学園に入学するやノルスティードに娘が接近してきた。リリー・ロマネスティ子爵令嬢である。

 ここでフェリシアは賭けに出た。リリーとノルスティードをくっつけるべく、自ら悪役令嬢を買って出たのである。

 もちろん辛い決断であった。呪いとはいえ愛するノルスティードが彼女を忘れ、さらには憎き魔女との恋をお膳立てしなければならないのだ。

 何度も泣いたし、公爵には婚約解消を勧められた。それでも彼女がノルスティードを見捨てなかったのは、学園卒業までと期限を定めていたことと、最愛王の王妃が頭にあったからだった。


 魔女が王から記憶を消したのは、おそらく彼を完全に自分のものにしたかったからだろう。二人きりで完成する世界を望んだのだ。

 王妃はそれに気づいていた。もとより魔女の誘惑を跳ねのけた夫に愛が天元突破していたことは想像に難くない。だから魔女の思惑を利用してやったのだ。


 正直なところ、フェリシアは羨ましく感じている。一日経てば記憶は消えてしまうけれど、毎日ノルスティードと恋をはじめられるのだ。自分一人だけのものにできる。独占できる。


 だがフェリシアは公爵令嬢なのだ。貴族的思考で彼女はノルスティードの才を惜しんだ。王子として申し分のないノルスティードが王になれば、最愛王の再来とまではいかずとも、穏やかに国を発展させていけるだろう。

 フェリシアの賭けに、アレクセイ、ネイト、アームズも乗った。貴族たちを説得し、学園を巻き込んだペテンを仕掛けたのだ。そして、今日の卒業パーティで終幕を迎えた。

 すべては明日、明日になればわかることである。フェリシアだけではなく王と王妃も、眠れぬ長い一夜を過ごした。






 早朝、フェリシアと父の公爵が王宮に呼ばれた。緊急招集である。


「フェリシア……大丈夫か」


 公爵は黙ったままの娘をいたましげに見つめる。フェリシアは、髪こそ長いままだが黒い修道服に身を包んでいた。元からの美貌とあいまって、禁欲的なうつくしさがある。


「大丈夫ですわ。どのような運命であっても、わたくしは受け入れます」


 フェリシアは瞼を閉じた。娘の覚悟に公爵はもう何も言えず、もし記憶を失ったままであればノルスティードを一発殴ってやる、と不敬極まりない決意を固めた。


 王宮は騒然としていた。この時間なので主だった貴族たちはまだ登城しておらず、使用人たちが慌ただしく行き来していた。

 フェリシア登城の連絡を受けて待ち構えていた女官長が満面の笑みで出迎えた。

 女官長は黒衣のフェリシアに息を呑み、目を潤ませて叫んだ。


「フェリシア・ドッド・カルステッド公爵令嬢、おめでとうございます!」


 女官長に従っていた女官たちも一斉に繰り返す。


「おめでとうございます!」

「フェリシア様のおかげです!」

「ありがとうございます! おめでとうございます!」


 賭けに勝ったのだ。

 理解したフェリシアは全身から力が抜けそうになった。公爵が感極まった表情でそんな娘の肩を支える。


「で、殿下は……?」

「ノルスティード殿下はフェリシア様にお会いしたいと、応接間でお待ちでございます。さあ……!」


 記憶を取り戻したノルスティードは学園でのことも覚えていた。自分がフェリシアと、婚約を破棄してしまったことも。

 なんということをしてしまったのだ。錯乱したノルスティードはフェリシアに会いに行くと言って城を飛び出そうとした。早くしないと愛するフェリシアが自分の命令通りにトートラント修道院に行ってしまう。絶望に叫びながら大暴れした。

 早朝に公爵家に押しかけても門前払いされるだけだ、と説得され取り押さえられたノルスティードをどうにか応接間に閉じ込め、フェリシアと公爵を呼び出したのだ。

 

 フェリシアは修道服の裾をからげてはしたなく走り出したくなるのを堪えた。女官長も気が急くのか小走りになってしまっている。応接間に着くやノックもせずにドアを開けはなった。


「フェリシア様がいらっしゃいました!」


 じっとしていられなかったのか立っていたノルスティードが弾かれるように振り返った。

 その瞳がフェリシアを写し、そして悲痛に染まる。


「フェリシア……!」

「ノルス様!」


 フェリシアはためらわずに両手を広げてノルスティードの胸に飛び込んだ。フェリシア、と名を呼んだ彼に様々な感情が込み上げて爆発し、涙が溢れる。


「フェリシア、フェリシア……っ」


 ノルスティードも泣いていた。離れていたぬくもりを抱きしめて、懐かしい彼女の髪に頬を当てる。


 ようやく戻ってきた。


 互いに抱き合って泣き崩れる二人を、そこにいた全員が貰い泣きしながら見守った。

 やがて泣き止んだ二人は互いの姿を刻みつけるように見つめ合った。


「ノルス様……。わたくしのこと、おわかりですのね?」

「もちろんだ。私の最愛、私の命。フェリシアがいなくてはもはや生きてはいけない。忘れてしまっている間ですら私は君に恋をしていた」

「呪いを解くためとはいえ、わたくしは殿下を欺きました。それでも最愛とおっしゃってくださいますの?」

「私のためだろう。むしろ君にそんなことをさせてしまった、私を許して欲しい」

「許すなど……。ノルス様がいなくては生きていけないのはわたくしですわ」

「フェリシア……、ありがとう」


 応接間には国王と王妃の他に、もう一組の夫婦がいた。ロマネスティ子爵夫妻である。

 夫妻はあきらかにやつれていた。特に夫人は目の下のクマが化粧でも隠せていないほどだ。

 無理もない。リリーの存在で一番迷惑を被ったのはこの夫婦だろう。


「ロマネスティ子爵」


 国王の呼びかけに二人は蒼ざめてかしこまった。どのような処罰が言い渡されるか、生きた心地がしないに違いない。

 しかし、国王は責めを発しなかった。


「此度、王家の呪いに子爵家を巻き込んだこと、まことに済まなく思う」


 それどころか謝罪したのだ。

 呆然となった夫妻に王妃も申し訳なさそうに言う。


「わたくしどもも、リリーの素性を調べたのですよ」


 ロマネスティ子爵が外で作った庶子、それがリリーの身分だった。

 ところが王家の調査ではリリーの母親どころか、ロマネスティ子爵家に行くまでどこで何をしていたのか、まったく摑めなかったのだ。

 リリーが現れるまでロマネスティ子爵は愛妻家で有名だった。夫人との間に子供は生まれなかったが第二夫人を入れることもなく、妻一筋の男だったのだ。


 貴族は財力にもよるが、四人まで妻を娶ることが許されている。正妻である第一夫人に子がいなければ、第二第三夫人に産ませるのが普通なのだ。

 表向き四人の妻を平等に愛すること、と定められてはいるが、正妻は政略、第二夫人以下は恋愛結婚というケースが多い。血統を保つことの他に優秀な跡継ぎを求めるためだ。

 この国は長子相続ではなく当主による指名で後継が決まる。長子が優遇されるのは間違いないものの、必ずしもそうである理由はどこにもないのだ。


「リリーの戸籍はなく、どこから来たのかすら不明……。子のいない子爵家は魔女に都合が良かったのでしょうね」


 王妃がいたわるように言った。ロマネスティ子爵家は純然たる被害者だった。


「わたくしは、もう一つ理由があったと推測します」


 フェリシアが口を挟んだ。


「フェリシア、それは?」

「はい、陛下。ロマネスティ子爵が愛妻家であること。愛しあう夫婦こそ、魔女のもっとも憎むものかと。最愛王に袖にされた恨みで呪うような魔女ですもの、お二人の仲を引き裂きたかったのではないでしょうか」


 思い当たることがあったのか夫人がハッとした。「何かございましたか」と水を向けると、少しためらった後に答えた。


「リリーは……、娘という立場でしたが、まるで夫の愛人のように振る舞うことがありました」


 ロマネスティ子爵夫妻は二十代後半とまだ若い。貴族の結婚が若いうちに行われるといってもリリーが十八歳では、子爵がリリーの母と関係を持ったのは七〜十歳ということになる。ありえない話ではないが、愛人のほうがしっくりくる。

 フェリシアがうなずいた。


「羨ましかったのでしょうね」


 そして憐れみを込めて言った。


「羨ましい?」


 ノルスティードが首をかしげる。そんな彼を慈しみを込めた瞳で見つめた。フェリシアの目はまだ潤んでいる。


「最愛王を筆頭に、呪われた王子にはいずれも相思相愛のお相手がおられました。仮に最愛王の血筋を呪うようなものであっても王女はお一人も呪われておりません。必ず王子なのです。このことから考えますと、魔女はすでに完成された関係……それを壊すのではなく取って代わりたいと望んでいたのではないでしょうか。魅了の呪いではなく愛の記憶を消したのはそういう理由でしょう」

「ああ……」


 ノルスティードには今ひとつわからなかったが、王妃と子爵夫人は理解したようだった。同じ『女』だからだろう。何度もうなずいている。


「そういうことでしたのね……」

「最愛王の妃が魔女に「愛ではない」と言うわけですわ。たしかにそれは愛ではありません」


 王妃が嘆息した。王妃は言い方こそ悪かったものの、王に愛を乞うた魔女に「愛ではない」と断言したのはいくらなんでも酷であると魔女に同情していたのだ。幸い国王に呪いは発現しなかったが、息子は呪われてしまった。余計なことを言った、と最愛王の妃を恨んだこともある。

 魔女が欲しかったのは最愛王の愛ではなく、彼に愛される『王妃』という立場だったのだ。それは恋でも、愛でもない。魔女ははじめから、誰も愛してはいなかったのだろう。

 たとえ最愛王が魔女を王妃にしたところで、やはり魔女は呪いをかけた。王妃は魔女でも、真実愛しているのは別の女なのだから。


「愛……。愛を見せてみろと魔女は言った。リリーは『かわいそうな自分』を演出するのは上手でしたが、私と結婚したいと言っていましたが、どちらかというとフェリシアを傷つけたい気持ちのほうが本心のようでした」

「見せてみろと言っても実際に見せつけられると腹が立つのであろうな」


 理不尽であるがそういうものである。

 今度は国王が嘆息した。この国で至高の地位についている男は、嫉妬がどれほど恐ろしいものかよく知っている。憧れに育つか、憎悪を呼ぶか、どう転ぶかわからないからだ。


「ところでリリーとかいう娘、まことに魔女本人だったのでございますか?」


 話が途切れたところで公爵が訊ねた。王と王妃が顔を見合わせ、同時にうなずいた。


「うむ。間違いなく魔女本人であった」


 蒼ざめている。気づかわしげなフェリシアに王妃が疲れたように微笑み、リリーの現状を話しだした。


「ノルスティードとの婚約を許したとはいえ、部屋は別に用意して監視させました。万が一既成事実でも作られたら大変ですからね」


 フェリシアたちが学園内で事を治めるべく苦心したのもここである。学園内ならば人目があるし、生徒から親に伝わってもあくまで噂の範疇だ。卒業パーティも学外から人を入れず、徹底して秘匿した。

 本来ならカルステッド公爵家や重臣たちともはかるべき第一王子の婚約を、リリーとノルスティードの二人との会談で済ませたのも、それを事実にしないためである。あくまで口約束、教会での宣誓や婚約式など公にしなかった。

 それで魔女が満足するかが心配だったが、フェリシアからノルスティードを奪い取っただけで良かったらしい。


 呪いは解けたのだ。


「衛兵に監視されていたところ、日付が変わると同時に魔女の絶叫が響いたそうです。慌てて部屋に踏み込めば、リリー……、いえ、魔女は、……変わり果てた姿になっていました」


 報告を受けた王と王妃は到底信じられない話に、自らの目で確かめたほどだ。


「どうなっていたのです?」


 その頃のノルスティードはお茶に仕込まれた睡眠薬でぐっすりだった。起きてから今までの記憶を思い出したのである。それまで記憶の確認と錯乱状態であったため、リリーのその後は初耳だった。


「魔女は……おそらく魔法で老いを止めていたのでしょう。呪いが返り、魔法を失った魔女は……老婆に成り果てていたのです。わたくしたちを呪おうとしてきましたが、呪いが成就することはありませんでした」


 女として、一夜にして老いさらばえるという世にも恐ろしいものを目撃した王妃はあまりのおぞましさに震えている。フェリシアも息を飲み、思わずノルスティードの手を摑んだ。

 愛する者の記憶を失う呪いをかけた魔女は、自分のもっとも大切な――魔法を失ったのだ。つまり魔女が愛していたのは結局自分自身だったと証明したことになる。


「……魔女とは」


 王が言った。


「魔女とは、善なる者に祝福をもたらす善き魔女と、我欲のために人を呪う悪しき魔女、そして人を試す試練の魔女がいる。魔法というのはただ人には扱えぬ超常の力だが、必ず因果と応報があるものだ。あまりにも長きに渡り王家を呪い続けた魔女は、これからも呪いが続くものと己の力を過信した。フェリシアの献身と智慧、そしてまことの愛に破れたのだ」


 真の愛と言われたノルスティードは頬を染め、不思議に思っていたことを聞いてみた。


「フェリシア、そういえば気になっていたんだが、どうしてリリーに嫌がらせなんかしたんだい? 君が自分でやる必要はなかっただろうに」


 フェリシアは困ったように苦笑した。

 決定打となった傷害こそ冤罪だが、それ以外はすべてフェリシアが手を下していた。どれもたいしたことのない子供の児戯のようなものだったが、たしかにフェリシアが自分でやる必要はなかった。侯爵家の者や、それこそ取り巻き令嬢にでもやらせれば良かったのである。

 ただでさえ目立つ彼女が人目もはばからず目立つことをやったせいで目撃者が続出、ノルスティードが裏を取るまでもなかった。


「あのような悪辣非道なことを、他の者に任せるわけにはまいりませんもの」

「悪辣非道……?」

「何をされたら嫌か、夜も眠れないほど悩みましたわ。自分が考えたこととはいえ恐ろしくなりましたもの。持ち物を破損したりわざと足元を泥まみれにさせたり……。もしもリリーが魔女ではなく本当に淑女であったらば、耐えがたい苦痛でありましょう」

「そんなに?」

「庶子ということをことさら責めたてたのは、そうではないことを知っていると仄めかすためです。ロマネスティ子爵家をめちゃくちゃにしておいて、自分だけ幸せになろうなんて、許せるものではありませんもの」


 お嬢様……、とロマネスティ子爵夫人が感極まった。


「もちろん、わたくしのしたことが罪であることは承知しております」


 だからこうして修道服を着ているのだとフェリシアは続けた。誇りある公爵家の令嬢がやってよいことではなかった。


「ノルスティード様もさぞかしわたくしに幻滅なさったことでしょう。お許しいただけるなら、わたくしはこのまま修道院でこの国とノルスティード様の幸福をお祈りしとうございます」

「フェリシア!」

「ならん!」


 ノルスティードが悲鳴のように叫び、国王がすぐさま否定した。


「フェリシア、そなたを罰するなら学園の子供まかせにした我々も咎を受けねばならん」

「わたくしが提案したことです。わたくしが責めを負うのは当然でございます」

「元はといえば王家の問題なのだ。魔女の呪いが『真実の愛』で解けると思い込み、模索することをしなかった。そなたが逆転の発想をしてくれなければ、そして自ら矢面に立ち魔女と対決してくれなければ、ノルスティードやこれから生まれる王子も苦しむことになっただろう」

「そうですよフェリシア。王家を救ったとなれば紫金薔薇褒章がふさわしいと陛下と話していたのです。修道院に入るなど……、そなたの潔癖さは好ましいものですが、王家のために、やめてちょうだい」

「陛下、王妃様……」


 フェリシアは胸を詰まらせた。今までのことがすべて報われた思いだった。ほろほろと涙を零す。

 父の公爵は娘のしたたかさに内心で舌を巻いていた。自分の罪を認め、俗世を離れると引いてみせることで、フェリシアは自分の地位を揺るぎないものにしたのだ。


 紫金薔薇褒章は褒章の中でも最高位、王族に対しその御身を救った恩人に与えられるものである。領地のない名誉的な意味合いしかなくとも伯爵位、褒賞としてメダル、そして一生続く年金付きだ。これは本来戦場などで王族を守った者に与えられていた。戦争がなくなり紫金薔薇褒章を受けた者は近年ではゼロである。そして、女性では初となる。


 ここまでしたフェリシアを婚約者にしているノルスティードが王太子で決まりだろう。呪いの発現から第二、第三王子の派閥が活発になっていたが、ノルスティード以外の王子を王太子に据えれば反発を生む。なにしろ次世代を背負う貴族は学園の生徒だ、フェリシアの献身をその目で見てきた者たちなのである。ノルスティードにするしかなかった。


 自分だけではない。ノルスティード、そしてカルステッド公爵家の立場を盤石なものにした。ここまでしてのけたフェリシアに、公爵は我が娘ながら空恐ろしくなった。同時にこの娘であれば王妃になってもやっていけるだろうと頼もしさを覚えている。その中に、娘が一人前になり巣立っていく父親の淋しさがあることに気づき、苦笑する。


「ノルスティード殿下、娘をよろしくお頼みいたします。フェリシアはこの通り、一度決めたら突き進んでしまうところがあります。なにとぞ支えてやっていただきたい」

「公爵……。わかりました。支えられてばかりの私ですが、フェリシアは必ず私が守ります」


 ロマネスティ子爵には表だって恩賞を与えられないが、リリーが呪いの魔女だったことを公表し子爵家の名誉回復を王家が責任を持って行うと約束された。


 そして、魔女は――……


「魔法を失ったとはいえ魔女を処罰すると後が怖い。秘密裡に『善き魔女』に連絡を取り、引き取っていただいたそうだ」

「そうですか……」


 魔女は基本的に気まぐれなので、居を構えてもそこにいるとは限らない。よく連絡ができたと思ったが王家にはその手段があるのだろう。

 フェリシアは一度だけ魔女と面会している。といっても独房のぶ厚い扉越しに、小窓から見ただけだったが。


 魔女にリリーの面影はなく、一夜にして老婆に成り果てたというとおりになっていた。髪は白くところどころ地肌が透けて見え、腰は曲がり、弛んだ皮膚で顔の表情すら見えなかった。長く伸びた鼻や瞼に大きな瘤ができて、言われなければ女性だとすら判別不可能なありさまだった。


 魔女は絶望に泣いていたが、フェリシアに気づくと口汚く罵ってきた。その言葉さえ歯が抜けていてよく聞こえず、ただ怒りの感情だけは伝わった。

 フェリシアは何も言わず、ただ憐れみの目で魔女を見つめ、ため息を吐きだすにとどめた。リリーのような女には憐れみが一番堪えると思ったのだ。案の定、魔女は奇声を上げ、独房の中で暴れ回っていた。

 おそらく魔女が仲間の魔女によって救われることはあるまい。超常の力を行使する魔女には魔女なりの厳格なルールがあるのだ。気まぐれで、時に理不尽と感じられる魔法だからこそ、最低限守られなければならない一線というのは存在する。

 魔女の呪いは一代限り。あるいは時間制限を設ける。それが呪いのルールだった。

 しかしあの魔女は呪いを継続させた。そのせいで魔女といえば呪い、とこの国では固定され、他の魔女たちは風評被害に晒されている。呪われた王子の話は世界中に知られており、どこに行っても肩身が狭かったはずだ。

 そんな魔女を引き取ったところで、仲間の魔女がやさしく介抱し、もう一度魔法が使えるようにするだろうか?


 ありえない。


 ルールを破った魔女は魔女が断罪する。長き時を渡る魔女たちだ、死よりもおぞましい、死を望むほどの罰を与えるだろう。むしろ呪いが解かれるのを手ぐすね引いて待っていたのかもしれない。


「……愛を見せろ、と魔女は言いましたけれど」

「うん」


 フェリシアが魔女の呪いを解いたことは正式に発表された。国中が歓喜に沸く中でノルスティードが王太子として立ち、フェリシアと結婚した。

 すでにフェリシアは公爵家を出て王宮にある王太子宮に住んでいる。王太子妃フェリシアだった。


 愛するノルスティードと結ばれ幸福に包まれていても、ふとした瞬間に魔女について考えてしまう。魔女の言う『愛』とは何だったのか。


「花を愛でるという表現があるように、愛とはどこにでも、何にでもありますわ。道端の小石でさえ意中の方から貰えれば宝物になりましょう。心のありようなのです」

「そうだね。魔女はそのことを知らなかった……」


 記憶がなくてもノルスティードは会うたびにフェリシアに恋をした。忘れてしまうことを教えられ、忘却を恐れた。そんな中、唯一覚えていられたのがリリーだったのだ。

 リリーがフェリシアに虐められていると言うたびに、そんなはずはないと思い、しかし何度も何度も繰り返されて疑念が湧いた。今にして考えればリリーはノルスティードを依存させようとしたのだとわかるが、当時は本当に苦しんだ。

 どうせ明日には今日のことを忘れていると周囲に思われ、実際に忘れてしまう。そんな自分がフェリシアに愛していると言っても悲しませるだけだろう。最愛王に倣って綴った日記にはフェリシアへの愛と、リリーへの嫌がらせは本当なのか、どちらを信じるべきなのか、悩みが乱雑な文字で残っている。

 結局リリーの自作自演の自傷行為でノルスティードはフェリシアに失望した。悪女ぶりはまったくリリーが上手であった。

 それでもフェリシアを断罪するまではノルスティードは後悔していた。フェリシアが罪を認めた時、これが正しかったのだとホッとしたのも事実である。

 フェリシアを諦め、リリーと結婚する。すべてをお膳立てされていたとはいえ決断したのはノルスティード自身だった。


「リリーと結婚すると言った時、私はリリーに恋していたわけではなかった。言い訳に聞こえるかもしれないが……フェリシアを見た瞬間に宿る情熱をリリーに抱いたことはなかったよ」


 リリーを選んだのは、彼女なら忘れずにすむからだった。王位継承権を放棄し、どこか遠く、離れたところでリリーと暮らせば誰にも迷惑はかからない。そんな諦めの境地だった。


「それでも呪いは解けた。たしかに不思議だな、魔女の愛とは何だったのだろう……?」

「思えば魔女も憐れですわね」


 フェリシアは魔女に共感したことについて言わなかった。

 だが、ノルスティードはリリーのことを忘れないだろう。愛について思う時、必ずリリーが出てくるはずだ。

 だから何度でも、わたくしの愛を完璧なものにできるのだわ。フェリシアはそう思い、わたくしも魔女になれるのではないかしら、と小首をかしげた。




イメージとしては舞踏会に行かせてくれるのが善き魔女、毒リンゴ勧めてくるのが悪い魔女、城ごと呪うけど呪いの解き方教えてくれるのが試練の魔女です。

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[良い点] 主人公の献身がよかったです。 [一言] 忘れられてしまっても好きな主人公が良かったです
[一言] 何度か読み返してやっと気付けた >――ならば貴様らの愛とやらを見せてみろ。愚かなる王よ、呪われるがいい!! の『ならば貴様らの愛とやらを見せてみろ。』 これが呪いかける為の対価だったか、…
[良い点] 真実の愛では解けない 形だけの関係だと解除される ということでしょうかね 最初読んだ時は、結ばれた時点で呪いが返ってくるから魔女は詰んでいると思ったけど、コメントを読んでやっと理解できた…
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