09、散らばり続ける、ともしびの下に-10
安藤さんは、つめたい笑みを浮かべている。
「おまえが言っていることは、ぼくには愚かの極みとしか思えない。その人のために磨いたものを返すことができなければ、単なる徒労じゃないか。涙とか、ため息とか、あきらめとか? ふざけんなよ! 金にもならんことに時間を使うな」
ケンちゃんは嘘つき教官を、かなしいまなざしで見ている。彼の姿を見ているわたしの目から、あらためて涙がこぼれてきた。
わたしひとりだけじゃなくて。
露天神社の中を通って行く人すべてに向けて、ケンちゃんが寄り添ってくれていたんだ。
「落として行った気持ち」の数々はケンちゃんが拾って磨いて、あとからそっと返してくれていたんだ。
病気の両親を介護しているとき、他の女の子たちはお洒落や習い事や旅行に時間を費やして教養やセンスを身につけていた。
資産家の健康な親を持つ同級生が「クリスマスは海外で過ごすの」と言うとき、わたしはクレゾール臭まみれで薬局やかかりつけの病院と自宅との往復だった。年末年始の分まで両親の薬をもらうために奔走していたから。
なにからなにまで、そんな感じで。
社会人生活をはじめたばかりの時期から、なにか大きいものをずっと。欠落したままで生きてしまった。
おそらく他人は、そんな生き方はしていない。
ふたたびヒトミに入れてもらえるようになってからも、自身の常識のなさや知識のなさが身に沁みた。
そのたびにケンちゃんは、わたしのそばにいてくれたのだろう。
そして、ぽとぽと落としたため息や涙を拾って。ぴかぴかに磨いてくれていたのだ。なにも言わずに、そっとわたしの心に返してくれていたのだ。
だから、知らないうちに元気になっていたんだ。いつのまにか、明日もがんばろうと素直に思えてきていたんだ。
ケンちゃんの声が聴こえる。
「泣くことをずっと我慢してきた人が、あきらめのため息ばかりだった人が、次の日になると、まるっきり変わった笑顔を見せてくれるようになるんです。だから、たとえお金にならなくてもいい、もっと自分が好きなことを極めたい。露天神社の使い魔でなけば、それはできないことなんです」
安藤さんが、吐き捨てるように言う。
「ぼくは面白くないんだよね、そういうの。それにやっぱり、おまえのつまんない真心とやらで心底から元気になった人間たちの顔なんか見たくないんだよね」
「少なくとも、あれはゴミじゃない」
ケンちゃんが言ったあと、唇を噛みしめた。
わたしは心底から、彼のそばに行きたいと思った。なにをしてあげられるわけじゃない。ただ、ケンちゃんの近くに行きたいと思った。
無我夢中で一歩を、踏み出したときだ。
横から東堂が「あのさぁ安藤さんー」と間延びした大声を上げた。




