09、散らばり続ける、ともしびの下に-09
「底抜けの愚か者だと思うよ、おまえのこと。疑うことを知らないきつねなんて、ほんとうに愚かだ。教え子ながら、呆れ果てる」
安藤さんは片手で眼鏡を直しながら、鍵を突き出す。ケンちゃんは出されたそれを、取ろうとしたが。
教官は意地悪く目を光らせ、鍵を持った手をひらりと上げた。
「条件があるって言っただろ」
「な、なんですか」
「ぼくに恥をかかせたくせに、あちこちで人気者になってるからね」
安藤さんはフフンと鼻で笑った。
「これを神さまに返したあと、神界から出て行け。目ざわりなんだよね、おまえ」
ケンちゃんの顔色が、ますます白いものになる。安藤さんは顔いっぱいに、つめたい笑みを浮かべた。
「これを然るべきところに納めたとしても。おまえの両親の居場所はわからないけど。でも、だいぶ心理的な負担は減るだろう? いい考えだと思わない?」
「ちょっと!」
わたしは声を上げて、安藤さんを思いっきり睨みつけた。
「さっきから黙って聞いていれば、都合のいいことばっかり言ってるみたいだけど」
「なに? 野々村さん」
視線を合わせてきた職場の同僚が、せせら笑う。端正な顔立ちだけに、余計に腹立たしくなってくる。
「目下の子が大事にしているものを散々に踏みにじって、おまけに自作自演で盗みまで働いて、恥ずかしいとは思わないの」
「ぜーんぜん」
嘘つき教官・安藤さんが肩をすくめた。
「知らないの? 稲荷ってね、ものすごく嫉妬深いんだよね。こいつみたいに取り柄がない愚か者でもね、そっちでも学内でも。ぼちぼち友達とやらができている。こっちは、こいつのせいで色々と叱られっぱなしだったのに。ずるくない? すっごく腹が立つんだよ。ぼくみたいな優秀な人材が持て囃されるのならば、ともかくとして」
なにか言い返さないと、と思ったけれど。東堂が素早く、わたしを手で制していた。「茉莉ちゃんは、黙ってろ」と言ったときと、同じ顔をしている。
ずっと青白い顔をして黙り込んでいたケンちゃんが、教官をかなしい目で見据えている。
「鍵を返してください。ぼく、神さまにお返ししてきます。教官のことは言いません。ずっと失くしていたことにして、今日たまたま見つかったということにしますから」
「嘘か本当か、信じられないな」
「その鍵の価値が、ぼくにはわかる。だから今言ったことは、預けてくださった神さまにも誓います」
「じゃ、約束通りに神界から出て行ってね」
「出て行きません。もう一度、一人前の使い魔を目指したいから」
「おやおや」
安藤さんが激しい怒りのこもった目で、ケンちゃんを睨む。
「今日の試験を落としたら、退学なんだけどね? そんなワガママ勝手ができると思うの?」
「再入学してでも、教官全員に土下座をしてでも。やりたいことがあるから、ちゃんとした使い魔になりたいから」
ケンちゃんの目から、ひとすじの涙がこぼれた。
「やりたいこと? ああ、あのゴミみたいな石ころ集めね」
「違います。あれは決してゴミなんかじゃない。本当に、ほんとうに大事なものなんです」
「その石ころってのは、なんなの」
ずっと沈黙を守り通していた東堂が、ケンちゃんに尋ねる。
ケンちゃんは、一度だけ咳払いをした。
「お初の境内を通る人が、ぽとぽと落としていく『気持ち』、磨いても持ち主に返すことができなかった『気持ち』。ぼくのすべてなのに。ゴミや石ころじゃないのに」
思い出した。
以前に言ってたよね、あれだよね。
『いろんな人が様々な気持ちを、境内の中に落として行く。ぼくはそれを、ぴかぴかに磨いて、そうっと返してあげる』
『返せなくても、それはそれで大事』