07、恋カラ豚バラ大根-11
スマートフォンのロックが上手に外せない。
寒さで指先が乾燥しているからかもしれない。そうではないのかもしれない。
どきどきしながら、着信メールの画面を開く。
この前、待ち合わせたときよりも文面が少し長いように感じた。
――茉莉ちゃん、今日の仕事どうだった? なにかトラブルなかった? 明日は出勤するから。
意味深と言えば意味深。意味不明と言えば、意味不明なメールだ。
今日のトラブルというと、あなた関連で蕾ちゃんに絡まれたことでしょうか。それと。明日は出勤するから、なんなの……。
いったい、どうしちゃったの。東堂くん、おかしいよ?
わたしたちの共通点って仕事と、あと「ケンちゃんのお店の灯り」が見えるだけじゃん。
こんなことを真っ先に感じたのにもかかわらず。口元が勝手に、ゆるみだしている。
だってわたしも、彼のことは悪く言えないもの。仕事以外に接点ができたことは、なんとなくうれしくなったもの。
もらったばかりのメールを、あらためてしげしげと見つめた。
きっと東堂は、昨日の「付箋メモ」のことを、気にしてくれていたのだろう。業務中の差し入れに渡された、缶コーヒーのボトルに貼り付けられていた付箋。あの付箋に書かれていた、短い言葉。
「うどん、食べよう」
たった、これだけ。
よっぽどケンちゃんのうどん屋に行きたかったのだろう。それで、わたしのことも誘ったつもりだったのだ。
だけど蕾ちゃんの残業に付き合うことになり、帰り道で彼女から告白されて、ついでに風邪まで引いてしまって。結局、昨夜も今日も東堂の予定が大幅に狂ってしまったのだ。
ありがたい同期だな、と素直に思った。
不意に、残業していたとき胸をよぎった感情がよみがえってくる。
わたしは今まで蕾ちゃんや東堂くんのように、周りにいる人たちを繊細に思いやりを持った目線で観たことがあっただろうか。
蕾ちゃんは入社直後に経理部に配属されて、殺伐とした空気の中で仕事を覚えてきた。職場の雰囲気に耐えて、なんとか日々を過ごしていたときに、人事情報部に異動が決まった。
異動したばかりの蕾ちゃんは、とても心細かっただろう。そんな折りに、元来から面倒見がいい東堂が直属の上司になっていた。彼女が東堂に対して、好感を持たないわけがない。
蕾ちゃんが異動して少ししてから、わたしが復職をした。
それまでも、今も。たぶん、わたしはなにも考えていない。
自分のことだけで精一杯で、周りの人たちが「野々村茉莉さんが仕事をしやすくなるように」思っていたことを、感じとることもなかった。
ヒトミ入社以降、心底から自分のことばかり考えていた。
そんなわたしのことを、蕾ちゃんも東堂も斎藤くんも。ことあるごとに当然のように助け続けていてくれたのだ。
思い起こせば次から次へと、彼らや職場の人たちから受けた気遣いが頭の中に浮かんでくる。
「だめだなあ、わたしって」
改札に向かう途中、つぶやく。誰が責めているわけでもないのに、顔を覆いたくなる。
手からスマートフォンが落ちた音で、我に返った。横にいた制服姿の女の子が「落ちましたよー」と、にこにこしながらそれを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
女の子は、お礼の言葉も聞き届けずに人の群れの中に紛れていく。手の中に戻ったスマートフォンが、一瞬だけ滲んで見えた。
「あ、そうだ。返事をしなくちゃ」
わざと声に出して、泣き出しそうな気持ちを逸らす。ほどなくして、ホームに来た電車の、一番後ろの車両に乗った。
座席にぽつんと腰かけたときだ。メールを着信した振動が、片手に伝わってくる。
東堂からの、新しいメールだった。
「他人のこと言えた義理じゃないけど、風邪だけは引くなよ。おやすみ」
なんて返事をしたらいいのだろう。考えあぐねながら、こめかみをぽりぽりと掻いている。




