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05、とりてん、でこぼこ影法師-10

 林田さんが言った「北摂」というのは、大阪府北部エリアの通称だ。住みやすいと人気があり、大阪中心部にもアクセスしやすい。通勤通学に便利な地域でもあり、文教都市群としても名高い。そこが後輩リンダの出身地だという。

 興梠さんがピッカピカに双眸を輝かせた。

「えー、すごいー。林田さんって、いいとこのお坊ちゃんなんですね」

 言われた相手が「えへへ」と片手で自分の頬を撫でつけた。

「コロさんは? 出身、どこなの」

「名古屋です」

「いいじゃないの。食べ物が、なんでも美味しい」

「ええ」

 興梠さんの瞳からは、さっきよりも大量にピンク色の星が飛び散っている。林田さん、さっきまでの眉下傷跡ヒクヒクモードはどこへやら。すっかり気分をよくしたらしい。

「じゃ、また職務に戻りますわ。野々村先輩、俺と話をしたくなったら携帯電話を鳴らしてくださいねー」

「え? 電話番号なんて、知らないけど?」

 林田さんは「うっふ」とウィンクをする。なんだか腹が立ってきた。でも真面目に受け止めてしまうのも、スマートではない。

「どこでもいいから、どこかに行って欲しいです。なるべく遠くがいいと思います」

 そう言いながら、手で追っ払った。

「つめたいなあ、野々村先輩は」

 後輩男子が、ぶつくさ言いながら背中を向けた。その後ろ姿を眺めていると、興梠さんがくすくすと笑った。

 ……こっちにも、まったくもって「やれやれ」だよ。

 生まれたばかりの雛鳥が一番最初に見たモノを母親だと思っちゃうような感じ? と、心の中で大きな吐息をつくだけだ。

 こちらデスクの向こう側から、東堂係長が眉をひそめてわたしを見ている。業務中、雑談に花を咲かせるなとでも言いたげだ。

 あのですね、わたしが悪いんじゃないんですよ? でもたしかに、もっと早くリンダを追い払うべきだった。わたしは彼の先輩なのだから、それくらい許されることだったのだ。

 とても面白くなさそうな表情の東堂の視線を、思いっきり逸らす。

「仕事、再開しよっか」

「はい」

 隣席の興梠さんには引き続き、職務経歴書を入力してもらう。気配を(うかが)うに、だいぶ集中して取り組めているようだ。

 時々、興梠さんと短い休憩時間を挟んで。なんとか午前中の仕事を終える。

 廊下に出ると、つんつん肩口をつつかれた。東堂係長が横にいる。

「なんでしょう、係長」

「あのなぁ」

 東堂は、こめかみをぽりぽり掻いた。

「部署内で、相手のことをニックネームというか。アダ名で呼ぶのは、よくないと思うぞ」

 なんのこと、と言いかけて口をつぐむ。おそらく林田さんが興梠さんのことを「コロさん」と呼ぶのが気に食わないらしい。

「わたくしに言われましても」

 つっ、と顎を上げて東堂を見つめた。相手は、ひゅっと首をすくめて苦笑いを浮かべる。

「野々村さんに言うべきことじゃないのは、わかってるよ」

「当の本人に言えばいいじゃないですか」

「でもさぁ、俺がグイグイ注意しに行ってたら新人さんが圧倒されたり緊張しちゃうだろ。我慢してたんだぞ、これでも」

「我慢しすぎは体に悪いです」

 ニヤニヤしてやりました。東堂が、恨めしそうなまなざしを寄越してくる。

「同期じゃん、ぼくたち」

 東堂から発せられる、そのワード。確実に殺し文句なのだ、わたしにとっては。しかも、いつもは使わない“ぼくたち”まで付け加えて。なんなのよ、まったく。

 でも東堂が言いたいことは透けて見える。ついつい爆笑してしまった。

「わかったわかった、わかりました。次に林田さんが仕事の邪魔をしはじめたら、わたしから注意をします。でもですね」

 係長という立場からすると、アダ名で呼び合うことで職場の緊張感がなくなるのがイヤなのだろう。謹厳実直な彼の性格を考えると当然のことだ。

 だけど、ちょっとだけ耳に入れておきたいことがある。

「『でも』って?」

 東堂は怪訝な顔をして、わたしを眺める。

「興梠さん、今朝からね。すっごく緊張してたんですって。あらためて彼女の職務経歴書を見たけど、紹介予定派遣でここに来るまで入力業務どころか事務職なんて一回も就いていない」

「それで?」

「緊張と不安で心細かったところ、ひょいとリンダが現れて」

「うん」

 彼はとても興味深そうに、話を聞いてくれる。

「カチコチになっていた興梠さんの緊張と不安を、リンダが一気に払拭しちゃった。そんな訳だから。ちょっとは勘弁してあげたいなと思うのが、わたしの正直な気持ち。でも係長の心情も理解できますよ? やっぱり今までの保守的な雰囲気を壊したくないっていうことでしょう?」

「そう、そうなんだよ」

「わたしも人事情報部の堅苦しい雰囲気は好きだもの」

 係長は相好を崩した。

「よかった。野々村さんが、俺のイラついていた気持ちを理解してくれていて」

「わたしの立場だと『板挟み』みたいな感じなんだけど」

 今度は、こっちが恨めしい視線を送る番だ。しかし東堂の口から出てきた言葉は、意外なものだった。

「そっか、わかった。新人さんの気持ちに寄り添ってみたら、俺が間違ってた。なんでも聞いてみないと、わからないものかもしれんね」

 どうした東堂、と言いかける。ヤケに物分かりがいいじゃない。

 あっちの方から、その答えが出てくる。

「いやあ、ケンちゃんが教えてくれたっていうか。気づかせてくれたっていうか」

「ああ……」

 わたしの脳裏に、おきつね男子ケンちゃんのふんわり笑顔が浮かんでくる。毎週火曜日と木曜日に開店する、一軒のうどん屋。その店の提灯は、どういう訳か知らないが。灯りが見える人と見えない人に分かれている。とても不思議なうどん屋だ。

 なにせ店主が露天神社(つゆのてんじんじゃ)の、きつね見習いなのだもの。

「いろいろ事情があって、くじけている人でも。前を向くべきときは向きたいと思うだろうな、と」

 東堂は一瞬、目線だけを宙に遊ばせた。

「そういえば東堂くん? 今日はケンちゃんが店を開ける日だよね?」

「火曜日か。残業がなかったら、速攻で行きたいんだけどなあ」

 そう言った彼は目を細める。残業があることが、口惜しそうだ。心底からケンちゃんに逢いたい気持ちが、いっぱいに滲み出ている。

「待っててあげようか?」

「いいの? ホントに?」

「同期だもの」

「うん」

 東堂の屈託ない笑顔を見て不思議と、うれしいと思えた。心の底から。




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