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05、とりてん、でこぼこ影法師-09

 新人さんデスクから、しばしば変な声が聴こえる。

「あっ」とか

「間違ってた、こっちよ。こっち」とか

 おそらくエンターキーを押した直後に「できたー」とか。独り言の音量は結構、大きい。

 なので。ちょいちょい、そちらに目を遣ってしまうことになる。

 視界に入ってくるのは、一所懸命に仕事を覚えようとしている興梠さんだ。背を伸ばしてパソコンのモニタ画面と書面に代わるがわる人差し指を当てて、入力の確認をしている。そして「あっ」とか「なんて読むの、コレ」などなど、つぶやくのだ。

 わたしが初めて入力業務をしたとき、あんな感じだったのかなあ。独り言は、あまり言わなかったような気がするけど。

 離れたところにいる東堂係長も、彼女の様子は気になるらしい。ちらちら、こちらに視線が送られてくる。

 目が合うと、あちらの整った眉が「ぴっ」と上がった。

 わたしは「大丈夫よ」と唇のかたちを作って、親指を立てた。東堂が「オッケー」と同じように親指を立ててくれる。

 しばらくして興梠さんがキーボードから視線を外した。書面とマニュアルを見比べて、それからわたしに声をかけてくる。

「野々村さん。パソコンの変換キーを押しても、表示されない字があるんですけれど」

「ああー、旧字体ですね」

「はい」

 彼女のデスク上にある漢字辞典に手を伸ばす。

 提出された書類で旧字体が使われているのは日常茶飯事。日常生活で使わないような難しい漢字はパソコンの変換キーを次々と押しても出てこないときがある。そんな困ったときに、わたしや東堂は「漢字辞典」を使うのだ。

「読み方は、わかりますか?」

「あっ、はい」

「そういうときに『漢字コード』を使うんですよー。入力する字によっては、探し当てるのに時間がかかってしまう日もあるんです」

「漢字コード、はじめて聞きました」

「ですよねー」

 我々が使っているパソコンのOSや言語バーからも呼び出すことができますよ、そう説明していく。興梠さんは、しみじみと言う。

「なんにも知らなかった、そんなことばかりです」

 わたしは彼女に笑いかけた。

「だって仕方ないですよ。こんな知識、入力業務に携わっている人でないと知らないですよ」

「そんなものですかね」

「そうですよー。それに、わたしだって。興梠さんが、がんばってきた仕事の知識とか知らないですもん。言われてみないと、わからないことばかりだと思うんですよ」

「そっかぁ……たしかに、そうですね。『たいしたことない』と思っていたことでも、その仕事に就いてみないと、知らなかったことがたくさんある……野々村さんの言う通りですねー」

 興梠さんは納得したように、何度かうなずく。そして「なるほどですねー」と言いながら、いつのまにやら一枚の書面を仕上げていた。

 よかったよかった。

 わたしも、ひと安心です。

 こっちも書面を一枚、手に取ったときだ。目の端に、作業着姿がチラチラする。

 頭上から、男の人の声が聞こえた。

「ああー、コロさん。だいぶ慣れたみたいやねー。通用口にポツンと立ってたときと表情が全然、ちがう」

 そちらに顔を上げると、やっぱり林田さんだった。肩に脚立を担いで、にこにこと興梠さんの方を見ている。

「脚立?」

 思わず言ってしまった言葉に、林田さんが「ああ、これ?」とニヤけた。

「俺って背が高いから。システムメンテナンスだけじゃなくて、たまに設備も面倒みちゃうのよ」

「そんなことも、するんですか」

 わたしが言うと、ますます頬をゆるめる。

「たいしたことない、天井の電球を変えるくらい」

「ヘルプで来た早々に、忙しいですねえ」

「そんなに言うなら、野々村先輩。俺のこと褒めてくださいよ。本社に来てから、光の速さで仕事に打ち込んでるトオルちゃんを」

「わー、すごーい。リンダさんって、すてきー」

 ついつい乗せられてしまった。

「野々村先輩、ありがとー! 先輩も、可愛くてステキよー!」

 林田さん、職場内だというのに口笛まで吹きそうな感じだ。

 わたしの隣では興梠さんが、作業着後輩を非常に頼もしそうなまなざしで見ている。その瞳からピンク色の星が飛び散ってみえるのは、朝から疲れているからだろう。たいした仕事もしていないくせに、自分。

 あわてて咳払いをした。

 朝礼で高梨(つぼみ)ちゃんが「最悪だ」と漏らした理由が、なんとなくわかる。ちょっとした一言で、すべての空気を林田さんは自分へと寄せてしまうのだろう。そういうノリが好きな人ならばいいけれど。そうではない人から見たら確実に、林田さんは近寄りたくない存在だろう。

 後輩男子は咳をしたわたしに、色気が漂う流し目を寄越した。

「あのねえ先輩」

「なんでしょう?」

「高梨さんが俺のこと避けてるのは知ってるけど、先輩まで嫌わないでくださいよ」

「きっ、嫌うだなんて。会ったばかりの後輩を」

 わたしがブンブンかぶりを振る姿を、後輩は「ふー」と鼻息をついて見つめる。上背(うわぜい)もある男性だし、眉下の傷痕がうごめくと結構な迫力だ。

「チャラいと思ってるか、知れんけど。これでも、だいぶ矯正したんだから」

「へ、へえ。そうなんですか」

「だいたいですね? 人事情報部は東京採用者ばっかりで固めてて、大阪なのに大阪っぽくない」

「そんなこと、わたしに言われましても」

 こちらの狼狽ぶりに、林田さん。ふたたび頬をニヤつかせる。

「まあね。社長自身も関東生まれだから、しょうがないって言えばしょうがないんやけど」

「は、はあ。そうですね」

「安藤さんのヘルプで来ているだけ、と言えば、そうなんだけど」

 林田さんの言葉を遮って、興梠さんが言った。

「そういえば林田さん、あんまり大阪弁っていうか関西特有の言葉遣いっていうか言い回しっていうか。きつくないですよね?」

「あ。そう言えば、そうね」

 後輩が興梠さんへと視線を移す。

「ヒトミ食品が関西圏から採用するようになったのは、二年くらい前からだから。元々、社内に関西弁って馴染みがないのよ。いつのまにか慣れたっていうか。それとヒトミ創業者の奥さんが箕面(みのお)の出身だから、こっちに本社を構えた話を聞いてるしね」

 わたしと興梠さんは、同時に「へー」と言った。

「そこまでは知らなかった」

「野々村さんもですか」

「研修で聞いたような、聞いていなかったような」

 興梠さんが場の雰囲気を変えてくれて、ちょっぴり気分が変わったらしい。林田さんが、わたしたちにウィンクを投げる。

「それにぼく、北摂(ほくせつ)の人だから。キッツくないのよ、関西訛りが」




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