手作り弁当
「それで、桜井さんは何でうちの教室にいるの?」
「何でって暇だからに決まっているじゃないですか。先輩で暇つぶしをしようかと思ったんです」
「『先輩で』?」
「これは失礼。間違えました。『先輩と』です」
桜井さんはくすくすと笑った。わざと間違えたのではないかと思ったけれど、気にしないことにした。
長い綺麗な黒髪に人形のように整った顔立ち。桜井さんは、黙っていれば、お嬢様然とした雰囲気の美人だと思う。けれど、にやけ笑いといい加減な行動がそういう印象を打ち消している。
まあ、その方が一緒にいて気楽でいいけれど。
いつのまにか桜井さんは前の席の椅子にちょこんと座って、ぼくの机の上に弁当箱を広げていた。
「なんでここで弁当を食べる?」
「だって昼休みですよ、いま。あ、この卵焼き、食べます?」
「いらない」
「どうしてですか! 可愛い後輩の手作り弁当をもらえるんですから、喜ぶべきです」
「どうせ唐辛子が大量に入っているとか、そういうのだよね?」
「ひどいです! そんなこと、先輩にするわけないじゃないですか」
「信用できない」
「わたし、先輩にそんな風に思われていたなんて……悲しいです」
桜井さんは目を伏せて、小声で言った。
演技だな、と直感した。
桜井さんは嘘をつくとき、右手で髪を触る癖がある。そして、いま、桜井さんは右の人差し指で髪の毛の先をいじっている。
つまり、この卵焼きはとても危険だということだ。
けれど、第三者から見れば、桜井さんの演技は真に迫るものがある。
隣の席の女子生徒が非難するようね目でこちらを見てくるし、斜め前の席の男子生徒は「死んでしまえ」という目でこちらを見てくる。
これでは、ぼくが悪者だ。
仕方なく、ぼくは卵焼きをつまんで、口に放り込んだ。
柔らかい食感と甘い味が口の中に広がる。
ちゃんとした卵焼きだ。
疑うような真似をして悪いことをしたな。
桜井さんは微笑して、「どうですか?」と聞いてきた。
「おいしい」
とぼくは返事をして、次の瞬間、後悔した。
突然、もはや味とは呼べないような何かが口内を襲う。味覚が麻痺するような感覚だ。苦しい。
しばらく机に突っ伏した後、ぼくは顔を上げて桜井さんを睨んだ。
「騙したな」
「いえいえ。唐辛子なんか入れていないのは本当ですよ。代わりにわさびがたくさん入れてあります。辛かったですか?」
「辛い、というか、痛かったんだけど」
「辛味は痛覚として認識されますからね。不思議ではありません」
「み、水をくれ」
「そうですね。口移しで飲ませてあげましょう!」
「そういうのはいいから」
「それは残念」
桜井さんが手に取ったペットボトルをひったくると、ぼくは中身の液体を口に流し込んだ。
これにも何か仕掛けがあるのでは、と思ったが、すぐにわかるような変なものは入っていないみたいだ。
それにしても、ひどい気分だ。ぼくが顔をしかめると、桜井さんは急に心配そうな表情になった。
「すみません。すこし、やりすぎちゃいました?」
「だいぶ、やりすぎだと思うよ」
「怒ってます?」
「怒らないと思う?」
「……ごめんなさい」
「まあ、別にいいよ」
「許すの、はやすぎですよ。先輩はお人好しですね」
「桜井さんに言われたくはないな」
桜井さんはくすっと笑って、小さな箱を差し出した。
「ええとですね、お弁当、二人分作ってきたんです。その……よかったら食べません?」
「わさびや辛子や毒が入ってたりしないよね?」
「入ってません! 今度こそ本当ですってば!」
「さっき嘘をつかれたばかりだからなあ……」
「あれはですね、その、照れ隠しっていいますか」
えへへ、と桜井さんは笑う。
大丈夫。今度は桜井さんは嘘をついていない。
たぶん。