チェス、そして「なんでも言うことを聞きます」
桜井さんが白色の駒を盤上に置いたのを見て、ぼくはため息をついた。
「降参だ」
「これでわたしの13勝4敗です」
ぼくと桜井さんは放課後の教室でチェスをしていた。
窓からの外は快晴で心地よい風が吹いてくる。
ここのところのぼくらのブームはチェスだった。
わざわざ盤と駒を学校の物置から拝借してきて、使わせてもらっている。
僕は首を横に振った。
「桜井さん、強いなあ」
「先輩が弱いんですよ」
「でも、そんなに実力差があるわけでもない気もする」
「わたしのほうがずっとたくさん勝ってますよ」
「ぼくだって8回は勝った」
ぼくがそう言うと、桜井さんはくすっと笑った。
「せ、ん、ぱ、い。悔しいですか?」
「悔しいなんて言ってないよ。次は勝つ」
「なら、賭けをしましょう。次は先輩が勝ったら、わたしが先輩の言うことをなんでも聞くってことでどうですか?」
「なんでも?」
「そう。エッチなことでも」
「そんなことは頼まないけど」
「逆にわたしが勝ったら、先輩に今度ラーメンをおごってもらいます」
「そんなことでいいの?」
「だって、絶対にわたしが勝ちますから。リスクなしです」
そこまで言われて、受けて立たないわけにもいかない。
まあ、ラーメン一杯おごるぐらいなら、別にいいし。
というわけではじまった次の一局。
意外にもぼくの側の旗色がよい。
桜井さんが表情を曇らせる。
しばらくたって、桜井さんはさじを投げた。
「負けました」
「どうもありがとう」
「んー、どうしてこういうときに限って、負けちゃうんでしょう」
「わざと負けたなんて言い訳はなしだよ」
「そんな言い訳しません」
「ま、桜井さんは勝負はいつも絶対本気ってタイプだよ」
「わかっているじゃないですか」
と言いながら、桜井さんはうつむいて下唇を噛み締めている。
「悔しい?」
「その質問は意地悪です」
「そうかな」
「それで、わたしは先輩の言うこと、なんでも聞きますよ」
「うーん……」
「先輩、いやらしいこと考えているでしょう?」
「いないよ」
「べつに、その、本当になにか先輩のしたいことでいいんですよ?」
「じゃあ、こうしよう」
桜井さんは緊張したような、ちょっとわくわくしたような感じでぼくの言葉を待っていた。
ぼくはにやりと笑った。
「もう一局、チェスをしよう」
桜井さんは一瞬きょとんとし、それからがっかりしたようにため息をついた。
「ま、そんなことだと思っていましたけど」
「はは」
「でも、もう一局チェスをしたい、っていうのはわたしも同じですからね。それじゃ先輩の言うことをなんでも聞いたってことにはなりません」
「そういうものかな」
「そういうものです。だから、なんでも言うことを聞くって権利は、保留にしておいてあげます。いつでも使っていいですよ」
桜井さんは髪を指でいじりながら、くすっと笑った。
「先輩がそうしたいと望んだときなら、いつでも」




