1話 「阿部 つかさ」 その3
「お前、委員長となんかあった?」
鴫野はうどん定食をつつきながら、そう云ってきた。
「あん?」
僚は理由が判っていたが、あえてとぼけた。
「なんか、午前の授業中ずっとお前の方見てたんだぜ?」
「そうなのか?」
「ああ、なんかお前にホの字っぽいんだよなぁ」
「……」
「今朝のホームルームで倉庫から戻ってきた時から、なんか変な感じだった」
よく見ているなと僚は思った。
「き、気の所為だろ」
「かむなよ」
実際午前中は、どうするか悩んでいた。
説明したとしても、信じてもらえないだろうし、今のその感情は勘違いなんだと云っても気持ちの問題である。そうそう割り切れるものではないだろう。
僚が中学生の時は、能力の説明をしても誰も信じる娘はいなかった。
唯一救いなのは、僚をめぐっての泥沼化した修羅場にはならなかったことだ。
僚を好きになった娘同士で仲良くなるのである。
なんて都合のいい力だ。
複数の娘に抱きつかれている息子を見た母親がそうつぶやくのを何度も見てきた。
放課後、アルバイトを探しに駅前の商店街に向かう。
天上一品のラーメン屋には、阿部が働いているのが見えた。
学校にいる時とは雰囲気が違う。
彼女は、学校の自分はキャラを作っているといっていた。
阿部は二重人格とまではいかないが、性格を分けることが出来るということだ。
(そこをうまく利用出来れば、彼女の感情を勘違いという風にもっていけないだろうか?)
僚はそんな都合のいいことを考えていた。
◆
次の日の朝。目が覚めても、部屋に妹2人の姿はなかった。
2段ベッドの下から這い出て、上の段を見る。
2人はまだ寝ていた。
この2段ベッドは狭い部屋に置いてある。
そのため下の段を僚のベッド。上の段を双子2人のベッドとしていた。
(高校生や中学生にもなって、同じ部屋でふたつのベッドを共有って……)
これも全部僚の所為なので、文句は云えなかった。
自立出来るようになったら出ていこう。
そう決心すること数回。
しかし抱き合って寝ているパジャマ姿の妹2人をおいて出ていくのは気が引けた。
「妹の寝顔をじっと見るお兄ちゃん、キモイよ」
目を覚ました由加がいう。
相変わらず兄に冷たい妹である。
◆
僚の前にピンクのパンツの娘が歩いている。
確か名前は、京橋京子、通称ケーケーである。
まだ紹介されていないので、声をかけるわけにもいかなかった。
「しかし、今日もピンクなんだな」
その声が京橋に届いてしまったんだろう。
はっとなった京橋は、カバンでスカートを押さえる。
しかし時既に遅し。
京橋は涙目になって走っていった。
「声に出して云うからさ」
そう声をかけてきたのは鴫野である。
「昨日と同じピンクだったもんで」
「お前も好きだねぇ」
「女の子のパンツ、嫌いなヤツっているのか?」
「いないねぇ」
こいつとは悪友になれそうである。
玄関から教室に続く廊下を歩いている。
「お前、梅田のこと知ってんの?」
「あん?」
「や、昨日の素振りだと、そんな感じがしてさ」
(こいつはなんか鋭いな)
「知らないよ。なんか知り合いにちょっと似てただけさ」
「ならいいんだけど」
「どう云うことだよ?」
「梅田からはあまりいいウワサを聞かないからさ」
「……、不良ってヤツ?」
「不良って、お前古いなぁ。いまどき、スケバンなんてはやらねーよ。女子高校生で素行が悪いって云ったら、あっち方面だろ?」
「……」
僚は丘の上の少女と、今宮に足を乗せているあの梅田とが本当に同一人物なのか判らなくなった。
◆
放課後。僚は、さっさと学校を出た梅田を尾行することにした。部活はしていないようである。梅田は駅前の商店街へ向かっていた。
制服をいじっていないので、スカートが短いとかもない。本当に素行が悪いのだろうか。
僚には丘の上の印象の方が強いのだ。
逆行にさらされた彼女のプロポーションと制服の下を想像するそれと一致するのだ。
日ごろの訓練でお尻の形だけでさえ、双子の妹を見分けるスキルを磨いている。
『自慢出来るスキルじゃないよ。お兄ちゃん』
妹の声が聞こえてきそうである。
梅田は、商店街が近づくと急にペースをあげた。
人が多くなり、なかなかまっすぐ歩けなくなる。僚は特に女性とぶつかるわけにはいかない。
年齢に関係なく発動するその力は、年齢の近い女性ならまだしも、幼女や熟女、老女まで有効となると、すべての女性は恐怖の対象となる。
結果、次第に距離が開く。
(見失うかも)
そう思った時には、既に見失っていた。
(仕様がない、アルバイト探すか……)
僚は、商店街をぶらぶら歩き、アルバイト募集の張り紙サーチに切り替えた。
どん!
誰かにぶつかった。
やばい、女性だったら。
警戒心を解いた瞬間にこれだ。
僚は自分の迂闊さをのろった。
「いったーい」
女性の声だ。
「すみません(やってしまったか)」
「もう気をつけてよね!」
そう白いパンツを見せてお尻を地面につけていたのは、阿部だった。
「なんだ、阿部か」
「え? 青陵院君っ!」
そう云って、急に顔を赤く染め、スカートを整える。
「な、なんだはないでしょ!」
「ああ、ごめん」
僚の『なんだ』は、阿部が捉えた意味とは別の意味がある。
僚の能力は一度触れた女性には無効というものだ。当然と云えば、当然なのだが。
たとえば、触れるたびに余計に好きになるとか、そういったものはない。
なので、一度触れてしまった女性ってことで、安心したのだ。
「こ、こ、こ、これからどうするの?」
阿部は、声をうわずらせながら、そう云った。
「アルバイトを探してるんだ」
「アルバイト! なら天一にしない? 今、募集してるよ?」
さすがにこの状況で阿部と同じアルバイト先になるわけにはいかない。
「はは、遠慮しとくよ。当てがあるんだ」
「そ、そう」
阿部はものすごく残念そうである。
それも僚の所為だと思うと、僚は悲しくなった。
今のその気持ちは、ウソっぱちなんだよ。本当の恋心じゃないんだ。
伝えたくても、伝えられない。信じてもらえないもどかしさ。
「やっぱりウソなのね?」
僚が悩んでいると、阿部は突然そう云った。
「え?」
「女性恐怖症ってこと」
「へ?」
「だって、私と普通にしゃべっているもの。ぶつかってからのリアクションにも、そんな感じはなかったし」
見抜かれた。
「ウソじゃないよ。ウソじゃないけど、本当でもないんだ」
「意味判んない」
「……」
「ごめん、アルバイトの時間だから、もういくね」
阿部はそう云って、天一の方へ向かった。
「これは、誤解を解かないといけないかな」
そう思いながら阿部が去った方向を見ていると、梅田らしき娘を見つけた。
その梅田は、違う制服を着ていた。うちの学校の制服ではない。
どこかで着替えたんだろうか。
僚はこの町の高校のすべての制服を把握しているわけではないので、どこの制服のものか判らなかった。
いや、実際、別の高校の生徒かもしれない。
その制服のスカートは、巻場高校のものより明らかに短かった。
僚は人にぶつからないように、その娘を追いかけた。
駅前まで着くと、大きな時計台がある。
古めかしいその時計台は、待ち合わせスポットにもなっていた。
梅田はそこで誰かを待っているようだ。僚は近くで、梅田に見つからないように、見つめていた。
時計台の時間は20時を指していた。都心から帰宅してくる仕事帰りの人が駅からあふれ出てくる。
梅田はその中の、いかにもオジサマといった感じの男性に手を振り、近づいていった。
その笑顔はあの丘の上の公園で見たものと同じだった。
「え?」
僚はガツンと頭を殴られた気がした。
『女子高校生で素行が悪いって云ったら、あっちのことだろう』
鴫野の声が頭の中でループする。
梅田とはまだあの丘の上の公園で出会った以降、まともにしゃべっていない。
目の前で知らないオジサマと腕を組んで歩いている梅田とまともに会話していない。出来ていない。
彼女のことなどなにも知らないのだ。
しかし、この感情はなんなのだろう。
2人は高級そうなビジネスホテルに入っていった。
僚はそのホテルには入ることは出来そうになかった。
◆
「お兄ちゃん! もう朝だよ。起きないとだめだよ!」
「遅刻しちゃうよ!」
2人の妹の必要なエルボー攻撃で撃沈した僚は、死に掛けの声で、
「今日は休む……」
と唸る。
「転校していきなり休むなんて!」
「は、まさか! 女の子に触っちゃったの!」
鋭い妹たちである。
「ち、違うよ」
「あー、やっぱりそうなんだ」
「んで、その娘から逃げているってこと?」
「お兄ちゃん、もう転校は簡便してよ!」
2人はそう云って、嵐のように登校していった。
けだるいのは本当である。
昨日のことを引きずるなんて、女々しいな。
今まで、1人の娘のことでこんなに悩むことはなかった。
恐怖の対象でしかなかったのだから。
しかしあの娘は僚の能力が効かなかった。
なぜなんだろう。そんなことを考えていると、また寝てしまったようだ。
◆
部屋に誰かいる気配で、目が覚める。
妹たちが着替えているんだろうか。
いや、今日は学校を休んでいる。妹たちは登校していて、いないはず。
時間的にも両親が帰ってくる時間でもない。
では誰だろう。
僚はけだるい気分のまま、目を開けると、目の前に、本当に目の前に、鼻先がくっついてしまうのではないかというほど、近くに阿部の顔があった。
「な、なにをして……」
「え?」
阿部はびっくりしていきなり離れたため、
ゴンっ!
と音を鳴らせて、後頭部をベッドの屋根にぶつけていた。
ここは2段ベッドの下の段なのである。
「いったーい」
阿部は後頭部を押さえながら、ベッドの脇にしゃがみこむ。
「大丈夫か?」
「へ、平気」
「お前、なにしようとしてた?」
「へ? な、なにも。そ、そんなことより、なんで今日休んでるの?」
「体調不良だよ」
「ウソ! なんでいきなり」
「そう云うのは、いきなりだろ?」
「そう云うもん?」
「そんなことより、なにしにきたんだよ?」
「ああ、私、委員長だから、連絡事項を届けに」
「ありがとう。って、アルバイトはいいのか?」
「ああ、休んじゃった」
「え? それは、すまないな」
「いいのよ。青陵院君のためだもの」
「……」
「ねぇ。私の気持ち、気づいているんでしょ?」
「……」
「告白、しちゃおうかな」
「委員長、聞いてくれ」
僚は、これ以上は、委員長のためによくないと判断する。
「委員長って呼ぶのはやめて、阿部って呼んで」
「阿部、聞いてくれ」
「……、阿部もなんかやだな。つかさで」
「つかさ。聞いてくれ」
つかさと云われて、さらに赤い顔を赤くする。
「や、やっぱ阿部で」
「お前、ふざけてんのか?」
「ご、ごめん」
「まず先に謝っておく、すまない」
「なに?」
「お前のその俺に感じている感情は、ウソっぱちなんだ」
「え?」
「俺には、生まれた時から、変な力があって、俺が触れた女性は俺のことを好きになってしまうというものなんだ」
「は?」
「だから、お前のその感情は、俺の能力から発生しているんだ」
「な、なにを云って……」
「信じられないだろうけど、事実なんだ」
「ウソ……」
「ウソじゃない。現に、俺が何回も転校しているのは、知っているんだろう。この力の所為で学校にいられなくなったからなんだ」
「ウソ……」
「城園から触られるのをいやがっているのも見てただろう?」
「ウソ!」
「ウソじゃない!」
「全部ウソよ! 私の、私のこの感情が、全部ウソだというの? 初めて男を好きになったこの気持ちが全部ウソだというの?!」
「そうだ! 全部俺の所為だ!」
「ひどい! ひどいよ!」
「……」
「初めて男を好きになった。すごくうれしくて、あなたの顔を見るたびに、いろんなことを考えて、どうしてあなたを、青陵院君を好きになったのか、判らなかった
。落ちてくる椅子から守ってくれた、やさしいところ? センセーとコントを、いきなりやった面白いところ? そういろいろ考えているのが、全部うれしくて」
「……」
「あなたを好きになったきっかけは、その変な能力かもしれない。でも、好きって気持ちを、この私の気持ちをここまで大きくしたのは、私だもの! 私自身なんだよ! ウソっぱちなんかじゃない!」
阿部はそう叫んで、部屋から飛び出そうとする。
僚は必死に阿部の手をつかんだ。
「ご、ごめん……」
そこまで吐露された僚は、阿部が愛おしくて仕方なくなっていた。
「……」
「俺は、ひどいヤツだな。確かにきっかけはそうかもしれない。けどその今の感情は君のものだった。それをウソだなんていって、ごめん」
「……。キス……、していい?」
「え?」
「もう一度いわせないの。女の子からそんなこと云うの恥ずかしいんだから」
「判った」
僚はそう云って、阿部と唇を重ねた。
――ぴきんっ!
「え?」
なんだろう、変な音が阿部の方から鳴ったような気がした。
阿部は目をぱちくりしながら、現状を把握するように、ゆっくりと僚と離れる。
「なんで?」
「は?」
「なんで、あんたとキ、キ、キスしてんのよー!」
阿部はそう叫び、僚を突き飛ばしていた。
「バカー!」
「えぇ?」
阿部は、あわててドアを突き破るように出ていった。
「きゃ!」
玄関で妹2人の声が聞こえる。
阿部とすれ違ったのだろう。
「お兄ちゃん! あの人になんかしたの!」
「この外道っ!」
2人のダブルエルボーはよく効く。
「なんで?」
僚の能力が解けたのだろうか。
僚には、なぜ解けたのか判らなかった。