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ダークスカーツ  作者: roy
第一部  頭
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1-4   道徳の数式

「ここまで来れば、帝国の追っ手を心配しなくて良いでしょう」


俺はクラル、トリスティスの二人に連れられ、山道を歩いていた。

砦から離れ、随分遠くまで来た気がする。

あの鉄格子の部屋は既に遥か彼方だ。

……それなのに、最古の記憶、恐ろしい悪夢の印象……あの死の香りは、

いつまでも脳裏にこびり付いたままだ。


命の危機は去ったというのに、何故だろう。

どうしようもなく、気分が重い。

今俺の心を苛んでいるのは、あまりに殺風景なこの世界の味気無さ……虚無感だった。

この世界には、まるで生気を感じない。

共に歩くクラルやトリスティスの肌も、艶が無く、生命の温もりが希薄だ。

どうしてこんなことを考えるのだろう。

そもそも、何と比較して、かくも失望を感じるのだろう……。


「裂け目も見当たりませんし、この辺りで野営を張りましょう」


クラルがそういうと、すかさずトリスティスが口を挟んで来た。


「裂け目というのは、魔物が出入りする一際霧の濃い場所です」


窘めるよう、クラルも言い返す。


「相変わらず律儀だな君は」


「調停者殿には我が国が置かれている現状をよく理解していただかないと」


「今の段階ではピンときませんよ、ねえカーツ?」


クラルが俺に振ってきたので、なんとなく、疑問に思っていたことを聞いてみる。


「その調停者っていうのは何なんだ?」


トリスティスが身を乗り出すように、俺の質問に答えた。


「調停者というのはその名が示す通り、世界に秩序をもたらす者のことです。

三天使が聖餐を選ぶために地上に使わせたと白の書には書かれております。悪しき霧を払う聖なる使徒です」


彼女の言葉は先走り過ぎていて、要領を得なかった。

このトリスティスという娘は真面目なようで、少し抜けているみたいだ。


「……まあ、間違ってはいないか。カーツ、少し長くなりますが、いいですね?」


再びクラルが、トリスティスの言を補おうとしてくれている。


「かまわない」


俺の意志を確認すると、クラルはトリスティスに向き直る。


「トリスティス、君は先に休んでいてくれ。疲れただろう」


「……ですが」


「調停者と二人だけで話したいことがある。わかってくれ」


トリスティスは他にも何か言いたそうにしていた。

が、仮にもクラルは上司なのだろう。

彼の有無を言わさない態度を見ると、天然の毛のある女騎士も渋々と身を引いた。



 ◆



テントを張り、焚き火をおこす。

トリスティスは先に眠る。


「話を始める前に少しいいか?」


「なんでしょう」


出会った時から気になっていた、クラルの口調。

彼はもともとこうなのか?

なんだか、少し不自然な気がしていた。


「その……改まった喋り方はやめてくれないか?

なんだか落ち着かない」


クラルは一瞬驚いたようだがすぐに微笑んだ。


「なんだそんなことか。

そうだな。

では私と君はもう友人だ。

これからは砕けた言葉で話すことにする」


「ありがとう」


礼の言葉に再び微笑みを返すと、クラルは直ぐに真面目な表情に戻っていた。

こちらが本来の彼なのだろう。


「どこから話そうか……」


それから彼の長い話が始まった。



 ◆



「これは神話の時代から現代に続く私たち人類の宿命の物語だ。

そう遠くない昔、地上には多くの国々が存在した。

しかし今もなおアルビオンとガレンティアの二国間で争いが絶えないように、

人間達の間で戦乱が絶えることはなかった。

その中には無論、欲望に駆られて富を奪い合ったり、

信仰や思想の違いのために一方的に他者を殺戮する類のものも多くあっただろう。

しかし、自由を勝ち得るための誇り高き戦いが少なからずあったことを私は信じている。


ともかく、戦いの果てに多くの国は滅んだ。

また数々の自然の猛威によっても弱い国は打ち負かされ、滅んだ。

やがてアルビオンとガレンンティアの二国だけが残った。

両国とも同じ宗教を持ち、同じ人種が暮らす国家だ。

しかし何世紀も前に別々の道を歩むことを選んだがために、今も対立が続いている。


我々の信仰は智神オフイスを頂きにしている。オフイスとその子らの奇跡を記した白の書という聖典がある。

白の書には、多くの国々が滅んでいったのは三天使たちの粛清であり、

今この星を覆っている『黒い霧』は天使たちが人類に与えた最後の試練である、と書かれている。


黒い霧というのは、世界がこうなった全ての元凶だ。

土は痩せ、作物は枯れ、家畜は病に倒れ、食べ物は昔のように行き渡らなくなった。

美しい自然を見て人が感嘆することもなくなり、芸術は価値を失った。

宝石や貴金属は輝きを失い、経済は滞った。

人々は餓え、感動しなくなり、生気を失った。

濃い霧が立ち込める裂け目からは魔物たちが現れ、人々を襲った。

そして……」


クラルはいったん言葉を切り、思い詰めたような顔をして、テントのほうをちらと見た。


「霧が世界を覆ったのは五年前のことだった。

それからアルビオンとガレンティアには子供が生まれなくなった。


これが最も決定的だった。

アルビオンもガレンティアも加速度的に人の数を減らしていった……。

五年前、世界が霧に覆われて間もない頃は、この状態が長期的なものであることを誰も想像していなかった。

しかし既に五年だ……。

長引けば長引くほど若い女の数はどんどん少なくなる。

子供を産める者が居なくなる。

そうなった時がいよいよ人類の歴史が潰える時だ。

これはなんとしても阻止しなくてはならない。

そこで……」


「待て、『黒い霧』が現れたのが五年前だと言ったな。

白の書ってのはいつから在るんだ?

予言か何かなのか?

お前たちはみんなそれを信じているのか?」


「それは重大な解釈問題だ。

我々にも白の書がいつ誰によって書かれた物なのかは定かではない。

私が知っているのは、アルビオンやガレンティアの建国以前から存在しているということだけだ。

そして白の書は数ある聖典の一つに過ぎない。

我々の信仰には聖典が幾つもある。

それがまたかつての争いの種になったんだ。

だが、すくなくとも今の世界の様相を最も的確に表しているのは、白の書に他ならない。

確かにお前が言ったように、我々アルビオン人は白の書を予言として扱い、それに習い、行動を起こしている。

だが帝国は白の書を支持していない。だからウィルフリードは調停者の存在を否定し、君を処刑しようとしていた」


確かに、あの男は俺を殺そうとしていた。

しかし理由はそれだけじゃなかったはずだ。

……それについては、今は考えないことにしよう。

クラルの話に集中するべきだ。


「白の書には続きがある。

『黒い霧』を晴らすためには『聖餐』として生贄を捧げよ、と。

『聖餐』は人間達の中でまだしも救いのある、善良な若者でなければならない。

そして『聖餐』に選ばれたものはたった一人で、これまでの人類が犯した数多の罪を贖う。

そのため『聖餐』自ら死を望むほどの苦痛を与え、百日間かけて少しづつ殺すのだ、と」


人類のために一人が犠牲になる……。これは正しいことなのだろうか。

最大多数の最大幸福。

なぜかそんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「ひどいな。それに話で聞いただけじゃとても信じられない」


「魔物は見ただろう?君も直に天使たちを見れば信じる気になるよ」


「じゃあクラルは天使を見たのか?」


「見た。君が現れる少し前に」


そういえば、俺も天使と呼ぶに相応しい何かを見た気がする。

夢の中でだが。

白の書とかいう神話だか予言だかが現実になるだなんて、とてもありえない話だ。

しかし、妙な事に、俺は既にクラルの話を信じ始めていた。

現にクラルの言うとおりこの手で魔物を屠った。

これで目覚めている間に天使とやらが現れでもしたら全て信じるしかないだろう。

頭が痛くなってきたが、気をとりなおして話の続きを聞くことにする。


「……それで、どこで調停者が出てくる?」


「調停者は『聖餐』を選ぶ者。

『聖餐』は最も善良な者、そして苦痛に堪え得る者でなくてはならない。

『聖餐』を選ぶためには『聖餐』自身の意思だけではなく、それを見極める公平な眼が必要だ。

それが調停者なのだ」


『調停者』……何故彼らは俺をそう呼ぶのか。


「どうして俺が調停者だと?」


「君が『抑止力』を持っているから」


「抑止力?」


「調停者に与えられた、秩序をもたらすための力。

調停者自身の生命が、その使命を阻む者によって脅かされないための力」


「もっと具体的に言ってくれないとわからないな」


「その眼帯で封じているもの……それが抑止力」


瞬間、背筋が冷たくなるのを感じた。最古の悪夢……あの記憶の扉を開かなければいけない時がきたのだ。


「君自身のことを語らなければいけないようだな」


「できるなら、そうしてくれ」


「少し、抵抗がある。

君はひどく、あの事実に動揺していたようだったから」


目覚めた時よりほんの少し自我というものが定まりつつある俺にとって、

あの悪夢の真偽は何よりの恐怖だった。

他人事で済んでいた記憶が、現在と繋がってしまうことに、俺は耐えられるだろうか。

だが聞くしかない。真実を。


「大丈夫だ。覚悟はできている」



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