3-7 頭と胸と腹
辺りはまだ暗かった。夜明けまで多少時間は残されていそうだ。
初めてガレンティアの街を目にするわけだが、感慨より焦りが勝ってそれどころではない。
少なくとも、グラエタリアよりも整然としていて、立派な都市であることは間違いない。
「監視塔は……?」
俺が尋ねると、カガシが答えた。
「 確かあっち」
彼は先陣を切って歩き出そうとする。が、クラルがそれを制止した。
「そこには既に黒翼団の者達はいない」
「そうなの……?」
動揺するタリンドルに、トリスティスが言葉を続けた。
「確かです。日中、彼らが監視塔の地下牢から移送されたとの情報を聞いた後、我々はカーツ殿の救出に向かったので」
「じゃあどこに……?」
俺はクラルの顔を見た。
「恐らく中央の贖罪の砦と呼ばれる牢だ。
重罪人ばかりが囚われている。地下牢とは番兵の数が桁違いだろう。そこに忍び込むなど、もってのほかだ」
「どうしたらいい?」
「処刑は明日の正午。
広場に移送中に奇襲を仕掛け、聖餐を救出し、そのまま帝国を脱出する」
「そんなことが可能なのか?」
「不甲斐ないが、他に手はない」
トリスティスが話し込む俺とクラルを制した。
「立ち話をしていては目立ちます。協力者の元に向かいましょう」
◆
再びクラル達が先導し、俺とタリンドル、カガシがそれに続く。
カガシは明らかにこの中で最も体力が無かった。
あんな細い身体じゃ無理もない。
彼を担いだ時のあまりの軽さを思い出す。
「みんな……ちょっと待って……」
「もう、根性出しなよ。男でしょ」
タリンドルは呆れてカガシの背中を引っ叩いた。
「ここです」
トリスティスの言葉に一行は立ち止まる。
曲がりくねった路地裏の古びた建物の隙間に、地下に続く階段があった。
一人がやっと通れるぐらいの幅しかないため、トリスティスが先に降りる。
階段の下には扉がある。トリスティスは節を刻みながらその扉を叩いた。
「ロスタエクタは何処にある?」
扉の内側からの声に、トリスティスが答える。
「頭と胸と腹に」
合言葉なのだろうか。意味はまるでわからなかったが、扉が開く。
トリスティスが中に入りつつ、手招きする。
俺たちも階段を降り、それに続く。
◆
中は薄暗い穴倉のような所だった。
一応屋内ではあるが、埃っぽく、雑然としている。
見回してみると、所々に本や紙類が山と積まれている。
扉が開け放されたままの奥の部屋では、机上に広げた地図を前に熱心に話し合っている者が数人。
その他にも話し声が彼方此方で聞こえる。
あまりに物が多く、最奥を見渡すことはできなかった。
蟻の巣のように入り組んだ、大きな隠れ家と言ったところだろうか。
「ここは……?」
俺の問いに、クラルが答える。
「反聖灰会組織アルビノクロー本部」
「なんだそれは?」
「『聖灰会』はガレンティア教会系の一教派だ。
ガレンティアでの政治の実権を握っているのは枢機卿団だが、彼らは皆、聖灰会出身なのだ。
ウィルフリードを初めとする神殿騎士団もこれに属している。
アルビノクローは、ガレンティア国内の白の書派及び『聖白会』が立ち上げた。
『聖灰会』に対抗する地下組織だと言えばわかりやすいかな……」
「あ……ああ。なんとか」
困惑する俺に、タリンドルが説明を補った。
「灰の書や『聖灰会』については闘技場で話したでしょ?
ガレンティアでは『聖灰会』が圧倒的優勢なんだよね……」
トリスティスとクラルが続ける。
「つまり、アルビノクローは、ガレンティアに居ながらにしてアルビオンに味方する人々ということですよ」
「ガレンティアの侵略により国を追われた者や、
ガレンティアに帰化しながらもかつてのルーツや誇りを捨てきれない者達が主なメンバーだ。
しかし、思想や信仰を貫くためここに属している生粋のガレンティア人も、少なくは無い」
「俺には良くわからないや……」
カガシがぼそりと呟いた。
「敵の敵は味方。とはいえ、反体制派の厄介になるのはどうも落ち着かないものだな。
それに、あの男に会うのは、気が進まない」
あの男とは誰だろう。クラルの言葉には引っかかるものがあった。
「わがまま言わないで下さいよ。非常事態なんですから」
トリスティスに窘められ、クラルがウンザリしたような顔をして見せた。
俺たちが話し込んでいると、アルビノクローの構成員と思しき男が顔を覗かせてきた。
「クラル様、カーツ様、それに仲間の皆様、どうぞ。
奥に部屋を用意してありますのでゆっくり休んで下さい」
「そんな暇は無い……」
俺は今すぐにでも、シレオの救出に向かいたいんだ。
構成員の男は言葉を詰まらせた。
「ですが、明日の正午までは何もできませんよ。
ここで今一度話し合いが必要ではないでしょうか?
我々が別れて居たのはそう長い時間ではありませんが、色々な事がありましたし……」
トリスティスを困らせたい訳ではないんだ。
彼女にそんな風に言われると、どうしたらいいのか、わからなくなってしまう。
タリンドルが、俺の肩に触れる。
「そうしよう、カーツ。
クラルやトリスティスや、ここの人達の手を借りないと、シレオを助ける事はできないよ」
「タリンドル……」
「あたしだって、本当は居ても立ってもいられないんだよ……。
でも、なんの作戦もなしに突っ込んだってきっとダメだと思う」
「カーツ、私からも頼む。君から聞きたい事が沢山あるんだ。
それに……君と別れてから、考えてみたんだ。
私を聖餐に選べという意志は変わらない。
だが君の言ったように、
同じ聖餐としての宿命を背負った者とは、会って話をしなければならないと思う。
ウィルフリードはともかく、あのシレオという男とは一度剣を交えただけだ。
まだ彼について、私は何も知らない」
クラルの認識でも、ウィルフリードが聖餐ということになっているのか……。
「シレオを救いたいという気持ちは私も変わらない。信じてくれ」
「……わかった」
クラルにここまで言われてしまっては、俺は立場がない。
これ以上抵抗するのは、ただのわがままになってしまう。
俺が根負けしたのを見て、構成員は一行を奥の部屋へと促した。
「こちらです」
隠れ家の奥へ奥へと歩いて行く。
「カーツ、ちょっといい?」
カガシが俺の服の裾を摘まんで引っ張ってきたので、足を止める。
「なんだ?」
「二人だけで話せない?」
……俺も今まさにそう考えていたところだった。
カガシは作戦を進める上で、不穏分子になりかねない存在だった。
ずっと彼のことが気がかりだったのだ。
「先に行ってくれ」
構成員の男にそう告げると、俺とカガシは、皆から少し距離を置いた。
「では、こちらの部屋ですので……」
皆、怪訝そうな顔をしていたが、おとなしく部屋に入っていく。
それを見届けると、カガシは俺に向かって言った。
「秘密のこと、わかってるよな?」
「ああ。忘れてはいない」
「ウィルフリード様が一番警戒してるのはクラルさんだ……。
あの人には気をつけて。秘密を話さないだけじゃなくて、怪しまれるようなこともしちゃダメだからな」
「お前とウィルフリードの秘密が、シレオ救出の障害になるようであれば、俺は話すつもりだ」
「何言ってるの!?駄目だよ……!」
「こうしている間にも、クラルの奴は十分怪しんでると思うぞ……行こう」
「……いいけど、俺だって抑止力を使えるってこと、忘れるなよ」
こいつめ。抑止力は使いたく無いと言った癖に。
いや、今のはきっと口からでまかせだ。
こいつにそんな根性があるわけがない。
なんで俺はカガシを信用してしまったんだ?
確かに根っからの性悪でないことは解っている。
そうでなければ聖餐には選ばれないだろう。
こいつに俺を脅迫など出来やしない。
……こんなことを言い出すなんて俺たちを何だと思っているんだろう。
仲間。クラルや他の皆がせっかくそう認めてくれたのに、それを裏切るというのか。
本当に連れてきて良かったのだろうか。
しかしよく考えてみれば、聖餐としての力を持つ彼をウィルフリードの側に置いたままにするのは、今よりずっと危険だ。
そう。それに、本当はこいつだって善い人間の筈なのだ。カガシのアンジュへの想い……それは本物だ。
信じるしかない。
徒らに憎らしく思うより、彼の本来の意志を尊重するべきだ。
そう片付けると、俺は黙ったまま皆が待つ部屋に入る。
カガシは口をもごもごさせていたが、諦めて俺に続いた。
その小ぢんまりとした部屋の中では、皆が思い思いに寛いでいた。
タリンドルとトリスティスの女性二人は、既に大分打ち解けたようだ。微笑みを零しながら、会話に夢中になっていた。
「来たな」
俺たちに気づいたクラルが場所を開けてくれた。俺とカガシも輪の中に入る。
「ちょうどタリンドルと話していたところだ。彼女は黒翼団だったんだな」
「ああ。だが、シレオと同じように奴隷として仕方なく身を置いているにすぎない。
そうだろ?タリンドル」
「……うん」
シレオが心配なのだろう。タリンドルは俺の言葉に曖昧に返事した。
「しかし、クラル。お前がシレオの救出に肯定的なのは意外だよ」
俺は素直に、今の気持ちを吐き出した。
あの渓谷での戦い。その後で、クラルにどんな心境の変化があったのだろう。
「意外?私はそんなに冷血に見えるか?」
「あの渓谷での戦いから、あいつに良い印象を持てるわけが無いからな……」
「無論その件で彼を許した訳ではない。黒翼団が今まで行ってきた犯罪の数々についてもな……」
「では何故?俺を救出するだけでなく、シレオの件でも尽力してくれているじゃないか」
「私も人並みの情けは持ち合わせているつもりだよ。だが、しいて理由を述べるなら……。
まず第一に、君がシレオを喪うことを良しとしないだろうから。
第二に、聖餐の能力……抑止力の行使権を分散させるためだ」
行使権の分散……。アルビオンとガレンティアの二極化を危惧しているということだろうか。
しかし、イシスには二つの国家しかない。
どんな狙いがあるというのだろう。
「……合理的だな。お前らしい。実は二番目の理由が本心なんじゃないのか?」
「確かに、アルビノクローと利害が一致しているのはその点だ。
しかし、第三に、私自身が聖餐である彼に興味があるから……。奇妙なことに、親近感すら抱いているよ」
「それは、ウィルフリード様にも……ですか?」
カガシが声を上げた。
「……はははっ。あの男に?そうだな……そういう事になる……」
トリスティスが何かを思いついたように、カガシに訪ねる。
「タリンドル殿の身上については先ほど聞きました。
カガシ殿についても聞かせて頂けますか?
その口ぶりだと、ウィルフリード殿と親しい間柄のようですが」
「別にそんなんじゃないよ。俺はあの人の奴隷。
もう皆解ってるだろうけど、俺はガレンティア人じゃない。ロクスミ人だ」
クラルが歎息した。
「これは珍しい……。
呪術はロクスミのホロス信仰に由来すると言われるが、まだ失われてはいなかったのだな」
トリスティスが構わず続ける。
「で、何故ウィルフリード殿の奴隷であるあなたが、カーツ殿の手助けを?」
「俺、ウィルフリード様の命令で、カーツのお世話をしてたんだ……それで……」
そこでカガシは言葉を詰まらせた。
そう、彼が今ここにいる原動力。それは彼自身が聖餐であることに起因する。
同じ聖餐であるシレオを救いたい、それがカガシがここにいる理由だ。
俺が半ば強引に連れてきた側面もあるが。
「カガシが呪術師だと知って、俺が協力を求めたんだ。脱出の道は彼の姉が教えてくれた」
俺が出した助け舟に、カガシはほっとしたようだった。
例の秘密を明かすのは、まだこの時ではない……と思う。
クラル達に隠し事をするのは、正しいことではないかもしれない。
だが今は余計な波風を立てたくなかった。
「そうか、ありがとう。大手柄だぞ、カガシ」
クラルはカガシを激励した。トリスティスは、未だ腑に落ちないといった顔をしていた。
「我々が再会したあの場所……あの地下道は、アルビノクローから秘密の抜け道だと教わったのですが、
カガシ殿の姉はどうしてあの場所を?」
「俺も知らない……。姉さんが時々使ってる道だってこと以外何も。
カーツ達と城を抜け出した時に始めて通ったんだもの」
嘘はついていない気がした。
カガシにそんな器用な真似ができるとは思えない。今のは誤解を呼んでも仕方無い言い方だが、
下手に誤魔化すより、知らない物は知らないで押し通したほうが良いのかもしれない。
しかし、これには俺もかなり引っかかる物があった。
クラルも同じことを考えたのか、じっとカガシを見つめていた。当のカガシはむすっとして、知らん顔を押し通そうとしていた。
「まあ、お互い無事だったのだから、良しとしましょう!」
トリスティス……相変わらずこの娘は鋭いのかとぼけてるのか良くわからないな……。
だが、不穏な気配を飛ばしてくれたことは有難い。
「ところで、もう一つ整理しておきたいことがあるんだが……」
抑止力について。
俺は何故、ガレンティアやアルビオンの情勢にこんなにも深く関わることになってしまったのか。
断続的に意識を失っている間に、世界では何が起きていたのか。
それを確認しておきたかった。
「まず……クラル、お前が聖餐であることを公表するに至った経緯だ。
何故世間はそれをすんなりと受け入れられたのか……」
「ふう……。長くなるぞ」
クラルは一度大きく息を吐き出した。
「皆さん、大丈夫ですか?この後、夜明けまで作戦会議になりそうです。
そしてこのままもう一人の聖餐の救出に向かいます」
トリスティスが皆に目配せした。
「あたしは大丈夫。
それに、あたしが首を突っ込んじゃったことについて、知っておきたい。
シレオの事を考えると気が気じゃないけどさ……」
「俺も。俺なんか居てもあまり役には立たないだろうけど」
カガシとタリンドルの意志を確認すると、俺はクラルに向き直った
「聞かせてくれクラル」




