3-1 三人目
ゆっくりと目を開ける。
……また知らない場所だ。
こうして目覚めるのは一体何度目だろう。
身体は例によって、痺れていて言うことをきかない。
抑止力の解放により、またも記憶がちぐはぐになっている。
あの時シレオは、一体何をしていたんだろう……。
聖餐……資格……権限。
バルジが手に入れた本当の宝……。
考えると、刺すような痛みが頭を襲う。
脳髄も限界を超えて機能していた証拠だ。
では、あの三つの頭をもった魔物は……?
俺がここにこうしているということは無事に倒すことができたということなのだろうか。
つまり、抑止力で以て。
ということは、全てバルジの思惑通りに事が推移したということか。
力が抜けた。
自分は一体何のために頭をこねくり回していたんだろう。
結局、奴の手の平の上で踊らされていただけじゃないか……。
そして憎きバルジはまんまと大金を手にしたというわけか。
それにしてもここは一体どこだ……?
奴らのアジト……にしては随分小綺麗だ。
グラエタリアの宿……にしては広すぎる。
俺が寝かされていたのは、天蓋付きの豪奢なベッドだった。
絹のシーツに、羽毛が詰め込まれたふかふかの布団と枕。
吸い込まれるような居心地の良さだ。
部屋は広く、床には大理石の描く湖面の模様が果てしなく続いていた。
まるで貴族の寝室だった。
「おはようございます。カーツ様」
俺を迎えたのは、妙な格好の少年だった。
くたびれたローブを頭からすっぽりかぶったその姿は、
中身が少年で無ければ、賢者か……はたまた隠者かといったところだ。
「食事の用意ができましたので……」
と、少年は俺の顔を覗き込む。
「……歩けますか?」
上半身を起こし、次に片足ずつゆっくりとベッドの下に降ろす。
たったそれだけの動作で身体が軋んだ。
その足で踏ん張って立ち上がることは叶わなかった。
「無理そうだ」
「あ……じゃあ俺、適当に見繕って持って来ます。
どうせ大した物は無いし……」
どこか頼りないその少年は困ったように微笑むと、
目深に被ったフードの先を揺らしながら部屋を出て行った。
◆
「お待たせしました」
「ありがとう」
ベッドに腰掛けたまま、少年が持ってきたパサパサのパンを齧る。
「あ……あの。申し遅れました。
俺、カガシって言います」
その名前は不思議な響きを持っていた。
今までイシスで出会った人々の名とは趣を異にしている。
「カガシ……」
口に出すと、またも困ったような微笑みを返される。
「ウィルフリード様にあなたの身辺のお世話を命じられています。
俺のことは好きに使ってください」
耳を疑った。
「ウィルフリードだって?」
俺の声に驚いたカガシは、あからさまにびくりと肩を揺らした。
「は……はい!えと……神殿騎士のウィルフリード様です……。
俺はあのお方の使用人で……」
ウィルフリード……俺を殺そうとしていた、あの男か。
最初に目覚めた、あの牢獄で出会った、傲慢で、いけ好かない人物。
「じゃあここは……ガレンティアか?」
「はい……」
どうしてガレンティアに?
あれから何があった?
シレオは……タリンドルは……?
またも俺は仲間を失うのか。
「あの……憶えていないんですか?」
「……ああ」
思わず両手で頭を抱えた。
また振り出しに戻るなんて。
イシスの神、オフイスとやらが本当にいるなら聞いてみたい。
俺には自身の生を与えてはくれないのかと。
幸い、あの牢獄で目覚めてから、一部を除く記憶は連続性を保っている。
だがこれでは……こんなことでは……自分の計画というものは、まるで役に立たないではないか。
やっと希望が見えかけたところで、それを奪われる。
これでは、運命という名の災厄に振り回されているだけではないか。
「あの……それって……記憶が無いのって、抑止力のせいでしょうか?」
抑止力?妙だぞ。この少年は一体どこまで知っている?
「……カガシ。君は何者だ?」
「え……。えっと……それは……その……」
カガシはローブの裾をもじもじと弄り出した。
「あ……あの。信じられないかもしれないけど……。
あ……信じなくても、いいんだけど。俺、聖餐ってやつらしいです」
「なんだと!?」
この少年が?まだあどけなく、
頼りないこの少年のどこを三天使は見初めたというのだろう……。
聖餐は地上で最も善良な者で、
尋常ならざる器を持つものでなければならないと聞いたが……。
それに今までの二人のように、天使から告げられるのではなく、
本人の口からそれを聞くことになるとは。
思いもよらなかった。信じていいのだろうか。
……会ったばかりなのに何を信じると言うのだろう。
「お、俺みたいなのが聖餐だなんて、おこがましいですよね……」
俺は考え込んでしまった。
このおどおどした少年が嘘をついているようには思えない。
いや、それ自体が演技だという可能性も無くはないか……。
だが嘘をついているとしたら何のために?
「どうしてそうだと言える?」
「あ。えと……天使様が俺のところに来たんです。
凄く綺麗だった。
きらきら輝いていて、翼が四枚ありました。
ジェスラード様という天使様です」
ジェスラード……!俺の夢に出てきた天使だ。
イシスの聖典に出て来る名でなければ……
いや、そうであったとしても、こんな偶然はありうるだろうか?
「天使様は俺が三人の聖餐のうちの一人だと告げました。
どうやったら黒い霧を晴らし、世界を救うことができるのかも……」
まだ疑惑が晴れたわけではない。
しかし彼が聖餐で無かったにしても、
何か核心にせまる事実を知っている可能性は高い。
俺はひとまず、彼を聖餐だと認めたことにして、話の続きを聞くことにした。
「わかった。信じるよ」
「あ……ありがとうこざいます」
カガシはそういった割には、少しも嬉しくなさそうに俯く。
「ところでおまえ、ウィルフリードの命令でここへ来たと言ったな?」
「はい。調停者であるカーツ様のお世話をするために」
「……じゃあつまり、ウィルフリードは俺を調停者と認めたんだな」
「そうなんじゃないですか?」
どうも要領を得ないな。
「前に会った時は俺を処刑しようとしていたんだぞ。
一体どういう風の吹きまわしだ?」
「そんなこと俺に聞かれても……」
「……じゃあ別の質問に答えてくれ。
ガレンティアでは、『白の書』を認めないんだろ。
三天使の神話も。
それならガレンティア人であるウィルフリードが、
俺を三天使の使いである調停者などとは信じないはずではないのか?」
「答えられません。
俺、オフイスのことはよくわからないんです。
俺の国の神とは違うから……。すみません」
変わった名だとは思ったが、やはりガレンティアの人間ではないのか。
彼も故郷をガレンティアに侵略され、国を追われたのだろうか。
まか、知らないというなら仕方ないか。
「あの、これ関係あるかどうかはわからないんだけど……」
「構わない、続けてくれ」
「近頃、元老院で頻繁に話し合いが行われるようになったそうなんです……。
それでウィルフリード様も忙しそうにしてて……。
『白の書』を認めるかどうかっていう話も挙がってるって聞きました……。
他にも難しい話をいっぱいしてるみたいです」
ガレンティアでも、今まさに聖典の解釈で揉めている最中なのだろうか。
ということはつまり、調停者や聖餐の存在は公に認知されているということか?
「なあ、カガシ。
俺が調停者だということはガレンティアでは有名なのか?」
「有名では無いと思うけど……。
でも、元老院や枢機卿団の偉い人達は皆知ってるみたいです」
そのお偉いさん達が俺を囲っているって訳か。
確かに、国家の一大事……
いや、世界の存亡に関わるとしたら、そうなるだろうな……。
とんだ災難に巻き込まれたものだ。
自身の境遇を呪いたくなる。
「カガシ、君が聖餐だということは?」
「……俺とウィルフリード様……それにカーツ様しか知りません」
「ウィルフリードは何故知っている?」
「あの人も、ジェスラード様と話をしたそうです……」
ジェスラードが?何のために?
聖餐でも調停者でも無いウィルフリードの元に、天使が現れる理由は?
今までカガシと話した事柄の中でこれが最も不可解だった。
「あの……これすごく大事なことなんですけど……」
「あ……ああ。なんだ?」
「俺が聖餐だってこと、誰にも言わないで下さい」
「何故?」
「……俺にはうまく説明できないです。
ウィルフリード様から聞いて下さい。
今は会議中だけど、午後はたぶん、ここに来ると思うので……」
「……マジか」
あの男と再び会わなければならないとは。
恐ろしく気が進まないが、
逃げも隠れもできない以上は、受け入れるしか無かった。
それからカガシは食事の後片付けをし、
汚れた食器や、俺の着替えを運んだりと、忙しそうに働きはじめた。
聞きたい事は山ほどあるが、声をかけるのは憚られた。
暫くぼんやりと、カガシが働く様子を眺める。
カガシが本当に聖餐だとしたら、これで三人の聖餐が全て見つかったわけか。
まるで示し合わせたかのように、俺の前に現れたものだ。
前の二人は向こうから俺を捕まえにきたわけだが。
それにしても、面白いくらいに違いすぎる三人だ。
共に過ごした時間は僅かだが、
クラルもシレオもなかなか骨のある男だった。
二人に比べると、カガシは余りにも平凡すぎる気がした。
それにしても。せっかく聖餐を見つけたというのに、クラルと再開できる見込みが無いのは残念だ。
あいつの方でも血眼で俺を探しているのは想像に難くない。
だがおそらく、ここはガレンティアの中枢だ。
たとえクラルでも、どうやったって辿り着けないだろう。
身体が回復したら俺から彼らを探しに行かなければ。
だが……再会してどうする?
クラルは再び自分を選べと迫るだろうか……。
クラルか、シレオか、カガシか……。
馬鹿な。そんなこと、許されない。
天使がそれを望んだとしても、俺は断固拒否する。
とにかく、クラルにと再会して、別の方法を共に見つけるんだ。
そういえば、黒翼団の連中はどうしているだろう。
よく俺を手放す気になったものだ。
いや、そもそも何故俺はガレンティアに?
……胸騒ぎがする。
何か良く無いことが起きるような。
何故そんな予感がするのかわからなかった。
だがその考えは頭にこびりついたまま、離れようとしなかった。