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ダークスカーツ  作者: roy
第一部  頭
2/34

1-1   調停者

「……だから、何度言ったらわかるんですか!」


気が遠くなりかけたところで、何者かの話し声が聞こえてきた。


「……私は意見を変えるつもりは無い」


二つの異なる足音が上方から近づいてくる。

視界の端にぼんやりと見える木製の扉の向こうは階段になっているのだろう。


「全くこれほど石頭だったとは」


「どう言われようと、私はあの男を断罪する。智神オフイスに誓って」


「そんな。彼は紛れもない、調停者……なんですよ?予言が真実になったんです!」


「世迷い言を。また例の神がかりか。私は自分の神以外何も信じない。

ましてや、どこぞの物乞いが二日酔いの不覚で吐いた妄言など」


「お願いですウィルフリード……!」


扉の開く音。

光が目にしみて顔を背ける。

溢れた微かな明かりによって、初めて部屋の大きさを認識する。

自分が居る牢獄と同じ大きさのものが通路をはさんでこちらと向かいに見えた。

それぞれ三つか四つ並んでる程度の広さだ。

眩しさに伏せていた顔を上げる。話をしていた二人の青年が姿を現す。


「クラル殿。どうやら貴公と私とでは議論は困難なようだな。

この男が一体何人の罪なき者を殺したと思っている?」


「確かにそれは覆しようの無い事実です。しかしまだ時間はあります。

いずれ貴方も思い直してくれることでしょう」


俺の事を話しているのか?

頭の中には未だ混乱が渦巻いている。

しかし、二人への関心が一時それを忘れさせた。


ウィルフリードと呼ばれた方は驚く程長身の青年だった。

顔立ちが整いすぎている男にありがちな軽薄さは無い。

巻き髪に縁取られ尖った輪郭はまるで彫像のようだ。一種の威厳すらたたえている。

まだかなり若いはずなのに、表情は見事に引き締まり、そこに若者特有の青臭さや油断が浮かぶことは想像できなかった。


クラルと呼ばれた方は線の細い、ウィルフリードとはまた違った魅力的な美青年だ。

傍らの偉丈夫とは対照的に、全体に柔和ながらも隙の無い貌。

造形そのものは女性的と言っても良いが、

知性を感じさせる視線や佇まいが、男性的側面でも優秀であるだろうことを証明していた。


そして、二人とも特徴的な鎧を身につけている。

それがこの場所では一般的なのか、異常なのか、滑稽なのか……。

今の俺には判断がつかなかった。


ーーーー今なんと言った?……殺した?……俺が!?


「……うッ」


声を出すことを忘れていた自分の喉が、惨めな呻きをあげる。

二人がこちらを見る。


「おはようございます。気分はいかがですか?」


俺はやっとのことで喘ぐように声を出した。


「殺した?俺が?」


「とぼけるな。下郎が」


ウィルフリードと呼ばれた男が苛立ちを露にこちらを一瞥する。


「あれは……夢では?」


「夢だと?これはこれは、随分と都合の良い。あまり戯けたことをぬかすなよ。

この場で貴様の首を斬り捨てることになる」


その脅迫めいた言に妙に頭が冷やされた。

自分が無自覚におかしなことを喋っていたと気づく。

だが仕方ない、俺にはあれが……大切な……何かが……。


「ウィルフリード、これ以上彼を混乱させてはいけません!」


張りのある声が、高慢な男を遮った。そのまま穏やかにクラルが続ける。


「どうか、落ち着いて。

今は彼の話を聞くべきです。

斬ってしまっては何もわからなくなってしまう」


「貴公はどうかしているな。

まあ、好きにするがいい。

この獣が嘘をついていることがわかれば斬っても構わないのだろう?」


「私の一存ではどうすることもできません。もちろん貴方の判断でもそれは許されることではない」


「ふん」


話の流れが読めない。

俺は殺されるのだろうか。

それは困る。

何故だ?死にたくない?

確かに死にたくないような気がする。

いや、はたしてそうだと言えるか?


自分には、何か生きるに値する根拠があっただろうか。

違う。

単に苦痛や恐怖に対する拒絶。

現状に縋り付きたいという、刹那な欲求だけだ。

……身を守る術も、言葉も、何も持たないからには沈黙するしかない。


「驚かせてしまいましたね。

私はクラル。クラル・セレスティン。

アルビオンで軍を指揮している者です。

そして、こちらはガレンティア帝国神殿騎士、ウィルフリード。

あんなことを言っていましたが……えー……貴方の首を切るとか、切らないとか。

そんな勝手はできませんし、させないのでどうかご安心を」


「今のうちはな」


ウィルフリードがきつくこちらを睨んだのには御構い無しに、クラルは改めて俺の方に意識を向けた。


「それで。貴方のことですが」


彼はそこで言葉を切るとたっぷり一、二秒思案しているようだった。


「お名前をお伺いしても?」


名前。瞬間、周りの空気が重くなり視界が傾いたような感覚に陥る。

奈落に引きずり込まれるような絶望。圧倒的事実。

再び心臓が早鐘のように鳴りだし、全身がぐにゃりと力を失った。


「名前……わからない……思い出せない………何も……」


そうだ。

俺には記憶が無かった。

存在の根拠と目的が。

最古の記憶は例の……。

俺のもう一つの苦悩であるあの悪夢だった。

それ以前のことは何も思い出せない。

完全なる無。

まるであの悪夢を経てこの世界に生まれ落ちたかのように。


「く……。は……はははッ」


煮えたぎる思考の渦をウィルフリードの哄笑がさらに掻き乱す。


「白々しい。芝居はたくさんだ」


そう吐き捨てると、彼は踵を返し、入ってきたのと同じ扉に手をかけた。


「行くのですか?まだ何も……」


クラルは虚を衝かれたようだった。


「十分だ。明日私から直々に枢機卿団に引き渡す」


「……考え直す気は無さそうですね」


「悪く思うな。貴公の評価を下げるようなことにはならない」


「ご親切に」


ウィルフリードが去ると、クラルは一瞬だけ唇を噛み締め、その端正な顔を不満に歪めた。

が、すぐにまた外した仮面を戻すように、穏やかさを表情に貼付けると、俺に視線を向けた。


「この会合は、貴方の平穏を乱しただけでしたね。申し訳ありません」


そう言って扉のほうを一瞥すると格子のすぐそばまで寄ってきて、囁く。


「なんとかします。必ず貴方を救い出します。今は看守の目があるのでまた後ほど……」


「………待て、待ってくれ!」


急に心細くなった俺は、気づくとクラルを引き止めていた。

一人になるのが怖くて堪らなくなっていた。


「……手短に」


「……何故俺の肩を持つ?あんたの目的はなんだ?」


「ーーーー『調停者』が必要だから。とだけ述べておきましょう。」



 ◆



クラルが居なくなり、一人牢獄に残された俺は、不安に怯え震えるだけの小動物になった気分だった。

惨めだった。

いまはただ、この静寂が恐ろしい。

自分の矮小さを、空虚さを、暴かれるようで。

またぐるぐると思惟の堂々巡りだ。

考える時間はたっぷりあるように思える。


俺は一体何だ。

これではまるで、ただ意識が苦悩するために存在しているようなものだ。

クラルとウィルフリードのことも考えた。

俺が知っている人間はあの二人だけだからだ。

俺を殺すと言った男と、俺を救うと言った男。

今のところ、俺にとって彼らの存在がそれ以上の意味を持つことはなかった。

かつては家族や友達が、そうでない知人や、俺に関わる人物が大勢いたのだろうか。

自分自身はどんな人間だったのだろう……。


しかし、それを考える材料は圧倒的に不足していた。

この思考する言語が一体どこから沸いてくるのかも謎だ。

これは記憶と呼んでいいのだろうか。

……無駄だ。

とにかく今は、あの二人の言葉だけが、俺が俺という人間を知るための、数少ない材料だ。

どうやら彼らは、俺より少しだけ昔の、以前の俺を知っている。


「うッ……」


と、こめかみの辺りを鋭い痛みが襲う。

それと共に、例の悪夢の断片が、脳裏を掠めた。


やはり、あれは夢ではなく、事実……?

事実だとしたらどうだというのだ。

今の俺にとっては他人事じゃないか。

夢の中では確かに感じた、血の匂い、濡れた手や体の不愉快さ……。


しかし、目覚めてからの認識と比較するとまるで実感を伴わない。

今はそんな不確かな罪悪感より、苛立ちが勝る。

正常な人間であれば、殺人によって踏み越えた境界は、もっと途方も無く絶対的なものに感じるんじゃないだろうか。


そう、自分自身が正常ではないという自覚はある。


とりとめのない自問自答を、どのくらい繰り返しただろう。

そのうちに強烈な眠気がやってきて、何もかもどうでもいいような気分になってきた。

こんな状況でも本能には逆らえないものなのか。

つかの間とは言え、苦痛の解放にも似た心地よさを感じた。

意識が暖かい眠りの霞に包まれていく中で、

別れ際にクラルが言った「救う」という言葉に縋ってみるのも悪くないと考えていた。

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