2-6 情熱
「カーツ、起きろ」
この声……まさか……。
「クラル!?お前、無事だったのか」
渓谷で別れてから消息の掴めなかったクラル。
その彼が、なんと目の前に居た。
良かった……。
心の底から安堵する。
「何を寝ぼけているんだ。王都はすぐそこだぞ。さっさと支度しろ」
あれ?そうだったか?
じゃあ黒翼団に襲われたのも、闘技場に連れてこられたのも全部……夢?
「あ……ああ」
腑に落ちないが、夢なら夢で良かった。旅を続けなければ。
「早く二人の聖餐を探さないとな」
そうだった……聖餐だ。クラルの他にも二人いるといったっけ。
彼らを見つければ、何か新しい事実が解るかもしれない。
◆
「聖餐……か」
自分の声にはっとなり、目覚める。
まさかクラルが夢に出て来るとは。
俺って潜在意識でそんなに奴の事を気にしていたのか。
なんだか、複雑な気分だ。
いや、確かに奴のことは強烈に印象に残っているが。
ふと、窓の外を見る。
石畳の路地には、日の出前の静寂が澄み渡っていた。
夕べの喧騒が嘘のようだ。
もう一眠りできるな……。
って……何考えてるんだ!
今日が決闘ショーの本番だというじゃないか。
……あれ、そういえばシレオは?
あの無口な青年が座っていた部屋の片隅を見る。
居ない……。
居ないだと?どういうわけだ……。
混乱した。
昨夜小便にまでついてきたあいつが、無防備にも俺を放置して出かけるなんて。
待てよ。
つまり今、俺は自由ってことじゃないか。
急に希望が湧いてきて、眠気が吹き飛んだ。
ベッドから飛び起き、身支度をする。
首輪はどうやっても外れない……。
おそらくバルジかシレオが鍵を持っているのだろう。
やむをえず、鎖を腰に巻いて、なんとか歩行の邪魔にならないようにする。
そっと部屋を出て、階下の様子を見る。
宿屋の主人が、カウンターに頬杖をついたまま、鼾をかいていた。
逸る気持ちを抑えながら、静かに階段を下り、宿を出る。
辺りを見回し、人の気配が無いことを確かめる。
なるべく目立たない裏路地を目指して、駆け出す。
この迷路のような街から一体どうやって脱出しよう。
ぐるぐる廻っているうちに先程までの希望はすっかり消え、心細くなってきた。
こういう時に、記憶喪失という身の上は、どうしようもなく不安な気分を煽る。
そんな自分に嫌気がさし、頭を振った。
……しっかりしろ。
より人気の無さそうな通りを選んで、闇雲に歩く。
大分宿からは離れたはずだ。
あとは奴らに見つからずに、なんとかグラエタリアを抜けるだけでいい。
夢中で歩く。
と、幾つめかの角を曲がった時……
「痛ッ……!」
不覚にも、何者かと正面衝突してしまった。
その相手の胸板は硬く、かなり派手にぶつかったにも関わらず、びくともしなかった。
「…………」
「シレオ……」
なんでこいつがこんなところに……。
我ながら浅薄な計画だったが、早々と頓挫してしまったことに、虚しさを覚える。
シレオは相変わらず無表情だ。
俺を糾弾するでもなく、ただ黙ってジッとこちらを見つめていた。
「……何か言えよ」
返事があるわけなかった。
どういうわけか、シレオは俺の鎖を取るような事すらしなかった。
それどころか、こちらに背を向けて歩き出した。
「おい、逃げるぞ」
例の鋭い瞳がちらとこちらを見る。
それだけで抵抗は無意味だと悟った。
別に拘束していなくても、一対一なら、どうという事もないのだろう。
馬鹿にされているみたいで、腹立たしかった。
「……待てよ」
甲冑に覆われた背中を追う。
振り返ろうとすらしない。どこまで行くつもりだ?
「なあ。逃げないから、この鎖、外してくれないか?」
やはり、反応は無い。
「お前って、一応喋れるんだよな……。俺の言ってること通じてるか?」
沈黙が何と無く居た堪れなく、話しかけてはみたが、一向に会話のキャッチボールは成立しそうにない。
「なあ、シレオ……。俺にも目的があるんだ……。
知ってるだろ?俺は調停者ってやつらしい……」
シレオは黙々と歩き続ける。獣のように、音もなく。
「聖餐……ってわかるか?
どうやら俺は、世界を救うために生贄を選ばなければいけないらしい。妙な話だろ」
角を曲がり、表通りに出る。いつの間にか、日が登って明るくなっていた。
「おまえ、聖餐がどこに居るか、知ってるか?
……って言っても解らないだろうが……。何でもいい、手掛かりが……あれば……」
何言ってるんだ俺は。
全く、相手が無反応だと、言わなくてもいいような事まで言ってしまう……。
むしゃくしゃして頭を掻く。
と、またも目の前の男とぶつかった。
「……おまえな!」
シレオが見ていたのは、一軒の荒屋だ。
ここはグラエタリアのスラムか。
街の下方に位置しているためか、一際壁が高く、空が随分遠くに感じる。
壁は所々切り崩され、その隙間を縫うようにして、家が作られていた。
どれも不恰好に斜めに歪んでいて、横穴に扉を取り付けただけの酷いものだった。
奇妙な家並に目を奪われていると、ちょうど正面の荒屋から、何者かが飛び出した。
まだ十かそこらの少年だった。
と、やにわにシレオが少年に向かって走っていき、掴みかかると、彼を地面に引き倒してしまう。
「シレオ!?何やってるんだッ」
シレオは少年の身体を乱暴にまさぐっている。
いかにも悪ガキといった感じの少年は、じたばたど暴れるが、敵うはずがなかった。
「痛いよ!離せ!」
少年は悶えながら叫ぶ。
シレオは一体どういうつもりだ。
大の大人が、子供を暴行してるようにしか見えない。
「いい加減にしろ!」
少年から引っぺがそうと、シレオの背中にしがみ付く。
腕を腹に回そうとするや否や、肘鉄が飛んできた。
危うく吹っ飛ばされそうになりながらも、なんとか両手首を捕らえ、抑え込む。
その隙に少年が這い出てて来きた。
「なんなんだよ!」
生意気そうな吊り目が、俺たちを警戒するように睨む。
細い足は微かに震えている。
両手で何かを庇うように握りしめているのに気づく。
細い鎖が、小さな指の隙間からこぼれていた。
シレオが飛び起き、少年の指を抉じ開けると、中身を奪いとってしまう。
「返せ!」
今度は少年が、シレオの高く上げた右手に飛びつこうと、何度もその場で跳ねた。
「シレオ、どういうつもりだ?」
シレオは頑として手の中の物を離そうとしない。
が、少年も負けじと、シレオの腕にぶら下がって、じたばたと暴れる。
なんだかんだでシレオは、少年を傷つけないようにと、気遣っているようでもある。
……彼にも何か事情があるのは間違いない。
やがて少年の体力がつきたのか、二人の取っ組み合いに終止符が打たれた。
「……なんなんだよ、おまえ!」
ぜいぜいと息を切らしながら少年はシレオを睨みつけた。
「…………」
シレオはというと、手の中の物を両手で胸に抱え込み、俯いていた。
何故、それに執着する?
この子供は何者だ?
「……君、名前は?」
「あんたこそ誰だよおっさん」
「おっさん!?」
俺は自分では若者のつもりだったのだが……。
無精髭のせいで、老けてみえるのだろうか。
いや、十かそこらの子供から見たら、二十代でも十分おっさんなのだろう。
「……そうだな。名前を聞く時は自分から名乗らないとな。俺はカーツっていうんだ」
「……レグルス」
「レグルス。立派な名前じゃないか」
「…………」
レグルスは照れ臭そうに口をもごもごさせていた。
「で、おっさん、あいつ何?」
「……何って言われても。あいつはちょっと不器用な奴で……。
名前はシレオって言うんだけどさ……」
シレオは俺たちから少し離れた場所で、手の中の物をじっと見つめていた。
その時、微かに差し込んだ朝日に照らされ、きらりと輝く石のようなものが見えた。
宝石……だろうか。
「……畜生」
レグルスはその様子を恨めしそうに見ていた。
「あれは一体、何なんだ?」
どうしてああも必死に奪い合っていたのだ。
そもそも誰の物なのか。本当にこの少年の持ち物なのか。
それにしては、随分高価そうに見える……。
シレオは何のために、あれを欲しがったのだろう。