2-3 酒宴
翌日。目覚めると早速体の具合を確かめる。
昨日よりは大分良い。
だがまだ本調子では無さそうだ。
ベッドから降り、伸びをする。
隣の部屋からごうごうと鼾が聞こえる。
そういえば昨夜は随分騒がしくしていたな。
この世界の経済は困窮しているようだが、彼らのような無法者どもにとっては生きやすい世の中なのかもしれない。
ここは酒も食物も十分に蓄えがある。
代わりに正直で勤勉な誰かがどこかで飢えているのだろうな……。
そう考えると急に抑えがたい怒りが湧いてきた。
バルジやシレオにも……。
タリンドルは黒翼団にいることが本意ではないようだったし、彼女の力ではどうすることもできないのだろう。
それ故にこのまま見過ごしていいのかどうか、悩んだ。
シレオを置いては行けないとタリンドルは言っていた。
シレオは絶対に仲間を裏切らないと。
彼とバルジの間にある何か精神的な問題が理由だろう。
それを無理にタリンドルから聞き出そうとは思わない。
それに、シレオという意思の疎通すら困難な相手を説得するのは不可能に近い。
タリンドルのことは諦めて一人で逃げることを考えたほうが良い。
あと三日ないし二日。
シレオと敵対している限り、危険は免れないだろう。
良い方法はないか。
暫く部屋をうろうろしながら考えていたが、何も浮かばない。
溜息をついて、ベッドにどかりと腰を降ろす。
その時シレオが部屋にやってきた。
「何の用だ?」
「……来い」
着いて来いという意味なのか……。
シレオは俺の返事を聞く間も無く部屋を出てしまった。
「……くそッ」
じっとしていても仕方ない。
黙ってシレオに着いて行く。
石造りの廊下を只管歩く。
黒翼団は、古くなって打ち棄てられた砦を勝手に住処にしているみたいだ。
俺が捕らえられていた砦と間取りが似ている。
無造作に置いてある武器棚に目をやると円盾に見憶えのある紋章が描かれていた。
ここは帝国に近いのだろうか。
逃げ出せた所でどうやってクラル達の居場所を突き止めよう。
自分の計画が途方もないことに思えてならない。
暫く行くと、アーチ型にくり抜かれた出窓から僅かに日が差し込んでいた。
もう昼か。随分長い事寝てしまったようだ。
ふと、前を歩くシレオの背中に目をやる。
見事な逆三角のシルエット。
甲冑を纏っていても、その下に一切の無駄のない筋肉に覆われた肢体を想像できる。
上背はあるが、骨は華奢だ。
この身体からあの見事な戦いの動きが生まれるのか……。
無駄の無い彼の仕草は人より獣に近い。
動物達のように見えない自然のルールに従っているかのようだ。
階段をのぼり、砦の最上階に辿り着く。
そこには大きな部屋がひとつあるだけだった。
分厚いカーテンを押し分けて中に入る。
財宝が積まれ、見事な絨毯の敷き詰められた豪奢な広間だった。
……その奥にあの男がいた。
「……バルジ」
バルジは寝心地の良さそうなクッションが積まれた一角に寝そべっていた。
両手には奴隷と思しき亜人の美女を抱えて。
一人はバルジの胸板を細い指で撫で、もう一人は首筋に巻きつき、しなだれかかっている。
「よお、調停者。
カーツとか言ったな。調子はどうだ?」
俺は憎しみを込めて目の前の男を睨めつけた。
「おかげで絶好調だよ」
バルジは声をあげて笑うと、床の盆から盃を取り上げ、中身を飲み干す。
「お前達は行っていいぞ」
バルジにくっついていた美女二人は残念そうに何か文句を言っていたが、やがて並んで部屋を去っていった。
すれ違う時、俺の顔をちらりと見ていったが、無視する。
「シレオ、お前が酌をしろ」
シレオは当たり前のようにバルジの隣に座ると、葡萄酒の瓶をとって空いた盃に中身を注いだ。
「そこに座れ」
バルジは俺に顎で敷物を示す。
「俺と一杯付き合え」
冗談だろ。
敵意を持って剣を交えた相手と昨日の今日で酒が飲めるか。
「……断る」
「そう言うな。堅いことは抜きにして、パーッとやろうぜ」
とんだ悪党だ。
俺を使って殺しを愉しもうとしているのに、当の相手によくこんな態度がとれる。
それとも何か裏があるのか?
そうでなければ、本当にふざけているか、ただの阿保だ。
俺は無言で抵抗を示す。
そんな俺の目を、バルジはじっと見据えた。
男の目は淀んでいて底が見えないが、得体の知れない気迫を秘めていた。
傍のシレオもその動物的な瞳で俺を見る。
昼の日射しで糸のように細くなった虹彩。
まるで返答次第では斬ると言っているかのようだった。
二人の視線に気圧された俺は、用意された席に大人しく座る。
盃を手に取るとシレオがそこに葡萄酒を注いだ。
「抑止力に」
そういってバルジは盃を掲げる。
俺は渋々酒に口をつける。
うまい……。
悔しいが一気に飲み干してしまった。こうなったらやけくそだ。
シレオがすかさず次の一杯を注ぐ。
……妙な気分だ。
まさかこいつに酌をされるなんて。
「そう慌てるな。酔い潰れてしまっては肴がなくなる」
「一体どういうつもりだ」
「俺に聞きたいことがあるんじゃないかと思ってな」
図星だった。
俺はもう開き直ってこの奇妙な宴を利用してやることにした。
「俺の仲間はどうした?生きているのか?」
「心配するな。気を失ってはいたが、天使様が面倒みてくれるさ」
何故そこで天使が出てくる?
この男が神話を信じているようには思えない。
そうだとしても何かおかしい……。
「……腑に落ちないって顔してるな」
「だって……なんであんたが……」
「あのクラルとかいう小僧、聖餐なんだろ?」
「!?何故それを……」
「俺が知っているかって?
そいつは言えねぇ。愉しみが減るからな。
だが、聖餐に選ばれたってなら天使様がそうやすやすと見捨てることは無いと思わないか?」
そういわれてみればそうなのだが……。
「……わかった、この件はそれでいい。本当にあの二人を殺してはいないんだな?」
「オフイスに誓ってな」
どうも釈然としないが、これ以上追求しても無駄だろう。
「……なら、もう一つ。
俺を奴隷デスマッチとやらに出すとかいう話だが……本当なのか」
「そうだ」
「俺に選択権は無いんだろうな」
「ああ。わかっているじゃないか」
あまりに理不尽な扱いに、手に持ってる酒を目の前の男にひっかけてやりたくなった。
拳を握り締めることでなんとか堪える。
「そうカッカするな。
楽しめよ、カーツ。お前なら簡単にチャンピオンになれるぜ?」
「抑止力を使えというんだな。断る。あんたはこの力を甘く見ている。
一度解放したら、俺自身ですらどうすることもできないんだぞ。
あんたの命だって保証できん。シレオがいたとしてもな」
別にこの男が死のうが構わない。
だが、あの姿になるのは二度とごめんだ。
前回あれに快楽を見出したことに自己嫌悪すら感じる。
「その件だが、俺には一つ策があるんだ。とっておきのな」
「なんだと……」
何を戯けたことを。そんなことが可能であるわけが……。
いや、待てよ、じゃあなんで俺は今元の姿に……?
眼帯をどうやって元に戻した?
「思い出したか?どうやって抑止力が収まっているか」
「……わからない。教えてくれ」
「そいつも言えねえ。とっておきなんだ。
これこそが俺が手に入れた本当のお宝さ。
調停者を手にいれるだけじゃ不十分だった」
はぐらかすような言い方に苛立ちを覚える。
だがこういう手合いに理屈は通じないだろう。
「まあとにかく、その点は安心しろ。俺が全部うまくやってやる。
もちろん金は山分けだ」
金目当てか。
俺にとっては何の価値も無い代物だ。
苛々してもう酒どころではなかったが、この二人相手に抵抗しても無駄だった。
ちびちびと飲み続ける。
やがて不本意にも次第に酒が回ってきてふわふわといい気持ちになってきた。
◆
「ははは、シレオ、お前やるな。俺はもう飲めねえ」
相変わらずシレオは一言も喋らない。が、いつものことなのだろう。
そんなシレオ相手にバルジは次々に酒を飲ませて遊んでいた。
空になった瓶が山と積まれている。
一体いくつあるんだろう……。
十本はあるぞ……。
見ているこっちまで目が回りそうだ。
「おいカーツ、お前こいつと飲み比べで勝負しろ」
「…………は?」
俺が怪訝な目でバルジを睨むと不敵な笑みを返される。
「カーツ……さてはお前もう限界か?」
カチンときた。ここで譲っては男の沽券に関わる。
しかし、敵を前にして酔い潰れて無防備な姿を見せるわけにもいかない。
「確かに勝負はお断りだ。こんな軽くて不味いやつじゃな。
俺はお遊びは好きじゃないんでね。真剣勝負でなけりゃな」
大人気無いことを言ってしまった。
だがシレオが既に飲んだ量を考えればあまり強い酒はもう入らないだろう。
そうと信じて向こうが引いてくれることを祈る。
頼む……!
「なるほど。じゃあ、アレを持って来させよう。おい!」
バルジの声に応じて、先ほど下がった二人の美女が部屋に入ってきた。
変わった形の瓶を手にしている。
大きな実をくり抜いて作ったような不思議な入れ物の中で透明な液体が揺れていた。
「レドヘルムの特産品でな、蜜を蒸留して作るそうだ。
帝国人はシャトラ・アラクと呼んでる。シレオの大好物だ」
なん……だと?
放心している俺の手に、亜人の美女が盃を持たせ、透明な酒を注ぐ。
俺は馬鹿だ……大馬鹿だ……。
杯が満たされると、いかにも度が強そうな匂いが漂ってくる。
……勇気を出してちびりと舐めてみる。
「……ぐッ」
辛いッ!
なんだこれは……酒?……いや、飲み物か!?
シレオはといえば、長い耳をぴんと立てて嬉しそうに(と言っても表情に変化は無いのだが)盃の中身を飲み干した。
「……もうどうにでもなれ」
俺も一気に飲み干す。
そこで意識が途絶えた。
◆
目が覚める。
真っ先に視界に入ったのは、鉄格子。既視感を覚える。
そう俺は、再び牢獄にいたのだ。
胴体は腕ごと荒縄で縛られている。
やっちまった。
興奮で浮ついていたさっきまでの自分を呪いたい。
酔っていたとはいえ……なんて浅はかだったんだ。
後悔に居た堪れなくなり、冷たい床に額を打ち付けた。
ぐわんと響いた。
……二日酔いだ。
いや、気温の低さから言って今は夜だろう。
まだ日付は変わってないはずだ。
時間はある。しかし、どうやってここから抜け出す?
この場所が奴らのアジトの地下であることはほぼ間違いない。
どこかに見張りがいるはずだ。
並みのごろつきだったら素手でも負けない自信はあるが……。
まずは縄抜けだ。
そんな技術を自分が持ってるとは思えないが、やってみなければわからない。
俺はもぞもぞと腕を動かす。
……びくともしなかった。
背中と手首の間に硬い結び目があり、腕と胴が一体化してしまったように動かない。
やけになり芋虫のようにのたうち回る。
ひとしきり悪あがきをしてみたがどうにもならなかった。
頬を床につけ、呆然と鉄格子を見つめる。
……またここか。
ただ、惨めだった。
しばらくして、誰かが牢獄にきたようだった。
扉の開く音、閉まる音。
ひたひたと音もなく近づいてくる。
この獣のような歩き方は……。
「……シレオか」
シレオは相変わらず無言で俺を見下ろしていた。
「何の用だ?」
俺を笑いにきたのか。
いや、そんな器用な真似、この男にはできなかったっけ。
シレオは憎めないやつだ。
まさしくこの男のせいで俺は今こうして惨めな目に遭っているのだが、漠然と、そう思った。
彼自身は何も語らない。
故に、善でも悪でもない。
ただ相対した者を映す、鏡なのだ。
バルジという悪党に与してはいるが……それだって何か理由があるはずだ。
……今はまだ心を許すわけにはいかないが。
「……戦え」
シレオは低い声で微かに呟く。
「俺と、あの姿で」
あの姿……。抑止力のことだろう。
彼は、あの渓谷での戦いの後、例のもう一つの姿を見たのだ。
しかし、戦え……とは。
一瞬悩んだが、奴隷デスマッチの話をしているんだと思い当たる。
俺とシレオの対戦を、バルジは目論んでいるというのか。
「バルジはそのつもりなのか?」
その問いに、答えが返ってくることは無かった。
無言のまま、暫し俺の顔を見つめると、気が済んだのか、シレオは牢獄から去っていった。
俺は彼を殺すのか……。
抑止力を使えば、そうなるのは火を見るより明らかだった。
此の手で、シレオを殺す。
その想念は、手の込んだ細工物を自ら壊す時のような苦々しさを喚起させた。
あの姿になった自分を思い浮かべる。
白い爪でシレオの肉を裂き、野生の無表情が苦悶に変わるのを見るのは、どんな気分だろう。
そこにはまさに感情があるに違いない。
それに気づいた瞬間、強烈に心が躍るのを感じた。
しかし甘美な妄想は眠りとともにその意味を失った。