2-2 レドヘルムの七日間
奴隷デスマッチか……。
クラルと一緒にいる時に、自分はどうやら戦いの経験があるらしいということを知った。
なんとかなるだろうか……。
いや。やっと調停者であることを妥協して受け入れ、クラルの目的に協力すると決めたんだ。
バルジの思い通りにさせてたまるか。
しかし、シレオの戦斧の前には何も為す術が無い……抑止力を除いて。
奴の戦いのセンスはずば抜けている。
俺もあのクラルを唸らせる程度には腕に自信はある。が、シレオにはとてもじゃないが敵わないだろう。
では、奴はどうして、ああもバルジに大人しく従っている?
バルジもかなりの剣の使い手であることはわかる。
だがシレオの戦斧の前には奴が敵うとも思えない。
シレオがバルジのような、享楽を求める柄には見えないし……。
二人には何か共通の目的でもあるのだろうか。
「シレオは何故バルジの奴隷に甘んじている?
奴ならバルジのような悪党に従っていなくても生きていけるだろ」
「……あたしの口からは言えない。シレオの内面に関わることだから」
奴にそんなものがあるのか……。
戦い方に一切の迷いを見せず、言葉を交わしても表情が浮かぶことはなく、
感情が希薄というより、まるで人形みたいなあの男に……どんな内面が?
「あたしとシレオはシャトラ族なんだ」
シャトラ族……クラルがちらと話していた。
帝国に滅ぼされた亜人種……。
尖った耳と縦長の虹彩を持った戦闘民族か。
外見上の多少の差異はあれど、クラル達アルビオン人と同じ人間に見えるが……。
「あたしは混血だけど、あいつは純血でさ……」
「純血のシャトラ族ってのはみんなああなのか?
その……奴のように……なんというか……」
タリンドルを傷つけないように言葉を探したが、うまく言えなかった。
俺がシレオに抱いた印象をそのまま口にするのは、あまりにも不躾な気がした。
「ううん。あいつだけだよ。あたしの家族や村の仲間にあんなのはいない。
アルビオンやガレンティアの奴らなんかより、ずっと陽気で明るい良い人達だった……。
それなのに……」
タリンドルはそこで唇を噛んだ。帝国はシャトラ族にどんな仕打ちを?
彼女にそれを聞こうとは思わなかった。だがタリンドルはそのまま続けた。
「あたしは『レドヘルムの七日間』のあと、
家族と引き離されて、奴隷としてガレンティアのあちこちの屋敷で働いたんだ。
で、いろいろあって、今は黒翼団に落ち着いてる」
「レドヘルムの七日間?」
「知らないの?」
知らないも何も……。いや、彼女に俺の身の上を話しても無駄だ。
それより、この世界のことを少しでも知りたい。
「ああ。できるなら教えてくれないか、シャトラ族とガレンティアのことや、
お前たちのことを。不本意だが、数日はここに厄介になるみたいだからな。
俺みたいな妙な男相手でも話せる範囲のことで構わない」
「いいよ。あたしも友達にはいろいろ話したいもん」
「友達……」
「いやだった?ごめん」
「そんなことはないさ」
友達か。記憶を失って初めて俺をそう呼んでくれる人間が現れた。
トリスティスはまだしも、クラルとは友達になれる前に別れてしまった。
あいつと腹を割って話せなかったのは残念だ。決して底の浅い男には思えなかった。
いや、もちろん何としてもここから脱出して、クラル達とは再び合流するつもりではあるが。
それでも俺を『友達』と呼んでくれる相手がいることは頼もしい。
タリンドルは優しい娘だ。
他に俺が知っている唯一の女性、トリスティスとは正反対だが、
タリンドルもまた魅力的だ。
「俺にはまだ友達と呼べる相手があまりいないんだ。
だからタリンドルが友達になってくれると嬉しいよ」
「良かった!あたしも、ここの男どもはいけ好かない奴ばかりだったからさ。で、何の話だっけ?」
やはり、この娘は妙にずれてるというか。でもそこが可愛らしい。
おかげで肩の力を抜いて話ができる。
「レドヘルムの七日間についてだ」
「そうだったね。レドヘルムっていうのは、あたし達シャトラ族の故郷のことで。
といっても、帝国が勝手につけた名前なんだけど……。
シャトラ族の土地はあたしが生まれる前にとっくに帝国に支配されてたから……」
植民地……だろうか。帝国は巨大な国家だということは聞いている。
具体的にどんな体制を持った国かはまだわからないが、タリンドルの口ぶりからして、
シャトラ族たちにとって望ましくない支配者であっただろうことが伺える。
「だからシャトラ族も、帝国と同じオフイス教徒だったの。あたしの居た村の人たちも。
だけど、いくつかの村はずっと昔からのシャトラ族の信仰を守ってて、帝国によく思われてなかった」
悲しい話だ。異なる文化を持つ民族の共存は困難だ。
流血を避ける為には同化しかない。
タリンドルの部族もその道を選んだのだろう。
それを批判することはできない。
「……シレオの村も精霊を信じてた……精霊はいっぱいいるの、
エル、ユビク、ウンブラ、キバ……他にももっといっぱい。
シレオの部族は戦を司る精霊キバを祀ってた。だからキバ族って呼ばれてた」
多神教や精霊信仰は一神教から忌み嫌われる。
オフイス信仰が一神教であれば、帝国がシャトラ族の精霊信仰を排斥しようとしたのも頷ける。
「キバ族はじめ、他の精霊を祀る部族に、帝国はいろいろちょっかい出してたけど、
彼らはすごく強くて……なかなか帝国に屈しなかった。
いつか大きい戦が起きるだろうって大人達は言ってた。
でもそれよりも、シャトラ族同士でどんどん仲が悪くなっていって……。
精霊を信じる人たちと、オフイスを信じる人たちの間で何度も小競り合いが起きたの。
でも戦争って呼べるほどではなくて。その度に仲直りして、なんとかやってた。
だけど、帝国が……みんながもっと仲が悪くなるようにいろいろ吹き込んで、
それである日……」
「じゃあ、レドヘルムの七日間っていうのは……」
「シャトラ族同士の間で起こった事件。本当に酷くて……。
それがきっかけで、オフイス派と精霊派の戦が始まったの。
ごめん、やっぱこれ以上無理かも……」
明るいタリンドルが目に見えて表情を暗くした。
第三者の俺が聞いても気分の悪くなる話だ。
何も知らなかったとはいえ、ここまで言わせた彼女に申し訳ない。
「もういいよ、すまなかった。……辛い思いをしたんだな」
俺の言葉を聞くや、タリンドルは気丈にもさっきまでの明るい表情を取り戻した。
強い女だ……。それとも、過酷な経験をして強くならざるをえなかったのか……。
「気にしないで。レドヘルムの七日間は、あたし達シャトラ族のことを話すには避けて通れないんだもん。
やっぱり思い出しちゃって、ちょっとね。
でもあたしなんか大したことないよ……直接そこにいたわけじゃないから。
だけど、シレオは……あいつの村は一番酷かったんだって」
「そうだったのか……」
だからシレオはああなのか……。それとも元々ああいう性格なのか。
彼がどんな目にあったのかは想像もできない。
しかし彼にどんな過去があったとしても、それが免罪符になるわけじゃない。
クラルやトリスティスの安否が確認できるまでは、シレオは俺にとっては敵以外の何者でもない。
知りたいことは山ほどあるが、
タリンドルにこれ以上レドヘルムの七日間については話して欲しくない。
彼女自身のために。
「カーツ、あのさ」
「なんだ?」
「シレオを嫌いになんないでやって」
好きか嫌いか、まだそれを決めるほど奴のことを知ってるわけじゃないが、
俺がやっと見つけたか細い希望を奴が奪った事実は疑いようがない。
奴との衝突は避けられ無い。タリンドルには悪いが、その要求を受け入れるわけにはいかなかった。
「タリンドル、悪いが……それはまだ決められない」
「そっか……そうだよね」
彼女はさっきよりさらに暗い表情をしてみせた。
シレオと彼女はどんな関係なんだろう。
気が置けない間柄であることはなんとなくわかる。
恋人……ではなさそうだ。
彼女にこんな表情をさせるつもりはなかったのだが……。
そこで俺は、ある提案を思いついた。
「…………タリンドル、俺は四日後を迎える前にここを出る気でいる。
一緒に行かないか?君と……シレオも」
シレオだって自由が欲しいはずだ。もしこの提案を受け入れ、俺に協力するというのであれば、
奴とだって少しずつ和解していけばいい。
「あたしは行きたい。……でもシレオは絶対についてこないよ。
だからやっぱり、あたしも行けない。シレオを置いてくわけにはいかないもん」
「そうか、残念だ」
彼女とシレオの関係について突っ込むのはまだ早い気がした。
この件については諦めよう。彼女は俺を好意的に思ってくれているようだし、
ここから脱出することを邪魔しようとはしないだろう。
ただ一つ気がかりなのは……。
「君は俺を見張るように言われてるのか?
俺がいなくなったら君の命も危ないんじゃないのか」
「あたしにそんなに力がないことはバルジもよく知ってるよ。
調停者が回復するまで面倒みろって言われてきただけ。
ねえ、本当にここから逃げようと思ってるの?
そんなのシレオがいる限り無理だよ」
「そうかもしれない。まあ何か方法を考えるよ」
しばらくしてタリンドルは食事を運んできてくれた。
それからいくつか他愛ない話をして、俺は休むことにした。
タリンドルは自分の寝室に帰って行った。