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ダークスカーツ  作者: roy
第一部  頭
10/34

1-9   赤子

ノエの家の前まで来ると、ちょうどクラルが中から出てくるところだった。


「カーツ、無事だったか」


「トリスティスは村人を送ってから戻るよ」


「ところで、こちらのお客はどこから連れて来たのかな?」


「え?」


振り向いた瞬間、心臓が止まるかと思った。

川で倒した筈の魔物がすぐ目の前にいたのだ。

俺が固まっていると、魔物は俺の肩を掴み、顔の上半分が失くなった頭を近づけてきた。

喉の奥、空洞になった内部までよく見える。

襞が振動を始める。


終わった。


目をぎゅっと瞑り、絶叫に脳天が割れるのを覚悟する。


おかしい……。何も起こらない……。


かと思えば、肩を掴んでいた魔物の腕が力を失い、ぼとりと地面に落ちた。


薄っすらと目をあける。

魔物の巨体がばらばらと崩れて行くところだった。

切り刻まれ、解体された魔物の部品が無残に眼前に転がっている。

その先で、クラルが剣を鞘に収めていた。


「わるい、助かった」


「まあ……こんなことだろうと思っていた。

君には経験が、トリスティスには注意力が欠けているからな」


ばらばらになった魔物はしゅーという音をたて、煙と共に空気に溶けていった。


「霧に還元されただけだ。

時が経てば、またもとの形質を取り戻し、裂け目を越えてくる」


魔物が消えていく一連の様子を見届けてから、クラルと共にノエの家に上がる。


家具は最低限のものしかない。

豆やソースが入っていたであろう空の入れ物が散乱し、カーテンは敗れていた。

ベッドには草臥れて薄っぺらくなった毛布が一枚置いてあるだけだ。


こんなところで人が暮らせるのだろうか。

痛ましい有様だった。

ミルノスの人々はみんな同じような暮らしをしているのだろう。


俺とクラルは、ノエを正面に、テーブルを囲んだ。

ノエは落ちついた様子で、でも何処か暗い表情をして、年季の入ったテーブルの染みを見つめていた。

クラルが静かに彼に話しかける。


「ノエ、話す気になりましたか?」


「……はい」


「トリスティスはまだ時間がかかりそうか?」


「ああ、村人が腰を抜かしてうまく歩けないようだったから、

まだ少しかかるんじゃないかな」


「……なるほど。ノエ、できるだけ手短に」


どうしてそんな事を聞くんだ?

彼女が居ると何か都合が悪いのだろうか。

胸の辺りがもやもやとしたが、ノエの話を聞くことに集中する。


「半年前、俺は妻を亡くしました。

彼女は……ピナは、明るくて、優しくて、素晴らしい女性だった。

皆は鼻ぺちゃでそばかすだらけの彼女をよくからかってたけど、

俺にとっては最高の嫁さんだった。

確かにそんなに美人じゃないし、背も小さかったけど……」


そこまで言うとノエは再び泣き出しそうに、顔を引きつらせた。

クラルは焦ったそうにそれを見ていた。


「彼女が亡くなったのはお産で……ですね?」


「……!」


それを聞いたノエはわっと泣き出してしまった。

クラルは何故それがわかったんだろう……。


「バンシーと呼ばれる魔物は各地で頻繁に見られます。

お産で亡くなる女性が後を絶たないためです。

奥様のことは残念です。

お悔やみ申し上げます……」


クラルは何度も同じような場面に遭遇しているのだろうか。

こんな悲劇が、世界の各地では当たり前のように存在しているのだろうか。

泣き止まないノエの肩にクラルがそっと手を置いた。


「裂け目を閉じる方法を教えましょう。

それは、あなたの悲しみが癒えることです。

あなたが奥様の事で悲嘆にくれているうちは、魔物は何度でも村を襲います」


そこでまた、ノエは勢いをまして泣き出した。


「俺のせいだって言うのか?

こんな辛い目にあって悲しんではいけないのか!

あんたは鬼だ!

あんたなんかに助けを求めた俺が馬鹿だったよ!

出ていけ!

騎士であるあんたに俺たち農民の気持ちなんか、わかりっこないんだ」


ノエは怒りの任せてクラルの手を払い除けると、立ち上がってドアを勢い良く開け放した。


「さあ、さっさと出て行け!

二度とミルノスの村に来るな!」


流石のクラルも、辛そうな顔をしていた。

が、冷静に、落ちついた言葉で言った。


「昨夜も誰か亡くなったと言いましたね、その方ももしや……」


「そうだよ!子を産んで死んだ!

もういいだろ!

これ以上俺を苦しめないでくれ……」


ノエは頭を抱えて、蹲ってしまった。

俺が何か言っても、もう取りつく島も無かった。

止むを得ず、俺とクラルはノエの家を後にした。


居た堪れない気持ちだった。

裂け目を塞ぐ方法については、なんとなく、納得できる。

それが真実かどうかはまだわからないけれど。

それにしてもクラルのあの態度……。

……もっとましな言い方は無かったのか?


「あれじゃあんまりだ……。

誰だってノエのような経験をすれば、悲しみのどん底に突き落とされる。

それが罪だとでもいうのか?

彼のせいで魔物が襲ってくるだなんて」


「事実だ。

それに、いつまでも悲嘆にくれて、苛まれ続けることが、彼にとって良いことだと言えるか?」


確かにノエは苦しんでいる。

でもそれは、彼の責任では無い。

不運を呪いたくなるのも、仕方がないではないか。


「悲しい時は悲しむべきだ。

人間には、それも大切なことだ」


悲しみには、そういう深さがある。

俺にはそう感じられた。

ノエの悲しみを理解することは、俺にもクラルにも不可能だ。


「悲しみはそんな高尚な感情ではない」


クラルのその言葉は、俺の考えを見抜いたかのようだった。


「……そうかもしれない。

だがノエに起きたことは、一生かかっても癒えるような悲しみではない」


「それこそが霧の驚異だと言うのだ。

強靭な意志を持ってしか、裂け目を閉じる方法は無い」


……やはりクラルは、どこか心に冷えた部分がある。

そんな意志の力を並みの人間が持ち合わせているわけがない。

当のクラルだって、ノエのような目に遭えば、絶望するに違いないのだ。


……そしてクラルはこう続けた。


まるで自分自身に言い聞かせるように。


「確かに居るんだ……黒い霧に打ち勝つ者は……。

人にはその力が確かにある。

あのノエだってそうだ。

人はいつか悲しみを乗り越える。

私はそれを信じる」


それを聞いて、俺はまたもクラルを誤解していたと気づく。

彼はあまりにも情熱的すぎて、冷淡に見えてしまうのだ。

その要求が、本人にも、他人にも、厳しすぎるために。

そう。俺はそれを認めながらも、受け入れられないでいる。

俺はまだ本当の絶望や悲しみに直面していない。

人を殺めたという事実は確かに俺を苦しめる。

だが、過去を知りたいという欲求が今はそれに優っている。

本当の絶望や悲しみは、自分の人生を取り戻した後にやってくるのではないだろうか。

漠然とそう考えていた。

俺が考え込んでいると、急に調子を取り戻したかのように、クラルが言った。


「さて、あれを始末しなければ」


「あれってなんだ?」


「さっき、ノエが言っただろう。

昨夜もお産があったと」


俺はクラルに従い村を探索し始めた。

その亡くなった女性の家を探せというのだ。

どうしようもなく気乗りのしない仕事だったが、クラルはミルノスの為には何としても見つけ出さないといけないと言って譲らなかった。

そういえば、彼女はどうしているだろう。


「トリスティスは……」


「あの娘はどうにでもなる。

そう心配するな」


まあ確かに、ちょっとやそっとでへこたれるような女ではないことは十分理解した。

だが俺たちを探し回っていたとしたら気の毒じゃないか。


「あのな、クラル……」


「静かに!」


その時、村の外れの家から、ずた袋をもった老婆が出て来て、林の方に向かって行った。

老婆は脚が悪いようで、大きな尻を揺らしながらゆっくりと歩いていた。

袋の中身は重たい果物かなにかが入っているのか、妙にごつごつしていた。

……そしてそれが一瞬動いたように見えた。


「あれだ。あの老婆を追うぞ」


クラルがそう言うので、仕方無く老婆を尾行する。

ゆっくりと進んでいくと、やがて林の奥の開けた場所に辿りついた。

老婆は木の根元に被せてある不自然な石を退かすと、鍋蓋のような木板を持ち上げた。


「待ちなさい」


クラルが鋭く言うと、老婆はぎょっとして小さな叫び声をあげた。


「誰だい?あんたたちは」


「アルビオンの騎士です。

ご安心ください。

……あなたが手にもっているそれ、どうするつもりだったんですか?」


「な、何でもないよ、ただゴミを捨てようとしてただけさね」


「こんなところに、ですか」


老婆は急に顔をくしゃくしゃにしてクラルに食ってかかった。


「あんたたちお貴族様はどうしてあたしらを放っておいてくれないんだい!

そっとしといておくれよ。

これが何なのか知ってるんだったら何も聞かずに何処かへ行っておくれよ」


次第に老婆は懇願するようになってきてクラルにしがみついた。

クラルは老婆の背を優しく撫でてやった。


「ええ。

私はこれが何か知っています。

そして正しく葬ってやれます」


「他人事だと思って!

年寄りを馬鹿にしないでおくれ。

あたしらが間違っているというのかい?」


「はい。間違っています。

こんな場所に埋めただけでは、あなたがたの身にも危険が及びます」


老婆はクラルを突っぱねた。


「あんたたちの知ったこっちゃないよ!

絶対にこれは渡さないよ、中身を見ちゃ嫌だよ」


老婆は袋を抱えてさめざめと泣き始めた。

また袋が少し動いた気がした。


「あたしの可愛い孫娘が産んだ子なんだよ……あの子は死んじまった。

まだ年端も行かないのに。

馬鹿な娘だよ。

だけど、どうしてあたしにあの子らを止めることができたね……。

死んじまって……ああ……可哀想に!」


「お気持ちはわかります。

私にとって、これは他人事ではないのです」


クラルはそこで一回呼吸を落ちつけて、こう続けた。


「私の子もその子と同じように産まれました」


なんだって?

クラルに子供が?

俺は驚いてクラルの顔を見た。

老婆も目を見開いて、クラルをじっと見つめていた。


「以来、赤子を正しく葬ることが私達騎士の仕事の一つになりました。

どうか、その子を渡してほしい。

騎士の誇りにかけて、弔いをさせてもらいます」


老婆は泣き崩れた。

クラルが老婆に近づき、そっと袋を受け取る。


「一人で帰れますね?」


老婆は声にならないようで首を何度も縦に振っていた。


「……裂け目に向かいましょう」





俺とクラルは、先刻バンシーと戦った川辺まで来ていた。

既に辺りは暗くなりはじめていた。


「クラル……お前……」


「後で全て説明する。

だから今は何も聞かないでくれ」


クラルは袋に手を突っ込むと中身を取り出し、なんと地面に放り投げた。


「見なさい。

これがイシスで産まれる赤子の姿だ」


俺は息を呑んだ。

先ほど戦ったバンシーなどと比較にならない、もっとおぞましい何かが、そこには在った。

平たい胴体に、四つの脚が横向きに生えている。

一見すると蜘蛛のようだが、脚の先には微かに人の名残りがあり、五本の指の痕跡がある。

……顔はどこにも見当たらなかった。

真ん中からもう一本脚が突き出しており、不自然に揺れて居る。

よく見るとこれは腕だった。

全身真っ黒く、ごつごつした皺に覆われており、体液らしきものに濡れて光沢を帯びている。


と、俺がその物体に目を奪われている間に、出し抜けにクラルが胴体の真ん中を剣で突き刺してしまった。

何度も何度も刺して、次はばらばらに切り刻む。

俺は固唾を呑んでその光景に見入った。


赤子と呼ばれた物体は、無数の黒い細切れとなった。

各々は地面の上で不気味に蠢いていた。


やがて各部位は、互いに引き寄せられるようにして近づいて行き、少しずつ、元の形に戻りつつあった。


数秒もすると、ばらばらになった赤子は、切り刻まれる前の完全な姿を取り戻した。


「切り刻んでも、火で焼いても、絶対に死ぬ事はない」


クラルは再びそれを剣で突き刺すと、高く掲げ上げた。

重力に引っ張られ、四つの脚と一本の腕が激しく蠢いた。

俺は吐き気を感じ、思わず口を覆った

クラルは串刺しにしたままの赤子を勢い良く振り回すと、裂け目に向かって放り投げた。

赤子と呼ばれた物体は奈落に吸い込まれていった。


「こうするのが一番いい」


俺は言葉もなく、暫くクラルと共に裂け目を見つめ続けていた。


「子供が生まれなくなったと君に話したね」


「ああ」


「正しくは生まれなくなったのではない。

生まれてくる子は、皆ああなったのだ」


それからミルノスの村に帰るまで、俺は何も言えなかった。

あの異形の赤子の姿が脳裏にこびり付いて、頭の中でいつまでも蠢いていた。


「今見たもの聞いたものについてだが、トリスティスには何も言わないでくれ」


「……わかった」


理由は聞けなかった。

クラルの過去についても。





「クラル殿!」


「トリスティス、すまない。私達が居なくなって焦っただろう」


ノエの家の近くまで戻ると、トリスティスが駆け寄ってきた。


「いえ、私も丁度今戻ってきたところです。

村人を家まで送ったら、大変な歓迎を受けて、夕食まで頂いてしまいました。

いえ、もちろん、食糧が足りないことは分かってますので、お気持ちだけ頂いてきました。

感謝されるのは素晴らしいことですね」


トリスティスの喜びを分かち合いたいところだったが、

先ほど目にした光景を思い出すと、とてもそんな気分にはなれなかった。

笑おうとしたけれど、不恰好な苦笑いになってしまった気がする。


「何か、あったんですか?」


異常を勘付かれてしまっただろうか。


「いや。

ただ……私達はノエの気分を害してしまったようで、彼の家をお暇することになったんだ。

それで、村を少し探索していたところなんだよ」


あんなことがあった後なのに、クラルは平然として、何事もなかったかのように振舞っていた。


「そうだったのですか」


トリスティスはいつもどおりのクラルの様子にすっかり安心していた。


「せっかく屋根の下で眠れると思ったのにな。

すまない、トリスティス。

ミルノスを出て、また野営を張ろう」


「はい!」


そして俺達はミルノスを後にしたのだった。

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