Episode-7 悩める美少女・佳織
「おはよう、純一くん」
翌日、佳織は昨日と同じように、教室に入ってきた俺に笑顔を見せてくる。
そしてまた同じように、『妬み』の視線が俺に突き刺さる。
「……おはよう」
昨日と変わった事と言えば、俺の佳織に対する態度だ。
昨日の放課後、何故か昇降口の前で突っ立っていた佳織に話しかけられ、何かを俺に言おうとした……。
しかし、その何かを告げる前に佳織は帰ってしまった。
その事が俺の頭に引っかかっていて、どうも目を合わせる事が出来ない。
「……?」
目を合わせて喋ろうとしない俺を不思議に思ったのか、佳織は首を傾げた。
そして、何の躊躇もなく「昨日はごめんね、急に帰っちゃったりして」と話始める。
「いや、気にしてない」
「そう……」
それ以降、佳織が俺に話しかけるということは無かった。
俺も、それ以上何を話していいのか分からなくなっていた。
昨日あれだけ俺に話しかけてきた佳織が、こうも黙り込んでしまっていると不自然だ。意心地が悪い。
違和感を覚えつつ、俺は一時限目の用意を始めた。
そして迎えた昼休み。
俺は鞄から弁当を取り出し、自分の机の上に広げる。
「純、一、く~ん」
「…………」
早速食べ始めようと箸を手に取るが、その手をニヤリと口角を上げて不気味な笑みを浮かべる竹良に掴まれる。
「一緒に、ご飯食べようよ」
……大体の要件は分かっている。
昨日、俺が竹良から逃げた事を追及するつもりなのだろう。
「……嫌だ、と言ったら?」
俺は返ってくる返事を分かっていながらも、そう竹良に聞いてみた。
「もちろん、強制だよ。嫌とは言わせない」
「はいはい。そうですか」
竹良の事を忘れていたわけではないが、うまくやり過ごせたらいいなと俺は考えていた。もちろん、こうなることは予想してたんだが……。
「じゃ、僕は飲み物買ってくるから。絶対に逃げたりするなよ」
「…………」
俺のことを何が何でも逃したくないのか、竹良は釘をさしてから教室を出て行った。
横目で、隣に座る佳織の方を見ると、昨日は他の女子と一緒に屋上で昼食を食べに行っていたが、今日は何故か一人で食べている。
手元を見ても、あまり食欲はないみたいで殆ど弁当に手をつけていない。
やはり、昨日のことが原因か。
内心俺は悪く思った。あの時、もっと早く雫先輩に押し付けられた雑務を終わらしていれば、佳織に会うことはなかっただろうし、こんな気まずい空気にならずに済んだ。
あの時佳織が俺に何を言おうとしたかは分からない。
しかし、あれだけ喋りが好きそうな佳織が今では無言だ、化石だ。
余程、言いづらい事だったに違いない。
「……あの、さ。」
気づけば俺は、佳織に話しかけていた。
佳織は無言のまま、そのキラキラと輝く目をこっちに振り向かせた。
「よかったら、一緒に食べないか?」
「……え?」
佳織は驚いた表情をみせた。
その驚いた顔に、俺も、自分が言った事に対する驚きを隠せないでいた。
「どうせ一人なんだろ。俺も、今は一人だから」
「う、うん。別にいいよ」
「じゃあ、教室だと『アイツ』が厄介になるし、中庭にでも行こうか」
「うん……」
普段はこんな誘いをしない筈の俺だが、佳織に対する謝罪や、昨日のように元通りになって欲しいがため意を決して……いや、正直な所何も考えずただ本能でそう言った。
自覚があるほど俺は面倒な事が嫌いだ。だが、これ以上の面倒に巻き込まれるくらいなら、その問題を根本から排除する。そして、面倒を起こさせないようにする。
口下手な俺にとって、年頃の女子と二人っきりというのは苦行だが、仕方ない。
俺は佳織を先導するかのよう、自分から席を立ち中庭へ向かった。
それに追いつくようにして佳織は後を着いてきた。
「んん~~っ! 空気が新鮮だね!」
「そうだな。」
中庭に着くと、既にいくつかの生徒が場所をとって楽しそうに食事している。
「あ、あそこなら陽も当たって気持ちいいかも」
佳織はさっきとは違った爽やかな笑顔で中庭の一角を指差す。
「じゃあ、あそこに座るか」
「うん!」
とても喜んだ表情で小走りに走っていく佳織は、昨日の事など絵空事のように感じられるほど呑気に見えた。
「……ありがとね、純一くん。私を誘ってくれて」
「ん、別に」
「気を遣ってくれたんだよね」
「…………」
その問いかけには、俺は黙ったままでいた。
俺が気を遣ったか、遣っていないか、なんて言わずとも分かってしまうからだ。
俺は無言のまま、一回閉じた弁当の蓋を再度開け、黙々と食べ始めた。
「私ね、あの時……怖かったの」
「……何が?」
佳織は弁当をつまみながら、慎重にかつゆったりと話始めた。
「純一くんに、『あの事』を言っちゃったら私の事避けるかと思ってね」
「避ける? 何で俺が……」
「私、本当はこんなに人と上手く話せないの」
突然のその告白に、俺は手を止めずには居られなかった。
「……どうして?」
少しだけ声が上ずったかもしれない。
「小さい頃から、ずっと……一人だったの。学校でも、家でも」
先ほどまでの爽やかな笑顔は失せ、佳織は至って真剣な表情を浮かべながら話す。
「私、何故かみんなから嫌われてて……気づいたら、一人だった。両親も、私が幼い頃からよく家に帰ってこないことが多くて、夜御飯は一人で食べたりしてたの。」
「……両親が?」
「うん、お母さんもお父さんも。でね、この前、お父さんの仕事場が変わったって言われてここに引っ越してきたの、前の学校は全然話す人がいなくて困ってたんだけど……ここの学校に来てから、私、よく話すようになった」
「……それって」
俺は固唾を飲み込んで、次の言葉を待った。
「そう。純一くんのおかげ。私、純一くんに救われてるの」
そう言って、佳織は微かに微笑んだ。
その笑顔の裏にはきっと、とてつもない辛い思いをした過去があるのだろう。
突然転校してきた美少女に、そんな過去があったなんて誰が想像できたことか。
ただ俺は、第一印象からこいつは『よく喋る美少女』とばかり決めつけていた。それが、幼い頃から一人で過ごし、日常ではまともに会話することがなかったなんて、にわかに──いや、誰も信じないだろう。
普通、こんなに整った顔と温厚な性格を持ち合わせていれば、嫌でも人が寄ってくる。
それなのに、なぜ、佳織の周りには誰も寄ろうとしなかったのか。
「救ったつもりはないんだけどな……」
まさかそんな過去があっただなんて、知る由もなかった上に想像もつかなかった。
ただ俺は、こいつと普通に接しているだけだと思っていた。
「ううん。救われたの。だから今もこうして、純一くんと話せているの」
「…………」
「私、この学校……あのクラスに入った時、どうせまた一人なんだろうなって思ってた。だけど、私が自己紹介をして、その時に純一くんだけが拍手してくれて私思ったの。『もしかしたら、この人なら私を変えてくれるんじゃないか』って」
そうだ、あの時、俺は拍手をした。
辺りはまるで抜け殻のように何の反応も見せなかったが、俺は拍手した。
普通、誰かが自己紹介したら……転校生が来たなら、拍手で迎え入れてあげるだろう。俺は当然の事をしたつもりだったが、佳織には、そんな風に捉えられていたらしい。
「よく、それだけで決めつけたな」
「女の勘って、そんなモンだよ」
「……俺が今みたいに、お前と一緒に昼食をとっていなかったら、お前今頃どうなってたんだろうな」
「多分、教室で一人で食べてるよ」
「昨日一緒だったやつらは?」
その問いに佳織は顔を曇らせる。
「上手く話せなかったの、緊張しちゃって」
「……だから今日は一緒じゃないのか。」
「うん……」
佳織も、なかなか面倒な性格の持ち主だ。
俺となら上手く話せるのに、それ以外の人となるとまったく話せない。
となると、必然的に、俺とばかり話してしまう。だから昨日、あれだけ俺に話しかけてきたんだろう。
「何ていうか、お前、面倒な奴だな」
「……やっぱり、そう思うよね。純一くんだけにしか話せないし、今だって純一くんに悩みを話しちゃってるし……」
本当に迷惑な話だ。
俺は第一に、面倒な事は絶対に起こしたくないし起こされたくない。
たとえ面倒が起こったとしても、できれば深くは関わりたくない。
それくらい俺は、面倒な事が嫌いなんだ。
なのに、佳織は俺に面倒を押し付けている。俺を無理やりにでも、面倒に付き合わせようとしている。
もとはと言えば、昼食に誘った俺が悪いのだが……。
その元をたどれば、昨日、佳織と出会ってしまったことが原因になる。
本当は、俺も佳織も悪くない。誰も悪くないんだ。
「……今更考えてても、遅いよ。俺とお前はもう『悩み』を共有してしまったし、それを解決しない限り俺に頼ることはなくならないと思う。」
面倒は嫌いだ。
だが、面倒から逃げて、それ以上の面倒が襲ってくるというのなら俺は仕方なくその面倒を受け入れる。
「だから、俺はお前に頼られてやる。だからお前も、早く解決出来るよう努力してくれ。自分が変われるように」
「……ホントに? 本当に私、頼ってもいいの?」
「いいって。竹良に比べたらお前の方がまだマシなんだしさ」
「……ありがと、ね。純一くん」
そのか細い声は少しふるえていた。
そしてまた俺と佳織は、残っている弁当に手をつけはじめた。
「…………」
これでよかったのか。
……少し後悔しているような気もするが、やっぱり、これでよかった。
これでまた、佳織が笑顔になるなら、それ以上に俺が望むものはないからだ。
そして、昼休み終了のチャイムが鳴り、俺と佳織は至って『普通』に、教室へと戻って行った。