Episode-18 幼心と今
──昔から、あたしは同じだった。
いつも、あの人の背中を追いかけては、たくさん遊んでたくさん泣いていた。
それは幼心。あたしが、純粋に人を好きになった昔の事。
年月が経つにつれ、あたしとあの人の関係は遠くなっていった。
今じゃ、背中を追うどころか、あの人から逃げようとばかりしている。
これは幼心の延長だと、あたしは思う。
昔から一緒に居て、いつも側にいて遊んでくれたあの人に対する、『好き』という感情をあたしは今、持っている。
……思い返してみれば、あたしは昔からあの人の事が好きだった。
ただ、今と幼いころのあたしとでは、置かれている状況が違う。
純粋無垢に。ひたむきに。幼いころのあたしは想っていた。
「(こんな気持ち初めてだし……)」
高鳴る胸の鼓動。
目を瞑れば、すぐにあの人の顔が思い浮かぶ。
昔、一緒に遊んだあの時のことも。
「……ふう……」
こうしてあの人の事を考えると、自然と顔が熱くなる。
……こんなにも騒がしい食堂の一角に居ても、あたしの気が紛れることはない。
だって、あたしは、今もこうしてあの人のことを待っているから。
今朝、里桜ちゃんが言ってた「今日のお昼、あの人と一緒に食べない?」という言葉に、あたしはすべての望みをかけていた。
「(謝ろう……! そして、ちゃんと想いを伝えよう……!!)」
不思議と、そんな勇気が湧いてくる。
あたしは固く拳を握って、里桜ちゃんとあの人が来るのを待ち望んだ。
──今日も騒がしい食堂の一角、周りに溶け込まない派手な色の髪をした茜が、ちょこんと一人で座っていた。
「あっ、あそこに居ますね」
その派手な色で気づいたのか、里桜ちゃんは茜を見つけるとすぐそっちの方まで走って行ってしまった。
「元気なやつだな」
それに着いていくようにして俺も茜の元へと向かった。
……第一声は何て言おう。いや、向こうから話しかけてくるのを待つべきなのか?
そんな葛藤が、俺の頭の中でぐるぐると回っている。
「あ……純、くん」
「……よう。」
俯かせていた顔を上げ、俺の目をじっと見つめる茜。
この前のことがなければ、まともに目を合わせれただろうけど、今はどうにも目をそらしてしまう。
「さ、純一先輩、座ってください」
気まずさのあまり棒立ちになっていた俺を、里桜ちゃんは急かすように茜の向かいの席に座らせた。
いざ正面に向かってみると、想像していたよりも気まずく感じる。
今にも逃げてしまいたい気持ちを抑え込んで、次の言葉を待った。
「……あ、そういえば純一先輩は何食べたいですか? 私が取ってくるので好きなものをおっしゃってください」
「あ、うん。じゃあ、カツ丼で」
「分かりました! 茜ちゃんはどうする?」
「……オムライスでいいよ」
茜は少し考える素振りをしてから、今にも消え入りそうな小さい声で言った。
それを聞いた里桜ちゃんは、「分かった、すぐ取ってくるね」とだけ言って、券売機に向かっていった。
……気を利かせたつもり、なのだろうか?
わざわざ俺と茜だけをテーブルに残すようにして、里桜ちゃんは行ってしまったが、これは明らかにわざとだろう。
一体どんな良心が働いたら、そんな気回しが出来るのか。謎だな。
「(どうするんだよ……この状況……)」
無言。沈黙。
周りの騒がしさに耳をやられながら、俺は、ただ無言でテーブルにこべりついたシミの数を数え始めていた。
しかしそのシミ観測会も、すぐ終わりを告げることになる。
「──ごめんね。純くん」
震えた声をあげる茜に、全く身構えていなかった俺は、少々驚いてしまった。
「……あ、ああ。別にいいけど……」
俺も、震えた声を極力大きくして言った。
「──いや。よくない……!」
それに反論するように、茜が声を張り上げる。
「よくない。って、別にそこまで気にする事でもないだろう?」
「気にするもんっ……」
まるで駄々を捏ねる子供のように、茜は言い返してくる。
……そうだ。昔は、こんなやりとりを何度もしてたんだな。
幼いころ、俺が茜と一緒に遊んでいた時のこと、俺が茜に何かいたずらをすると決まって、母さんに泣きついては俺がいたずらしたことを一場面一場面細かく言って、何かしら俺に仕返ししようとしていた。
そんなことがあった。
茜はあの時、『昔と今、どう違っているか』を聞いてきたが、端から分かるはずが無かった。
だって、こいつは、昔と今で何一つ変わったりしていない。
幼いころの茜は、とにかく我がままで、女の子のくせして妙に気が強かった。
だが、少し俺がいたずらをしたりすると、すぐ泣き出して母親の元にすがりに行く。
そういうやつだった。今も、変わらず。
「……茜。」
俺は、今にも泣き出しそうな茜の目をじっと見つめて、出来るだけ触発しないように気をつけた口調で言った。
「なに……?」
「お前、覚えてるか? 昔さ、俺とお前で遊んでた時のこと。」
俺は記憶の断片をかき集めるように、過去を思い出していた。
「当たり前でしょっ……」
「そうか。そうだよな。だってお前、昔からそういうやつだったし、今だって……何も変わってない」
俺がした悪さを、いちいち覚えていた事もあった。
それだけこいつは、昔の思い出を大切にするやつだったんだ。
「──でも、な。それでいいんじゃないか? そのままの茜で」
「…………」
茜は、俺の言葉を、一字一句聞き逃すまいと黙って耳を澄ませているようだった。
「お前が何で怒ったのか、なんて俺には分からない、そしてお前があの時聞いてきた事の応えをどんな風に望んでいたのかも、俺にはさっぱり分からない」
俺の周りには分からない事がいっぱいある。
この先、どんな日常が待っているのかも、どんな人と出会うのかも。
分からないことだらけだ。
「だが、こんな俺でも、確かに一つ確証を持てることはある。」
分からない事だらけの日常が来ると分かっていても、俺はそれから逃げも隠れもしない。むしろ、かかってこい、だ。
そうやって根を張って踏ん張っていないと、こんなヒョロヒョロな体じゃすぐ面倒に打ち倒される。だから茜には──
「──お前には、太陽みたいに明るい心がある。その心さえ守っていれば、未来永劫どんな変化にも負けないと思うぞ。」
「……純くん……」
茜は、俺の言葉を全部聞き入れてくれたみたいでウンウンと何度も頷いている。
「(これで、よかったのか)」
何か後ろ髪を引かれる思いが、胸の内に秘められている。
だが今は、そんな厄介なものに気を配っている余裕などない。
なんとか、目の前で今にも泣き出しそうな茜を止めなくては、また周りからの視線が痛くなって……
「ってあれ? そういえば、茜、あの時怒ったのって確か『せい……」
「──うわぁぁっ!! そ、それ以上は! 絶対! 言わないでください!」
突然、後ろから頭をトレイのような物で殴られ、俺の言葉は途中で遮られる結果となった。
「り、里桜ちゃん! どうしたの!」
茜が驚き、立ち上がって俺の後方──トレイを持って鬼のような表情を浮かべている里桜ちゃんの元に駆け寄った。
「あっ、い、いやいや! なんでもないよ? ですよね、純一先輩?」
「……ああ。多分、そんな気がする……」
俺は朦朧とする意識の中、今日のお昼前、里桜ちゃんが言っていた言葉を思い返していた。
『昨日のアレ、絶対に茜ちゃんには言わないでくださいね』
……迂闊だった。
まさかアレについて話そうとすると、急に後頭部を殴られるなんて思いもしていなかった訳だが……。
「(まあ、解決したっぽいし……いい、か……)」
茜から謝る、という形にはなってしまったが、これも何かの節目……
俺が茜を救ったことになるなら、今日のところはこれで満足だ。
……まあ、後頭部の痛みはこの後もしばらく続きそうだが……。
未だジンジンと痛む頭を両手で抱えるようにしながら俺は、後ろの方で話し合っている二人の女の子に苦笑いをする一方で、少し安堵するのであった。