Episode-15 大役
「茜ちゃん!」
「……里桜、ちゃん……」
女子トイレの洗面台の前に、目を赤くした茜ちゃんが立っていた。
「茜ちゃん、そんなに泣かないで……」
私の友達である茜ちゃんに、起きたこと。それは、女の子にとってとても心が痛むことだった。
だからこそ、私には今の茜ちゃんの気持ちが分かる。
「うん……」
いつも快活で、太陽のように明るい性格をしている茜ちゃんでも、そんな事の後だと、どうも弱々しく見えてしまう。
「…………」
私はしばらく、茜ちゃんが落ち着くまで、隣にいてあげよう。
それが今、私に出来る唯一の手助けだと思うから。
しだいに茜ちゃんは、鼻をすすっていたのをやめ、落ち着きを取り戻していた。
「あのね、里桜ちゃん」
まだ少しふるえている声で、茜ちゃんは私に話しかけてきた。
泣いた後で純血した目をしながら。
「うん、大丈夫、ゆっくりでいいから」
「……うん。あたし、やっぱりね、あの人の事好きなんだよ」
茜ちゃんはきっぱりと、しかし照れるようにそう言った。
『あの人の事が好き』
茜ちゃんは今、恋をしてるんだね。
「そうなんだ。それじゃあ尚更、頑張らないとね!」
──私はあくまで友達として、茜ちゃんから相談を受けていた。
『あの人の事が気になる』『話したい』『一緒に居たい』
茜ちゃんはいつも、そんな事を私に言っていた。
その言葉を聞いて私が「好きなんじゃない?」って聞き返すと、決まって、「そうなのかなあ」なんて曖昧な返事ばかりした。
しかし今となっては、もう言葉を濁すこともしない。
ただ純粋に「あの人の事が好き」と言えるようになった。
……それに気づかされた形は最悪だったけれど、それでも、こんな状況でも私は茜ちゃんを応援したいと思える。
それが友達として、出来る事だと思ったから。
「──でも、あたし、あんなヒドい事言っちゃったし……絶対怒ってるよ、純くん」
「そうかな。そんな直ぐ怒るような人には見えないけど」
「それもそうだよねぇ……」
お昼休み、茜ちゃんはあの人に対して、周りに人がいっぱい居たのにも関わらず大声で怒った。
怒られてたあの人はキョトンとしていて、不快な表情すら見せなかった。
「──あ、じゃあ、私があの人に話しかけてこようか?」
「……里桜ちゃんが?」
「うん。私が事情を説明すれば、きっと分かってくれると思うから」
「す、好きだって事は言わないでよ……?」
「もちろんっ。」
茜ちゃんがあの人に直接会うのは、ちょっと難しいだろうから、私が代理になってあの人が怒ってるかどうか確かめにいく。
よし、私ながら、良い作戦かもしれない!
「そ、それじゃあ、お願いしようかな。でも、いつ行くの?」
茜ちゃんは、なんだか不安そうな顔をしていたけど、なんとか私に一任してくれるようだった。
「うーん、二年生の教室に入るのは恥ずかしいから、放課後に校門の所で待ち伏せとか?」
「あっ、あたしはどうしたら……」
「茜ちゃんは先に帰ってて、ここは大船に乗ったつもりで私に任せ……」
「──あれ、そういえば里桜ちゃん、純くんと話せるの?」
ギクッ
一気に不安そうな表情をする茜ちゃん。
「だ、大丈夫! ダイジョウブ!」
そんな茜ちゃんを丸く収めるように私は必死に、大丈夫、大丈夫、とだけ繰り返し言った。
「……なら、大丈夫だよね。里桜ちゃん、嘘はつかないし」
「う、うん!」
……必死に茜ちゃんを説得し、なんとかその場はやり過ごした。
だけど、茜ちゃんが言っていた事。それは真っ赤な嘘だった。
「(私、あの人とまともに話したことないのに……)」
私は、初対面の人や普段あまり話さない人とのコミュニケーションは、全くといっていいほど自信がない。
それでも私は、この学校に入って初めてできた友達のために、嘘をしのんで助けてあげたかった。だから、結果、あんな嘘をついてしまった。
こみ上げてくる焦燥感を、作り笑顔でなんとかごまかしながら、その日の放課後がくるのを待った。
──俺は、相当悩んでいた。
午後の授業はまったく頭に入らないし、隣で会話しているあいつの声さえも、耳に入ってこないくらい俺は悩んでいた。
「(……どうして、あんなに怒ったんだろうか)」
事の発端は、と聞かれたら、どう答えようかと半日考えるくらい難解なことだった。
それくらい、あの時の茜は怒っていた。
『どんな風に変わった?』
あの言葉が頭から離れない。
……結局、その日の午後はずっと呆けてしまって、気がつけば放課後が訪れていた。
「おーい、純一。一緒に帰ろうぜ」
「あ、ああ。竹良か。ちょっと待っててくれ、すぐ準備する」
「どうした? いつもなら『我先に!』って感じでパッパと帰る支度してたのに」
「あ、いや、別に……」
昼からずっとこんな調子だ。本当、面倒に会うとろくなことにならない。
俺の曖昧な返事に、竹良は首をかしげた。
そして俺が帰る支度を済ませ、いざ帰ろうと席を立つと、「そうか、まあいいや」とだけ言って先に教室を出て行った。
「(……これ以上面倒は増やしたくないな……)」
平穏、安寧、無事故を祈りつつ、騒がしい女子達の群れから逃げるようにして、教室を出た。