Episode-12 喉に突き刺さる魚の骨のよう 後
ほどなくして、学校に着いた。
俺は、途中で授業を抜け出したこともあって、教師陣からどんな罰が下るかビクビクしながら怯えている。
佳織はというと、やはりあの教室に入るのが嫌なのか、だんだん歩くスピードが遅くなっていた。心の準備、というやつだろう。
「お前は、先に職員室に行って幕野内と話してこい。俺は教室に行っておくから」
「分かった。」
佳織は力なく頷いた。
少し不安を拭えないでいるが、俺が立ち止まっていては、佳織もさぞかし不安に思うだろう。
俺は、小走りで教室へと向かった。
──俺が教室に入ると、一斉にクラス中の視線が浴びせられた。
「お、戻ってきたか。」
「あれ? なんで幕野内先生がここに?」
教壇に立っていたのは、このクラスの担任、幕野内だった。
「何言ってるんだ。今は俺の授業だ」
ああ、そうか。
そういえば次の時間割は、幕野内が担当だった。
「ってことは……」
「ん、どうした?」
ちょうどその時、俺の後ろのドアが開かれた。
「し、失礼します」
当然そこには、気まずそうな顔をした佳織が立っていた。
おおかた、職員室に行ったけれど目的の幕野内が居らず、そのまま教室に来たのだろう。
「お、おお! 来たのか錦戸。みんな待ってたぞ」
そんな佳織を、幕野内は自慢の大声で迎え入れた。
「……はい」
それでも、佳織はまだ顔を俯かせている。そうだ、佳織が不安に思っているのは幕野内じゃなく、クラスなんだ。
クラス中の視線が集まるなか、佳織はなかなか自分の席へ歩き出そうとしない。
「(やっぱり失敗だったのか……?)」
いきなりここへ連れてくるのが、間違っていたのだろうか。
俺は、その場で立ち止まっている佳織と、ただ沈黙が流れるこの空気感に酷く不安を持った。
──が。
「もう風邪は大丈夫なの? 錦戸さん?」
「……え、えっ」
「あれ? まだ顔赤いんじゃないか?」
「ほんとだ、ホントに大丈夫?」
数名のクラスメートが、佳織の容体を心配し、声をかけてくれた。
その突然の出来事に、俺も、佳織も、頷き一つ出来やしなかった。
「──ほらお前ら静かにしろ。一応、今は俺の授業なんだから」
そして幕野内が、口々に佳織に声をかけはじめたのを微笑して止める。
強面なだけあって、やはり、クラスはすぐに静かになった。
しかしそこに一人、幕野内に怯みを見せない屈強な輩が居た。
「か、佳織さん! あっあの、あの時は……! あの時はホントにすみませんっしたぁ!」
半面、涙を浮かべる竹良は、わざわざ佳織の目の前まで行って土下座までして、そう謝った。
「あ、う、うん……! だい、じょうぶ」
俺は、佳織が嬉しいのか遠慮しているのか、はっきりしない物言いだったが、初めて俺以外の喋っているのを見た。
それを見て、安堵した。
「(なんとか、やっていけそうだな)」
俺は嬉しくなって、佳織に微笑みをかけていた。
それに応じるよう佳織も、あの時──俺と佳織が出会った時のように──同じ笑顔を返してくれた。
……それからというもの、佳織は休み時間も、授業中も、終始笑顔でクラスメートと他愛ない話をしていた。
授業中にいたっては、その都度先生に注意され、話していたクラスメートと一緒になって謝っているのだった。
俺はというと、そんな光景を目の当たりにして、夢でも見ているのかと思うくらい信じられないでいた。
もちろん、一番戸惑っているのは佳織なのかもしれない。
だが俺も、佳織と同じくらい戸惑っている。
それでいて、なんだか、とても嬉しく思っていた。
「──それじゃ、今日のHRはこれで終わりだ。みんな、錦戸のように風邪だけは引かないようにな。」
そしてあっと言う間に、放課後が訪れた。
「さて、と……」
「やっぱり、結構進んでるんだね。全然追いつけないよ、授業」
帰る支度を始めた俺に、明るい声で、佳織が話しかけてきた。
「まあいいじゃないか、お前、もともと頭いいだろうしすぐ追いつくだろ」
「え~、そうかな~……」
「──それに、今はそんな事どうでもいいくらい、嬉しいんじゃないか?」
「うん! そうなんだよね!」
そしてニコッと笑う佳織。
その笑顔には、今までの苦労や辛かった過去を全く連想させない『純粋』さがあった。
「一体、どうして、みんな急にお前に話しかけるようになったんだろうな」
「それは……多分、純一くんのおかげだよ」
「俺? でも、あの時のナントカ作戦だって、失敗してしまったし……唯一協力したと言えば、お前を迎えに行った事くらいだぞ?」
その俺の言葉に、佳織は落ち着いた表情で首をふった。
「今こうして、純一くんと私が喋っているから、みんなが話しかけてくれたんじゃないかな……いや、絶対、そうだと思う」
一直線に見つめる目、その目には少し涙が浮かんでいる。
その涙が、佳織のほんのり赤く染まった頬を伝って、下へ下へと滴る。
佳織が、俺の目の前で泣いて、悦んでいる。
ただそれだけの光景に、俺の目は見惚れ、口は息をすることを忘れる。
「そう、か。そうだったのか」
不意に、そして、ボロボロと、俺の目からは涙がこぼれて落ちていた。
なぜ泣いたのかは分からない。しかし、少なくとも、その時の俺は、その時の世界で──一番──悦んでいた。
「……お、おいどうしたんだよ純一、それに、佳織さんも! 二人してなんて顔で泣いてるんだ」
俺と佳織が泣いているのを見て、竹良はすかさず俺と佳織の間に割って入ってきた。
「ごめんね、竹良くん。ちょっと、目にゴミが入っちゃって……」
「すまんな竹良、あくびしたらつい」
「──いや純一、それはおかしい!」
そしてまた佳織は、あの時の笑顔で、心の底から笑っていた──。
俺も……のどに突き刺さった魚の骨のように面倒で、そしてその面倒を笑顔一つで取っ払ってしまうような、そんな佳織を見て、心の底から多いに笑った。