第四十九話−出迎え−
冷たい夜風が耳を横切り、真っ逆様に地面へと近づく。
僕は、一番下で落ちしまうのかと思ったが、案外すぐそばで着地した。 ころげるようにして、着地したあと、すぐに立ち上がった。
背後は、三階建てになっている。
どうやら、ここだけが二階建ての棟のようだ。
広さは、二メートル四方ほどで、何も無い。 ただ、真中に換気扇のようなものが、置かれているだけである。
周りはフェンスで囲まれ、それを越えたら、すぐ真下には植え込みが広がっていた。
僕は、飛び出した窓の方を振り返った。
ケビンたちが、窓の中から覗いている。
「そんなことをしたって、無駄だぞ! こっちのほうが早い」
僕は何かを言い返してやろうかと思ったが、すぐリトルに止められた。
「ぐずぐずしている暇はない。 今すぐ、下に降りよう」
僕は、彼に背中を押され、それと同時に駆け出した。
何処に向かっている? 僕は焦っていてその理由がよくわからない。
行く先は、フェンスでふさがれている。
リトルは、そのフェンスを飛び越えた。
僕は、その後からよじ登って、なんとかフェンスを越えた。
足元には、うっそうと生い茂った木々が、風に吹かれてざわめいている。
それとも挑発しているのか……。
「飛ぶぞ」
リトルは静かにそう言った。
「飛ぶの?!」
「ああ、飛ぶんだ。 早くしなければ、奴等に追いつかれてしまう」
いくら急いでいるからとて、こんな無茶な方法を踏んでは、怪我をしてしまう!
さっき飛んでいった、あのヘリコプターつかまることが出来れば……いや、それはできない。 飛ぶしかないのだ。 飛べないレンディは、ただのレンディだ。
リトルは運動神経が良さそうだが、僕は運動が苦手である。
だが、他に良い方法もない。 フェンスで囲まれている、ということは、この棟はフェンスを越えることなど想定していないつくりをしているのだ。
僕は渋々了解した。
「……わかったよ。 でも、何かあったら、絶対責任を取ってもらうんだからね!」
まさか、この一言が、あとで僕に振り返ってくるとは、思いもしなかった。
「ああ、取ってやるとも!」
すると、リトルは僕を抱えて、ひとおもいに(窓を飛び出したときと同じように)飛んだ!
真っさかさまに、木の枝を突っきり、木の葉の中におぼれる。
小枝がほほを引っかきながら、僕たちは枝に叩きつけられるようにして、木の中に留まった。
しばらくの間、痛くて声が出ない。 おかしなところを強く打った。
だが、リトルがクッションになってくれたおかげで大怪我は免れたようだ。
しびれて感覚の薄い足腰をさすりながら、僕はなんとか体制を整えようとした。
その瞬間、リトルが悲鳴をあげた。
「どうしたの?」
「構うな! さっさと行け」
「まさか、骨でも折ったんじゃ」
僕はそう思って、すぐに身体をどけた。
「の、ようだ……。 すまないが、ひとりで日記を探してきてくれないか? 私はあとから追いつく」
「わかったよ。 先に行く。 でもあとで戻るから!」
すると、リトルは力なくフンと笑って顔を引きつらせた。
「精々よくやれよ」
僕は、するりと木から降りたあと、鬼のように目を光らせて日記を探した。
草の陰や、木の根元などに目を走らす。
暗い夜道を昼間のときと、同じ感覚で歩くのが難しいように、それも難航を極めた。
……しかし、あった! 暗いところに黒い本なんて、色が同化してよくわからないだろう。
だが、それは確かに見つかった。
なぜなら、ページが開いていたから!
白っぽい物体だ。 すぐにわかる。
僕はのどから手が出る思いで、その本にかじりついた。
大丈夫。 本は、なんとか無事のようだ。
僕が中身を確かめていると、よろよとリトルが近づいてきた。
「日記は……大丈夫か?」
骨折した部分が痛むのか、顔を引きつらせながら、押し出すような声で問い掛ける。
「うん! 大丈夫みたい」
「それは……よかった。 早く行くぞ」
しかし、希望が見えた瞬間、ケビンたちがアパートの正門から、こちらに向かって、走ってきた!
どこまでも追いかけてくる奴らは、まるで悪魔のようである。
「クソ! 何処までも執念深い奴等だ!」
リトルが悪態をつくと、最後の力を振り絞って、彼は走り出した。
「お前も急げ! 日記を取り返すんじゃないのか?」
僕は時々よろけそうになるリトルを構いながら、出口を探して、走った。
セントラルアパートは、四角い建造物だ。 その周りを取り囲むようにして、僕の身長より一メートルほど高い塀が建てられている。 出入り口は、最初に入ってきた正門以外に見当たらない。
まず、僕がいるところから正面を十数メートルほど進んで、右側につきあたったところにある正門はボツだ。 ケビンたち七人の内、四人が待機している。
僕等は反対方向から、他の出口を探すしかない。 アパートの裏庭を通っていく通路だ。
僕は、反対側に逃げることにした。
しかし、それに気付いたのか、僕を追ってくるケビンたち三人の内一人が、正門の方へと向かっていった。
きっと正門で待機しているやつらに指示を出すつもりなんだ!
その指示の内容なんて、大体予想がつく。
僕は舌打ちをして、必死に出口をさがした。
どこもかしこも、塀で囲まれている。それ以外には植え込みしかない。 じめじめとして、暗い裏庭だ。
暗闇に隠れることもできるかもしれないと思ったが、すぐに見つかるだろう。
焦る気持ちだけが、今の僕に打ち勝とうとしている。
二つ目の角をまがる。 ここはおそらく、アパートの丁度真後ろの位置にあたるのだろう。
そこで、運は味方してくれた……!
「ねえ、あそこに非常用階段があるよ! あれを使って、屋上まで逃げられないかな……」
「そうだな。 ……だが、それは私の体力がもてば、の話だ」
僕は、あの非常階段を上って屋上に隠れられないか、考えた。 だが、ケビン達が追いつかなければ、の話しである。 もちろん、ケビンたちが追いつく前に上りきる自信は、あまりなかったし、リトルの言った先の発言が、それに拍車をかけた。
「じゃあどうすれば……」
そうこうしている間に、ケビンたちのわめき声が近づいてくる。
非常用階段に上がるまでが、問題だ。
それなら、今、上れる僕だけが、非常用階段を上って、何か手を打てないものだろうか……。
そもそも、ケビンたちは、僕が日記を持っているものだと思っているのだろう。 実際、僕が日記を手にしている。
そうか。 合えてそれを利用すればいいんだ!
僕はリトルに耳打ちした。
「おお、それは良い考えだな」
リトルは納得してくれた! 僕の言った意見を聞き入れてくれるなんて、今日はなんて幸福な日なんだろう! そして、リトルは「私の苦労が減ったな。 お前のやることが終わり次第、あとは私の出番だ」といった。
嫌なことが続いて重なった後には、必ずいいことが訪れるものだ!
僕は、リトルに日記をあずけて、ケビンたちの方へ向かっていった。 正門から出るつもりだ。
リトルには、時間を稼いでもらう。
途中で、ケビンたちに止められたが、僕は、日記を持っていないことを主張して、リトルの方へ注意を向けさせた。 だが、大丈夫。 彼は、日記を所持していないし、銃で身を守れる。
日記を渡すかわりにこの銃の引き金を引くぞ、とでも言って、脅してやればいいんだ。
そして、正門から出ると、すぐそばにリトルの車が止めてあった。 僕は、座席のところに絡まって落ちていたロープを取って、リトルのところへと戻った。
リトルは、予想したとおり、ケビンたちを相手に、時間を稼いでいた。 銃を片手に、両者とも身動きできない様子である。 当然のことながら、リトルの足はそろそろ限界に達したようだ。
「ケビン! 今回はきっと、僕の勝ちだ!」
僕はそう言いはなって、非常用階段を上り始めた。
ケビンたちは、一体僕が何をしようとしているのか、理解できないらしい。
ロープは服の中に隠してある。
まさか、このロープを使って……だなんて、あいつ等にはきっと思い付かないハズだ。
最後まで上り詰めた後で、僕は、リトルにメールを送った。
送信メール001
12/24(日)23:51
宛先:little-vegney@abchotmail.com
添付:×
件名:屋上についたよ!
――――――――――――――
---end---
――――――――――――――
すると、下の方で、銃声が響いた。 よし、上手くいっている!
計画どおりに言っているのなら、彼は、銃が偽者だと言う事を明かした上に、僕が日記を所持しているという嘘を彼等に教えたハズだ。
非常用階段の下の方を確認すると、大急ぎで彼等が上り詰めてきた。
あとは時間の問題だ!
とりあえず、リトルも屋上の上に引き上げることはできる。
三階の屋上には、二階の屋上と同じように、換気扇があった。
あれを利用するのだ!
僕は、片方のロープをリトルのいるところへと垂らした。
十メートルほど上したところで、わずかにロープはひっぱられた。 合図だ。
僕は、ロープの片方を左手で抑えながら、ポケットの中をまさぐった。
ポケットの中には、ジェシーのホテルで使った睡眠薬の残りが、箱に入って取っておいてある。
ぐちゃぐちゃに潰れていたが、なんとかつかえるだろう。
それをロープの先端に巻きつけ、換気扇の旋回しているプロペラの中に放りこんだ。
しかし、一度目は弾き返されてしまった。
やはり、あれだけの動力で旋回しているから、そう簡単には、プロペラの隙間に入り込めない。
僕は、もう一度、換気扇の中に睡眠薬の箱を投げ込んだ。
するとどうだろう! バリバリと睡眠薬の箱が弾かれる音が聞こえながら、どんどんロープがからんで、ロープの先につかまっていたリトルを引き上げていく。
途中でロープが切れてしまいやしないかと不安にもなったが、なんとか最後まで持ちこたえてくれた。
「さて、どうする?」
屋上に上がってきたと同時に、リトルは挑戦的な目つきを僕を見つめた。
はっとした。 僕は、ここまできて初めて、大きな失敗をしていることに気が付いた。
それは、
”ケビンたちを追い返せない”
と、言うことだ。
リトルの銃が偽者であるということは、既に彼等に知れているし、僕が日記を持っているということも、知っている。 それに、リトルは自分の大仕事ができるまでは、まだ時間がかかるらしいことを仄めかした。
どうすればいいのか。
「ごめん、もうこれ以上はいい考えが思い浮かばないよ」
僕がそう言った瞬間、リトルはニヤリと笑った。
「予想外に早かったな」
またヘリコプターの音が近づく。 不吉な予感だ。 彼は絶望しているのだろうか。
ヘリコプターはケビン側を応援しているようにしか思えない。
もう逃げ道が無いということを喜んでいるのか。
「レンディ、後ろを見たまえ」
僕は、振り返った。 強い風が僕等に吹き突ける。
そこあったのは、ケビンたちではなかった。
そして、まぶしい光が、屋上一帯を照らし出す。 規則的な風を切る音が聞こえた。
「へ、ヘリコプターが……いつの間に……」
凄い光景だ。上空からものすごい風を屋上に叩きつけながら、轟音とともにヘリコプターがやってくる。
「だから、お前の意見に賛成してやったのだ」
リトルは、このことを目的に、僕の意見を尊重したのだ。 最初からこうするつもりだったのだろうか……? リトルの予想外の手柄に僕は圧倒された。
「ヘリコプターは、もともと呼ぶつもりなどなかった。 彼等を倒して、車で逃げさればいいのだからな。 だが、もっと良い方法があった」
リトルは、ヘリコプターに向かって、大きく手を振った。
「もっと良い方法って、このことなの?」
「そうだ! 奴が窓を突き破ってくれたおかげで、私は、その窓に注意を寄せられた。 だから、知り合いのヘリコプターが飛んでいるところを捕らえられたのだ。 それに、お前のアイディアもある」
あのヘリコプターは知り合いのものらしい。
とは言っても、こんなに都合よく、助けに来てくれるものだろうか?
「奴を納得させるのは、困難だった。 お前を木から下ろして、先に行かせたときに、私が奴と連絡を取ったのだ。 何かの用事の最中であったらしいが……普段は非情な彼だが、今回は私が非常事態であるということを声から察知してくれたらしく、助け舟を出してくれた」
リトルがそう言い終わる頃には、ケビンたちの声が近づいてきていた。
もう、あと数十秒かで、屋上にたどり着いてしまうだろう。
焦る気持ちを抑えながら、僕はヘリコプターから救助が出されるのを待った。