第五夜
氷姫のデビュー舞踏会から数年の月日が過ぎました。
嘆き姫は十八歳、氷姫が十五歳になり、そろそろ縁談の話が周りから囁かれた頃のことです。
嘆き姫は、それはそれは見目麗しい女性に成長しておりました。
美しくうねる黒髪は何もしなくてもまるで椿油を塗り込んだようにつやつやと光り輝いておりましたし、翠にけぶる瞳には知性が見え隠れしておりました。傷一つ、シミ一つない白く抜けるような肌はさらに磨きがかかり、白魚のような指先に手入れが行きとどいた爪がつるつると輝いておりました。
そして憂い顔を隠すためか、その左手には必ず扇子を持ち歩いていました。
それとは正反対の容姿を持つ氷姫も、それはそれは美しく成長しておりました。
さらさらと流れおちる髪はまるで美しい銀糸を何本も束ねたように輝いていましたし、白磁の肌は健康的に光っていました。雨が上がったばかりの夏の空をおもわせる天色の瞳は澄み渡り、ぷっくりと肉厚に盛った唇は化粧をしなくてもそこだけいつも朱を差したようにばら色に染まっていました。
二人が一緒に歩いているときは目映いばかりに光輝き、周りにいる者すべて目を奪われたものでした。
けれどよくよく見てみると、嘆き姫の影のように氷姫はいつもいたのです。
無表情の氷姫が影のように寄り添っているために、より層嘆き姫の優しさが前面に押し出ていました。
そして人は嘆き姫を褒め称え、氷姫に噂するのです。
王様が言いました。
「姉姫よ。なぜ数ある縁談を全て断ってしまうのだ?」
心優しく機転もきき、そして美しい嘆き姫には縁談話が断っても断っても後を絶つことなくやってきました。けれども嘆き姫はその縁談の釣書も肖像画も見ようともしません。
なぜなら嘆き姫にはどうしても忘れられないことがあったからです。
それは嘆き姫のデビュー舞踏会の時の、あの出来事が忘れられないからでした。
隣国の王子、スハル。
その人が言った屈辱的な言葉が今も嘆き姫を嘆かせます。
『あなたはご自分に酔っているのですね。
何をしても『かわいそう』と言って涙を流せば、そばにいる者は『おやさしい』と答え続けたのでしょう。ですが私から見ればあなたは『かわいそう』と同情されて、褒められて、崇められる、そのことに酔っている愚かな姫としか映りません。そんな愚かな姫を将来我が国の女王になど到底できるものではありません。
今日この一日は本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。あなたの社交界デビューも素晴らしいものでした。
ただ、二度と私はあなたのもとには訪れますまい。
あなたは噂とは違う意味の『嘆き姫』なのですから』
「違う」、嘆き姫は思います。
わたくしは人よりも敏感に人の辛さがわかるだけ。わたくしは人の心を理解しようといつも努めている。わたくしはどこの誰より愛しみの心を持っている。わたくしは……、わたくしは……っ!
あの日以来、嘆き姫の心に安住の場所はありませんでした。
安寧を求めて城下にお忍びで遊びに行っては、噂話に耳を澄ませました。
するといつも二通りの話が飛び交うのです。
『何に対してもお優しく心を砕いてくださる嘆き姫』という噂と、『悦に浸りたいがために嘆き悲しむ嘆き姫』。
自分をほめたたえる言葉を聞くと心に大きな羽が生えたように軽くなっていきましたが、そうでない言葉を聞くたびにどうにかしなければと思い城に急ぎ帰ります。
そして自分が本当は素晴らしい心の持ち主なのかということをどうやって国民に知らせることができるのかと考えます。
スハル王子の言うような酷い姫ではないと思っていますが、果たして本当にそうなのか。
嘆き姫はあれ以来、自分を見出せなくなっていました。
気がつけば自分は結婚してどこかの国の王妃として一生を終えていいのだろうかと自問自答していることが多くなってしまい、どうしても縁談に踏み切ることができませんでした。
それに、あのスハル王子にこそ、自分の伴侶に願っていたのです。
姉姫が結婚をしないのに妹姫に縁談などもってのほかだということで、氷姫には十五歳という適齢期ながら縁談話が氷姫まで話が届かず、王様はいつも話をそらしていました。
氷姫は氷姫で自分の世間での評価が低いことなど重々承知しておりましたので、縁談が来なくても不思議とは思わず、このままこの国のこの場所に居続けるか、王女として人質の価値はありましたのでどこか強国の奥宮へと行くことになるかと思っておりました。そしてそれは時間の問題だろうとも思っていました。
そんなある時、姫の国に国力なしと見定めた隣国が攻め入ってきたのです。