第二夜
今回の話は、『嘆き姫』の第二夜から第三夜にかけての部分です。
嘆き姫をお読みの方は……ごめんなさい(爆)
舞踏会はそれはそれは華麗に執り行われました。
近隣の国々からは王族が招かれ、十四歳の貴族の子女が社交界デビューをお祝いするために色とりどりのドレスを纏い胸を高鳴らせました。
舞踏会が開かれる城の大広間では、デビューの参加者が一人ひとり名前を呼ばれ、緊張の面持ちで入って行きました。そして最後に王女である嘆き姫の名前が告げられると、歓声が上がり、拍手をもって迎えられました。
白い清楚なドレスを身にまとった嘆き姫の姿は、生まれたての女神のようにキラキラと輝いて清楚で可憐でした。
会場は大きくどよめきました。
あのうわさに聞く『嘆き姫』が心だけでなく姿も美しいとわかったのですから。
貴族たちが口々に嘆き姫を褒めた立ている中、一人の美しくたくましい王子が嘆き姫の前に立ち、ダンスを申し込みました。
「私は隣国の王子スハルと申します。よろしければ一曲お相手頂けますか?」
その言葉をきっかけに、音楽隊がこの日初めてのワルツを奏で始めました。
すると王子は嘆き姫に手を差し出してにっこりとほほ笑むと嘆き姫の手を取り、大広間の中央まで歩いていってワルツを踊り始めたのです。
清楚で可憐な嘆き姫と美しくもたくましい王子が一曲軽やかにステップを踏み終わると、会場に大きな拍手が鳴り響きました。
そしてそれから皆それぞれダンスを踊り始め、大広間に色とりどりのドレスの花が咲き乱れました。
気がつけばすでに舞踏会も終わりを迎えようとしていました。
それほど王子と過ごした時間は楽しく、早く過ぎ去ったようでした。
ひと組またひと組と王様に暇を告げる者たちが増え、残すところスハル王子と嘆き姫だけとなったときのことです。
嘆き姫は悲しむことを我慢していたのでしょう。いきなりほろほろと涙を流し始めたのです。
驚いた王子はもしかして自分が姫に失礼なことを言ったのではないかと思いましたが、姫は静かに首を横に振って言いました。
「今日デビューした娘の中に、私のために作られたドレスを身にまとっているものがいたのです。そのドレスを作った仕立て屋たちに申し訳ないことを……気の毒なことをしてしまったと思って……」
声をつまらせるように泣いている姫をまじまじと見つめて、王子は問いました。
「なぜ、仕立て屋たちが気の毒だと思うのだい?」
「なぜって……あのドレスは私のデビューのために作られたドレスなのです。けれど王がドレスの出来栄えを競わせるように仕立て屋たちに作らせたのでそのドレスの中から一着を選ばなければなりませんでした。とてもとても美しく素敵なドレスでしたので、私はその中から一着を選ぶということができません。仕立て屋たちはそう言った私にあのドレスを下さると申し出てくれたのですが今度はどのドレスを私が舞踏会に着るかもめごとが起こりましたので、王がこの白いドレスを選んで仕立て屋たちをさがらせたのです。
私は私のために丹精をこめて作ってくれた仕立て屋たちに申し訳なく思うのです。
そのドレスを今日デビューした者がきているなんて、仕立て屋にとれば屈辱でしょう。本当に気の毒なことをしてしまいました」
そう言ってまたほろほろと涙を流し始めました。
いつもならここでそばにいる者が「なんておかわいそうなお姫様。そんなことまでお考えになるなんて情が深くていらっしゃいますが、どうかお心をお痛めくださいますな」と優しく姫を慰めてくれます。
けれど今ここにいるのは今日初めて会ったばかりの隣国の王子でした。
スハル王子は不思議に思いました。
なぜかというと、嘆き姫の言っている意味がわからないからです。
ですから、ひとつ、疑問を嘆き姫に投げかけることにしました。
「姫はどういうときに心を痛めてしまわれるのでしょうか?」
すると姫は応えます。
「鳥に咥えられたみみずの痛みや、食べられてしまう不幸を思って心が痛むときがあります」
そしてその時のことを思いだし、さらに涙を流したのでした。
王子は姫にまわしていた手をそっと外し、一歩さがりました。
王子の温かみを失って、そして慰めの言葉もなかったことに姫は驚き顔をあげました。
この話をすると必ず誰もが「おかわいそうなお姫様」といってくれるのに、今日一日楽しく過ごした王子は何も言ってくれず、それどころか姫から腕を外してしまったのです。
今までこんな冷たい扱いを姫は受けたことがありませんでした。
「王子様?」
「姫。今まで誰もあなたの話を聞いて、問うた者はいませんでしたか?」
さっきまで姫を見下ろした熱い瞳とはうって変って、氷のような冷たい眼差しで嘆き姫を見る王子に、姫は心底驚きました。
「……どういう意味でしょうか」
王子の言葉の意味を理解できずに、そして急に変わった皇子の態度が不愉快で、姫はその美しい眉間に醜い皺を寄せました。
「私は今、この瞬間まで、あなたの情け深い心と素晴らしい声、心が現れたような美しい顔立ちに恋をしておいりました。そして将来は我が国へと嫁いでいただきたいと心の底から思っておりました――――――が、それはすべてまやかしであったようです」
嘆き姫は当惑しました。
なぜなら今までそんな言葉を掛けられたことがないからです。
―――――私は思慮深く情けも深い姫なのに
その考えが眉間に刻んだ皺をより深くして、美しい顔を醜悪へとかえました。
王子様はそんな姫の変わりようを平然と受け止めて、話を続けました。
「あなたは自分の考えが正しいと思われて、そしてそのことに対して相手を気の毒に思っているようですが『みみずがかわいそうと心が痛みます』ですか?ではもしそのかわいそうなみみずを鳥から奪ったらどうなります?必死で見つけただろう食料であるみみずを『かわいそう』などといって取りあげてしまってごらんなさい。今度は鳥がおなかをすかして飢え死にしてしまいますよ。
それに『仕立て屋が気の毒』ですか。たしかに王に選んでもらえなかったということは残念なことですが、ちゃんと他の貴族に売って利益をあげているではありませんか。もしあなたに献上すればその時はいいでしょうが、ふんだんに高価な布や宝石をちりばめたドレスにかかったお金や労力は無駄になるわけです。たしかに王とつながりが持て、あなたともつながりがもてるかもしれませんが、同じようなことをする仕立て屋がいるわけですから結局のところ意味がありません。そしてあなたが三着ある中からどれがいちばん長く着るかでまた醜い争いが起こるでしょう。王の判断は正しかったのです。
思慮深い王の元にお生まれになられた。けれどあなたは『情け深い』とはほど遠い姫だとわかりました」
姫は俯いて、その愛らしい桜色の唇を酷く噛み、わなわなと震えておりました。
けれど耳だけは王子の言葉を聴き逃すまいと澄ましておりました。
「あなたはご自分に酔っているのですね。
何をしても『かわいそう』と言って涙を流せば、そばにいる者は『おやさしい』と答え続けたのでしょう。ですが私から見ればあなたは『かわいそう』と同情されて、褒められて、崇められる、そのことに酔っている愚かな姫としか映りません。そんな愚かな姫を将来我が国の女王になど到底できるものではありません。
今日この一日は本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。あなたの社交界デビューも素晴らしいものでした。
ただ、二度と私はあなたのもとには訪れますまい。
あなたは噂とは違う意味の『嘆き姫』なのですから」
王子はそれだけを言うと、震える姫に最後に一礼をして、王のもとに暇を告げに行かれました。そしてそのまま二度と姫に振り返ることなく大広間を後にしました。
スハル王子が大広間から去った後、嘆き姫はその場で泣き崩れました。
こんなにも酷い言葉を言われたことがないからです。
姫には王子の言っている言葉の意味がわかりませんでした。
みみずだって命はあります。痛いのは嫌だろうし食べられるのならなおさら嫌でしょう。
仕立て屋のことにしてもそうです。
王女である姫が舞踏会、それもデビューを飾る舞踏会に自分が仕立てたドレスを着るのと、貴族の娘が着るのとでは『格』が違いすぎるではありませんか。
貴族の娘がデビューで一日中着るよりは王女である姫が一時間でも着ているほうがドレスの注目度が違うことですし、それを作った仕立て屋にも箔もつき格もあがるというものです。
それに献上するとまでいわれたドレスを王様は購入したのです。せっかくの仕立て屋たちの好意を無にすることですし、献上したほうが仕立て屋たちにとってもよい宣伝にもなるだろうに―――――そして姫はその三着のドレスが手に入るはずでした。
「やはり王子様は間違っていらっしゃる」
私の考えのほうが理にかなってるし、仕立て屋たちを気の毒に思っても当然のことを思っているだけ。そのことを口にすることがか違っているとでも思ってらっしゃるのかしら。そうならば王子様はとんでもなく薄情でいらっしゃるのだわ。だから私のこの思いをご理解いただけないのでしょう。あれだけ端正なお顔立ちで立ち居振る舞いも完璧な王子様でいらっしゃるというのに、なんてお気の毒なことでしょう。
嘆き姫はスハル王子を思って静かに泣き始めました。
その一部始終を見ていた者がいました。
以前から嘆き姫の『お気の毒』という言葉にうんざりしている者でした。
嘆き姫はいつも誰かに『おかわいそうに』と声をかけられて慰められていましたが、その時いつも姫の口元が笑って見えるのがずっと気になっていたのです。
翌日の昼過ぎには、この話が城内中の噂になりました。
そうすると、なんと姫の嘆きに疑問を持っている者がつぎつぎに現れたのです。
そしてその者たちが今度は城下町に、そして城下町の者たちが国中にと話を広めていきました。
いつのまにか、嘆き姫の噂は二分化していったのです。
心が優しすぎていつも気の毒に思って憂いている『嘆き姫』と、誰かにいつも「おかわいそう」と言ってもらうために嘆いている『嘆き姫』。
人はよい噂よりも悪い噂のほうが好んで話すものですから、本当にあっという間にこの話はすそのまで広がり、人々に姫に対して不信感が植えられてしまいました。
『嘆き姫』の話は瞬く間に近隣の国々へと流れていきました。