記憶の城で、君の歌をもう一度
リラとニアには何もなかった。
家も、家族も、
一日の終わりに座るテーブルさえもなかった。
彼女たちが持っていたのは、古い毛布と、わずかな小銭が入った袋、そして空腹に苦しめられながら路上で歌う歌だけだった。
「ニア…」リラは寒さをしのぐように両手をこすり合わせながら呟いた。「今日は誰も立ち止まらないわ。」
ニアは唇が青白かったが、微笑んだ。
「じゃあ、もっと上手に歌おう。」
「昨日もそう言ってたじゃない。」
「昨日も生き延びたでしょ?」
リラはニアをちらりと見た。
ニアはいつもそうだった。
何もかもがうまくいかない時でも、微笑んでいた。
まるで世界がまだ変わる可能性があるかのように話していた。
だからリラはニアの後をついて行った。
だからリラはニアのそばにいた。
ニアが歌うと、汚れた道でさえも少しは残酷さが和らいだように感じられた。
「わかったわ」とリラはため息をつきながら言った。「もう一曲だけ」
ニアは手を差し出した。
リラは一瞬ためらったが、その手を取った。
指先は冷たかった。
いつものように。
しかし、二人が歌い始めると、二人の間に温かい何かが生まれた。
二人の歌声は完璧ではなかった。
ニアの声は柔らかく、澄んでいて、まるで窓から差し込む光のように澄んでいた。
リラの声は低く、悲しげで、石に降り注ぐ雨のようだった。
二人の歌声が合わさると、こんなみすぼらしい道にはあってはならないような、不思議な響きになった。
何人かの人が立ち止まった。
おばあさんがコインを置いていった。
子供が微笑んだ。
しかし、それだけでは足りなかった。
いつだって足りなかった。
歌い終えると、リラはコインを数え、唇をきゅっと引き締めた。
「これでパンが買える…もしくは屋根の下で眠れる」ニアは何も答えなかった。
彼女は路地を見つめ返した。
「どうしたの?」
「誰かいるの。」
リラは振り返った。
若い女性が影から二人を見つめていた。
彼女の髪は明るく、ほとんど銀色で、風に乱れていた。ドレスの袖は破れていて、裸足だった。彼女の瞳は不思議な美しさを湛えていたが、どこか虚ろで、まるで見知らぬ世界に目覚めたかのようだった。
「ねえ」リラはニアの前に立ちはだかりながら言った。「私たちを襲おうとするなら、もう遅いわ。私たちの方があなたたちより貧乏なのよ。」
少女は瞬きをした。
「わ…わからない…」
彼女の声はかろうじて聞き取れるほどの囁きだった。
ニアはゆっくりと近づいた。
「わからないの?」
少女は視線を落とした。
「自分が誰なのか分からないの。」
リラは眉をひそめた。
「それは厄介なことになりそうね。」
「リラ…」
「何?そうなのよ。」
ニアはリラの口調を無視し、肩にかけていた小さなショールを外し、見知らぬ女性にかけた。
「私たちと一緒に来て。」
リラは目を開けた。
「え?」
「彼女をここに置いていくわけにはいかないわ。」
「ニア、私たちは自分たちのことさえままならないのよ。」
「じゃあ、私たち3人で生き延びなきゃいけないのね。」
リラは歯を食いしばった。
見知らぬ女性はショールをまるで宝物のように見つめた。
「ありがとう…」
ニアは微笑んだ。
「私はニア。こちらはリラ。」
「私の名前をそんなに簡単に呼ばないで。」
「もう呼んだわ。」
見知らぬ女性は胸に手を当て、そこに埋もれた答えを探すようにした。 「エリヤ…」彼女は囁いた。
ニアは頭を下げた。
「それがあなたの名前なの?」
「わからない。でも…そう言うと、少し楽になるの。」
リラは目をそらした。
同情されたくなかった。
同情は危険だった。
同情は、半分も残っていないパンを分け与えるようなものだ。
しかしその夜、彼らはパンを分け合った。
そして久しぶりに、リラはニアが自分だけを見ているのではないと感じた。
ニアはエリヤも見ていた。
そしてそれは、認めたくないほど彼女を苦しめた。
三人が歌い始めると、城が現れた。
それは、小雨の降る、人けのない広場にあった。
ニアは、鐘の音を聞くたびに震えるエリヤを落ち着かせるために歌を歌おうと提案した。
「一曲だけ」とニアは言った。「私たちの歌を。」
リラは腕を組んだ。
「彼女、私たちの歌を知らないのよ。」
「じゃあ、覚えさせればいいわ。」
エリヤはうつむいた。
「邪魔したくないの。」
「あなたが現れてからずっと邪魔だったわよ」とリラは呟いた。
「リラ。」
ニアの声は柔らかかったが、しっかりとしていた。
その声は、怒鳴られるよりもリラを苛立たせた。
「わかったわ。歌いましょう。」
最初、エリヤはかろうじてメロディーを追っていた。声は弱々しく、自信なさげだった。
しかし、正しい音程を見つけた瞬間、空気が変わった。
雨は途中で止んだ。
地面に散らばったコインが振動し始めた。
そして、彼女の足元に光の輪が現れた。
「ニア…?」
「離さないで。」
リラはエリヤの手を強く握った。
エリヤはもう片方の手を取った。
すると、光の輪は消えた。
そして目の前に城がそびえ立った。
それは石造りではなかった。
水晶でできていた。
透明な塔が、ありえないほどの空に向かってそびえ立っていた。壁は柔らかな色彩で輝き、まるでオーロラが閉じ込められているかのようだった。窓には、思い出の影が揺らめいていた。笑い声、踊り、涙、現れては消える顔。
城は歌っていた。
人間の声ではない。
何千もの閉じ込められた思い出の歌声だった。
「美しい…」ニアは囁いた。
リラは寒気を感じた。
「だめ。美しすぎる。」
扉はひとりでに開いた。
中は暖かかった。
テーブルには料理が山盛り。
清潔なベッド。
シルクのドレス。
新しい靴。
温かいお風呂。
リラは唾を飲み込んだ。
空腹が恐怖を凌駕した。
「もしかしたら…今夜だけは。」
ニアは優しく彼女を見つめた。
「ええ。今夜だけね。」
エリヤはガラスの壁に触れた。
壁の中に、少女が女性と一緒に歌っている姿が現れた。
エリヤは後ずさりした。
「私…その歌知ってる。」
天井から声が聞こえた。
柔らかく、包み込むような。
「ようこそ、歌い手たちよ。」
リラはテーブルからナイフを取った。
「誰が話しているの?」
「城だ。」
ニアはエリヤの前に立った。
「私たちに何を望んでいるの?」
「君たちが与えたくないものは何もない。」
「それは答えになっていないわ」とリラは言った。
声は静かに笑った。
「歌えば、君たちに与えられなかったもの全てが手に入るだろう。」
リラは料理を見た。
ニアはベッドを見た。
エリヤは思い出でいっぱいの壁を見た。
そして、三人は初めて、ここに留まりたいと思った。
最初の数日間は幸せだった。
幸せすぎた。
涙が出るほど食べた。
コインの入った袋を盗まれる心配もなく眠った。
温かいお湯に浸かった。
まるで光でできているかのようなドレスを着た。ニアがエリヤの髪を梳かしている間、リラは戸口から二人を見守っていた。
「綺麗よ」とニアは言った。
エリヤは視線を落とした。
「今まで誰かにそう言われたことなんてあったかしら」
「じゃあ、私が言うわ」
リラは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
「ニア、来る?音楽室を見せてあげたいの」
「ちょっと待って」
「最近、いつもそう言うわね」
ニアはリラの方を向いた。
「どういう意味?」
「何でもないわ」
「リラ」
リラは拳を握りしめた。
「もういいわ」
その夜、二人は城で歌を披露した。
大広間は光に満ち溢れた。音符が一つ一つ柱に水晶の花を咲かせ、ハーモニーが一つ一つ新たな扉を開いた。
歌い終えると、果物、甘いパン、ノンアルコールワインが並べられたテーブルが現れた。ニアは笑った。
エリヤも笑った。
リラも笑おうとした。
しかし、その時、彼女は何かを忘れてしまった。
それは些細なことだった。
ある通り。
ある午後。
二人が出会った日にニアが着ていたドレスの色。
リラは立ち尽くした。
「どうしたの?」とニアは尋ねた。
「何でもないわ。」
しかし、それは何でもないことだった。
翌日、ニアはかつてスープをくれた女性の名前を忘れてしまった。
そしてエリヤは、なぜ鐘が怖いのかを忘れてしまった。
城は彼らに何かを与え続けた。
そして、歌は必ず何かを奪っていった。
二人の喧嘩は鏡の部屋で起こった。
ニアはエリヤのそばにいて、彼女の過去に属するようなメロディーを思い出させようとしていた。
リラが入ってきて、二人が一緒にいるのを見た。
ニアはエリヤの手を握っていた。
とても近くに。
近すぎるほど近くに。
「北の塔へ一緒に行くって言ったでしょ」とリラは言った。
ニアは飛び上がった。
「ごめんなさい」エリヤは何かを思い出したようだった。
「もちろんよ、エリヤ」
金髪の少女は視線を落とした。
「行ってもいい…」
「ダメ」ニアは慌てて言った。
リラは冷笑した。
「彼女のことになると、あなたはすぐに反応するのね」
ニアは立ち上がった。
「リラ、やめて」
「何をやめてって?気づいてってこと?」
「あなたは不公平よ」
「公平?」リラは声が震えるのを感じた。「ニア、昔はあなたと私だけだったじゃない」
「今もあなたと私だけよ」
「違うわ。今は彼女が初めてなの」
エリヤは囁いた。
「あなたたちを引き離すつもりはなかったの」
リラは彼女を睨みつけた。
「でも、あなたはそうしたのよ。」
ニアは一歩前に出た。
「そんな言い方しないで。」
その言葉が、傷口だった。
口調ではない。
言葉でもない。
ニアがエリヤを抱きしめる代わりに、彼女をかばうことを選んだこと。
リラは、心の中で何かが砕けるのを感じた。
「あなたは私よりも彼女のことを心配しているの?」
ニアは口を開いたが、すぐには答えなかった。
その沈黙だけで十分だった。
リラは苦痛に満ちた笑みを浮かべた。
「そうね。」
「リラ、待って。」
「いいえ。分かってる。」
彼女は走り去った。
ニアは後を追いたかったが、エリヤは頭を抱えて膝をついた。
「鐘の音…また聞こえる…」
ニアはそこに留まった。
そして、廊下からリラはそれを見ていた。
ニアがそこに留まることを選んだのを、リラは見ていた。
城もまた、それを見ていた。その夜、リラは眠れなかった。
彼女は一人でギャラリーを歩いていた。壁には、他の人々の思い出が飾られていた。
娘を抱きしめる母親。
木の下で笑い合う二人の友人。
決して離れないと誓い合うカップル。
リラは目を閉じた。
「静かに…」
城から声が囁いた。
「彼女はあなたを見捨てた。」
「違う。」
「彼女はかつてあなたと一緒に歌っていた。」
「今でも一緒に歌ってくれる。」
「でも、もうあなたを以前と同じようには見ていない。」
リラは歯を食いしばった。
「静かに。」
「あなたは彼女を路上から救い出した。パンもない時、あなたは彼女を支えた。彼女が泣いている時、あなたは彼女を抱きしめた。そして今、彼女はその優しさを他の誰かに与えている。」
涙が止めどなく溢れ出した。
「彼女を憎みたくない。」
「あなたはニアを憎んでいないのね。」
声は甘く、
まるで母親のようだった。
「あなたはただ、自分の居場所を取り戻したいだけなのね。」
リラは目を開けた。
目の前のガラスの中に、エリヤが現れた。
ニアと微笑み合い、
ニアと歌い、
ニアの手を握っていた。
「エリヤがいなくなれば」城は囁いた。「ニアはあなたの元に戻ってくる。」
「いや…」
「ちょっと押すだけ。」
「いや。」
「歌を一曲だけ。」
「嫌だ…」
「彼女はあなたの代わりをしているのよ。」
リラの瞳から輝きが消えた。
彼女の顔は無表情になった。
「ええ…」彼女は囁いた。「彼女は私の代わりをしているの。」
翌朝、リラは微笑んでいた。
ニアは彼女の姿を見て安堵した。
「リラ…」
「昨日はごめんなさい」と彼女は言った。
ニアが近づいた。
「ううん、私も…」
リラは彼女を抱きしめた。
それは優しい抱擁だった。
冷たかった。
ニアはなぜ自分が怖がるのか分からなかった。
「一緒に歌おう」とリラは言った。「私たち3人で」
エリヤは恥ずかしそうに微笑んだ。
「本当に大丈夫なの?」
「ええ」とリラは答えた。「みんなが大丈夫になってほしいの」
城は新しい部屋を開いた。
それは円形で、床は見えず、星で満たされた虚空の上にガラスの台座が浮かんでいるだけだった。記憶の断片がランプのようにその周りを漂っていた。
城の声が響いた。
「最後の歌を歌え」
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次回も全力で書きます!




