第7話「焼ける村 ― 清胤、絶望す」
関東・武蔵国。
夏の終わり、湿った風が吹き抜ける中、清胤は関東の村々を巡っていた。
謙信の義挙を支えるため、民の声を聞き、仏法を説き、心を導くためだ。
だが、清胤の目に映ったのは――地獄だった。
「……これは」
村は焼け、家は崩れ、畑は踏み荒らされている。
黒い煙が空に昇り、焦げた木の匂いが鼻を刺す。
清胤は足を止め、焼け落ちた家の前に立った。
(仏法を説いても……救えぬのか)
そのとき、瓦礫の下から小さな声が聞こえた。
「……たすけて……」
清胤は膝をつき、瓦礫をどけた。
そこには、幼い少女がいた。
腕に火傷を負い、涙で顔を濡らしている。
「大丈夫だ……もう大丈夫だ」
清胤は少女を抱き上げ、近くの木陰に運んだ。
だが、少女は震えながら言った。
「おかあ……おかあが……」
清胤は少女の視線の先を見た。
そこには、焼け焦げた遺体が横たわっていた。
少女は泣き叫んだ。
「なんで……なんで……!」
清胤は言葉を失った。
(仏法は……何を救えるというのだ)
そのとき、村の外から怒号が聞こえた。
「北条の残党だ! 逃げろ!」
清胤は少女を抱きしめ、茂みに身を隠した。
数人の武装した兵が村に入り、残った家々を蹴り倒し、食糧を奪っていく。
「義も仏法も関係ねぇ! 生き残るためだ!」
その言葉が、清胤の胸に突き刺さった。
(義も……仏法も……)
兵たちが去った後、清胤は少女を抱きしめたまま、地面に膝をついた。
「……私は……何をしているのだ」
越後で説いた理想。
京で語った公界。
謙信に託した義。
だが、現実は――
理想を嘲笑うかのように、残酷だった。
少女が弱々しく言った。
「おじいさん……おかあは……天に行けるの……?」
清胤は震える声で答えた。
「……行ける。必ず行ける。
だが……そなたを残して逝きたくはなかっただろう」
少女は泣き続けた。
清胤は空を見上げた。
煙が空を覆い、太陽は見えない。
(仏法は……民を救えぬのか)
そのとき、謙信からの急使が駆け込んできた。
「清胤殿! 謙信公より至急の伝言です!」
清胤は少女を抱いたまま、使者を見た。
「……何だ」
使者は息を切らしながら言った。
「北条軍が再び動きました!
謙信公は“義の戦”を続けるべきか迷っておられます!」
清胤は目を閉じた。
(義の戦……
だが、その義が……民を救っていない)
少女の泣き声が耳に残る。
清胤は使者に言った。
「……謙信公に伝えよ。
私は……私は、義の意味を見失いかけていると」
使者は驚いた。
「清胤殿……それは……!」
清胤は少女を抱きしめ、震える声で言った。
「仏法は……民を救うためにある。
だが、現実は……仏法を嘲笑っている」
使者は言葉を失った。
清胤は少女を背負い、焼けた村を後にした。
(私は……何を信じればよいのだ)
越後の静謐も、京の理想も、
関東の地獄の前では、あまりにも脆い。
清胤は初めて悟った。
**理想は、現実の炎に焼かれる。**
そしてその炎は、
三者の心を少しずつ蝕み始めていた。




