第4話「三者の誓い ― 公界の夜明け」
越後・春日山城。
清胤が越後に滞在して三日目の夜、春日山は深い霧に包まれていた。
山の静寂は、京の腐臭とは異なる重みを持っている。
ここでは、言葉よりも沈黙が真実を語る。
清胤は、城の一角にある小さな堂で祈りを捧げていた。
蝋燭の炎が揺れ、壁に映る影がゆっくりと伸び縮みする。
(この地は……義の気が満ちている)
越後の空気は澄み、民は質朴で、武士たちは誇り高い。
だが同時に、戦乱の影が深く刻まれている。
そのとき、堂の扉が静かに開いた。
「清胤殿」
上杉謙信が立っていた。
灯火に照らされたその姿は、まるで仏像のように静謐で、しかし剣のように鋭い。
「謙信公……」
謙信は堂に入り、清胤の前に座した。
「そなたの言葉を、三日間考えていた。
公界……民が主となり、仏法の規律を基とし、武家も朝廷もその上に立つ世界。
それは、あまりに大きな理想だ」
清胤は頷いた。
「はい。大きすぎる理想です。
だが、理想なくして義は形を持ちません」
謙信は目を閉じた。
「私は、義を掲げて戦ってきた。
だが、義は時に空虚だ。
勝っても民は救われず、負ければ理想は遠ざかる」
清胤は静かに言った。
「だからこそ、義を“秩序”に変える必要があるのです」
謙信は目を開き、清胤を見つめた。
「清胤殿……そなたは、私に何を求める」
清胤は深く息を吸い、言葉を紡いだ。
「あなたに求めるのは――“剣”です。
公界を築くための、義の剣。
あなたの剣は、民を救うために振るわれるべきです」
謙信はしばらく沈黙した。
やがて、静かに立ち上がると、堂の外へ歩き出した。
清胤も後に続く。
外は霧が深く、月はぼんやりと滲んでいる。
「清胤殿」
謙信は霧の中で振り返った。
「私は、己の義を信じている。
だが、その義が本当に民を救うのか……確信は持てぬ」
清胤は一歩近づいた。
「確信は、歩む中で生まれます。
あなたの義は、必ず民を救います。
そのために、私が“心”を導き、関白殿が“道”を示すのです」
謙信は霧の向こうを見つめた。
「……前久殿は、どこまで本気なのだ」
清胤は答えた。
「関白殿は、朝廷の伝統すら捨てる覚悟です。
この国を救うためなら、己の立場すら投げ捨てるでしょう」
謙信は息を呑んだ。
「そこまで……」
清胤は静かに頷いた。
「はい。
だからこそ、あなたが必要なのです」
謙信は天を仰いだ。
霧の向こうに、かすかな月が浮かんでいる。
「清胤殿……私は、戦う。
公界のために。民のために。そして――義のために」
清胤は深く頭を下げた。
「ありがとうございます、謙信公。
あなたこそが、公界の先兵です」
そのとき、霧の中から足音が聞こえた。
「二人とも、ここにいたか」
近衛前久が現れた。
京からの使者を連れ、越後に到着したばかりだ。
「関白殿……!」
前久は霧の中で二人を見渡し、微笑んだ。
「清胤、謙信。
今宵、三者の誓いを立てよう。
この国を変えるための、最初の一歩だ」
三人は霧の中で向かい合った。
前久が言う。
「私は“道”を示す。
朝廷の権威を捨て、公界の理念を掲げる」
清胤が続く。
「私は“心”を導く。
仏法の規律をもって、公界の精神を築く」
そして謙信が言った。
「私は“剣”を振るう。
義をもって、公界の秩序を守る」
三者の声が重なり、霧の中に響いた。
その瞬間、霧がわずかに晴れ、
三日月が姿を現した。
前久が呟く。
「この三日月こそ、我ら三者の象徴だ」
清胤は胸に手を当てた。
「この誓いが、必ずやこの国を変えましょう」
謙信は静かに頷いた。
「公界の夜明けは……ここから始まる」
霧の中で、三者の影が重なった。
それは、理想の始まりであり――
同時に、破滅の始まりでもあった。




