第12話「黎明の残響 ― 公界の夢、未来へ」
越後・春日山城。
冬の気配が山を包み始めた頃、謙信は一人、城の天守から越後の空を見下ろしていた。
雪雲が重く垂れ込め、風は鋭く冷たい。
(義の断罪……
私は、何を見つけたのだ)
関東の戦は膠着し、民は救われず、北条は落ちず。
清胤は仏法に揺らぎ、前久は京で孤立した。
三者の誓いは、形を成さぬまま崩れかけている。
そのとき、背後から声がした。
「謙信公」
清胤が立っていた。
その顔には疲労が刻まれているが、どこか静かな光が宿っていた。
「清胤殿……そなたも、越後に戻ったのか」
清胤は頷いた。
「はい。
関東の村々を巡り、民の声を聞き……
そして、悟りました」
謙信は振り返った。
「何を、だ」
清胤は静かに言った。
「仏法は、民を救うためにある。
だが、仏法だけでは民は救えぬ。
政治も、武も、心も……
すべてが揃わねばならぬのです」
謙信は目を閉じた。
「義も同じだ。
義だけでは、民は救えぬ」
清胤は天を仰いだ。
「公界とは……
仏法でも、政治でも、武でもない。
それらすべてを束ねる“心”なのです」
謙信は息を呑んだ。
(心……)
清胤は続けた。
「あなたが迷ったのは、義が空虚だからではない。
義が“心”を求めていたからです」
謙信は刀の柄に手を置いた。
「私は……義を断罪した。
義が民を救うものか、ただの言葉かを問うために」
清胤は微笑んだ。
「その問いこそが、義の本質です。
あなたは義を捨てたのではない。
義を……磨いたのです」
謙信は目を開いた。
「……私は、まだ進めるのか」
清胤は深く頷いた。
「はい。
あなたは、まだ折れてはいない」
***
同じ頃、京・近衛邸。
前久は一人、庭に立っていた。
冬の風が吹き、木々の葉が散っていく。
(私は……敗れたのか)
公界構想は朝廷に拒まれ、
公家たちは前久を孤立させ、
政治の現実は理想を押し潰した。
そのとき、使者が駆け込んできた。
「関白殿! 越後より書状です!」
前久は書状を受け取り、封を切った。
――義は折れず。
――仏法も折れず。
――公界の道、まだ途絶えず。
前久は息を呑んだ。
「清胤……謙信……
そなたらは……まだ進むのか」
前久は空を見上げた。
雲の切れ間から、わずかに月が覗いている。
「ならば……私も進もう。
たとえ孤立しようとも、
民のために動く者が一人でもいれば……
公界は死なぬ」
前久は静かに歩き出した。
***
越後・春日山城。
清胤と謙信は、雪の降り始めた城下を見下ろしていた。
「謙信公……
公界は、まだ形になっていません。
だが……その“心”は、確かに生まれました」
謙信は頷いた。
「前久殿も……まだ折れてはいない」
清胤は微笑んだ。
「三者の誓いは、まだ生きています。
形にはならずとも……
その理想は、必ず未来に残るでしょう」
謙信は空を見上げた。
雪雲の向こうに、かすかな光が差している。
「公界の夢は……
我らの代では叶わぬかもしれぬ」
清胤は静かに言った。
「ですが……
夢は、誰かが継ぎます。
民の心に、必ず残ります」
謙信は深く息を吸った。
「ならば……私は戦おう。
義のために。
民のために。
そして――公界のために」
清胤は深く頭を下げた。
「その決意こそ……
公界の黎明です」
雪が静かに降り始めた。
三者の理想は、形にはならなかった。
だが、その残響は――
確かに未来へと続いていた。
**公界の夢は、まだ終わっていない。**




