第11話「敗北の光 ― 三者、沈む」
関東・上野国。
秋雨が降り続き、地面は泥に沈んでいた。
謙信の軍勢は疲弊し、兵たちの顔には疲労と絶望が刻まれている。
「謙信公……これ以上の進軍は……」
家臣の声は震えていた。
謙信は泥に沈む地図を見つめた。
北条の防衛線は崩れず、村々は焼かれ、民は逃げ惑う。
(義の剣は……届かぬのか)
そのとき、敵の狼煙が上がった。
「北条軍、反撃の構え!」
謙信は立ち上がった。
「退くぞ」
家臣たちは驚いた。
「退く……のですか?」
謙信は静かに頷いた。
「義を掲げても、民は救われぬ。
今は……退くしかない」
その言葉は、敗北の宣言だった。
兵たちは沈黙し、雨の中で撤退を始めた。
謙信は馬上で空を見上げた。
雨雲が厚く、月は見えない。
(義は……どこへ行った)
***
同じ頃、関東の別の村。
清胤は、焼け跡に立ち尽くしていた。
昨日まで生きていたはずの民が、今日には灰となっている。
(仏法は……何を救えた)
少女を預けた村も、北条の襲撃で焼かれていた。
清胤は膝をつき、地面に手をついた。
「……私は……何をしているのだ」
仏法を説き、民を救うつもりだった。
だが、現実は仏法を嘲笑い、民は救われなかった。
そのとき、村の片隅で小さな声がした。
「……おじいさん……」
清胤は顔を上げた。
少女が、泥だらけの姿で立っていた。
「生きて……いたのか……!」
清胤は少女を抱きしめた。
少女は泣きながら言った。
「おかあ……天に行けたかな……?」
清胤は震える声で答えた。
「行けた……必ず行けた。
そなたが生きていることが……その証だ」
少女は清胤の衣を握りしめた。
清胤は空を見上げた。
雨雲の向こうに、わずかな光が差している。
(仏法は……完全ではない。
だが……この子を救えた)
その光は、敗北の中の小さな希望だった。
***
京・近衛邸。
前久は、暗い広間で一人、文箱を開いていた。
中には、清胤と謙信からの書状がある。
――義の戦、敗北。
――民、救われず。
――公界の道、闇深し。
前久は書状を握りしめた。
「清胤……謙信……
そなたらまで……」
そのとき、扉が開き、三条西公条が現れた。
「関白殿……そなたの“公界”は、もはや終わりだ」
前久は振り返らずに言った。
「終わりではない。
まだ……始まってもいない」
公条は冷たく笑った。
「そなたは孤立した。
朝廷はそなたを見放し、武家も動かぬ。
公界など、夢物語だ」
前久は立ち上がり、空を見上げた。
「夢物語でも構わぬ。
民を救うためなら、私は何度でも夢を見る」
公条は呆れたように言った。
「その夢が、そなたを滅ぼす」
前久は微笑んだ。
「滅びても構わぬ。
だが……民のために動く者が一人でもいれば、
公界は死なぬ」
公条は去っていった。
前久は深く息を吐き、夜空を見上げた。
雲の切れ間から、わずかに月が覗いている。
(清胤……謙信……
そなたらはまだ……折れてはいない)
その光は、敗北の中の小さな希望だった。
***
三者は、それぞれの場所で同じ空を見上げていた。
越後で、謙信は義の敗北を知り。
関東で、清胤は仏法の限界を知り。
京で、前久は政治の孤立を知る。
だが――
その敗北の中に、わずかな光が差していた。
それは、
三者がまだ“完全には折れていない”という証だった。
そして、その光こそが――
公界の最後の希望だった。




