第7話 初ダンジョン
ダンジョンの入口は、思ったよりも地味だった。
洞穴のような岩肌。
苔むした石。
冷たい空気が、ゆっくりと流れ出している。
「……ここが?」
レオンが、拍子抜けした声を出す。
「思ったより、普通だな」
「普通ほど、危険です」
俺は即答した。
派手な場所ほど警戒される。
だが、地味な場所は油断される。
それが、一番厄介だ。
ギルドからの説明は簡単だった。
・低階層のみ解放
・魔物は単独か、少数
・Eランク向け
だが、それは平均的なEランクの話だ。
問題児だらけの即席パーティには、
十分すぎる試験場だった。
「入る前に、確認します」
全員がこちらを見る。
「目的は、攻略ではありません」
「撤退条件は、三つ」
指を立てる。
「一つ、誰かが息切れしたら」
「一つ、視界が悪くなったら」
「一つ、判断が割れたら」
鎧の男が、眉をひそめた。
「……随分、早ぇな」
「ええ」
頷く。
「でも、死なない」
全員が、黙って頷いた。
ダンジョン内部は、静かだった。
足音が、やけに響く。
湿った空気。
遠くで、水が滴る音。
「……嫌な感じだ」
弓の青年が、小声で言う。
「足元、注意」
俺が言った直後、
レオンが足を止めた。
「……待て」
「罠だ」
床の一部が、わずかに沈んでいる。
「……よく気づいたな」
「前より、見えてる」
それは錯覚じゃない。
同じ注意を繰り返した結果、
注意すること自体が習慣になっている。
それだけだ。
最初の魔物は、単独だった。
小型。
動きは鈍い。
「いつも通りで」
俺が言うと、
全員が自然に散開する。
前衛は、引きつけるだけ。
レオンは、牽制して下がる。
弓は、距離固定。
魔法は、短詠唱。
――完璧だ。
数秒で、魔物は倒れた。
「……あれ?」
鎧の男が、首を傾げる。
「ダンジョンって、もっとヤバいんじゃなかったか?」
「まだ、入口です」
俺は答える。
「油断しないでください」
二体目、三体目。
問題なく処理できる。
疲労も、ほとんどない。
「……なあ」
レオンが、少し不安そうに言った。
「順調すぎないか?」
「順調な時ほど、危険です」
俺は、足を止めた。
「一度、戻ります」
「え?」
弓の青年が、驚いた声を出す。
「まだ、余裕あるぞ」
「余裕があるうちに、終わるべきです」
少女が、小さく頷いた。
「……私、まだ集中できます」
「でも、少し怖いです」
「それでいい」
恐怖があるうちは、判断できる。
帰り道。
出口が見えたところで、
異変が起きた。
「……足音?」
弓の青年が、立ち止まる。
「複数です」
「後ろ」
振り返る。
暗闇の奥から、
魔物の影が揺れた。
「数は?」
「……四」
「いや、五……」
想定外だ。
Eランク低層で、
この数は珍しい。
「撤退条件、二つ目」
俺は即座に言った。
「視界が悪い」
「判断、割れますか?」
一瞬の沈黙。
「……割れない」
レオンが言う。
「逃げよう」
鎧の男が、舌打ちする。
「チッ……分かった」
全員が、迷わず動いた。
背を向ける。
走らない。
一定の速度で。
魔物が、追ってくる。
「弓、牽制だけ」
「魔法、撃たない」
「前衛、振り返るな」
短い指示が、次々と飛ぶ。
出口が近づく。
「……出た!」
光の中へ飛び出した瞬間、
魔物たちは追撃を諦めた。
外の空気は、やけに美味かった。
全員が、無言で呼吸を整える。
「……なあ」
鎧の男が、ぽつりと呟く。
「初ダンジョンで、撤退って……」
「恥ですか?」
俺が聞く。
「……いや」
彼は、首を振った。
「生きてる」
レオンが、笑った。
「俺さ」
「初めてだよ」
「ダンジョンで、無傷で帰れたの」
少女は、胸に手を当てて言った。
「……怖かったです」
「でも、ちゃんと考えられました」
弓の青年は、何も言わない。
だが、矢筒を整える手は、落ち着いている。
帰り道。
俺は、内心で確認する。
成長補正の恩恵で、
体の疲れは、ほとんど残っていない。
だが、それ以上に重要なのは――
「撤退できた」
それだ。
勝たなくてもいい。
進まなくてもいい。
生きて戻れれば、次がある。
「……次は、どうする?」
レオンが聞く。
「準備と改善です」
俺は即答した。
「ダンジョンは、逃げ場も含めて考えないといけない」
全員が、自然と頷いた。
問題児たちは、
まだ問題児のままだ。
だが――
引き際を知った問題児になった。
それは、大きな違いだった。




